月別 2017年7月
と き:2017年7月31日(月)12:15~
ところ:岡山駅西口さんすて前
7月31日(月)、岡山県労働組合会議はJALによる不当解雇撤回を求めて街頭宣伝を行いました。
マイクをとった伊原事務局長は、「JALの問題は企業による解雇自由を許すのかどうかが問われている。裁判は決着し、争議団と企業の自主解決に委ねられているが、すべての労働者に関わる重大な問題だ。JALで起こっていることを広く知ってもらいたい」と訴えました。
政府の進める働き方改革では、残業代ゼロ制度に加え、解雇の金銭解決制度の創設も議論されています。これまでも金銭解決は行われてきました。しかし、金銭解決制度を設けることで、解決金の縮小と使用者による安易な解雇を助長することになります。
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とき:2017年7月30日(日)13時30分~
ところ:高島公民館
7月30日(日)、久々に苦手とする障害者の人権に関わる学習会に参加しました。今日のテーマは「合理的配慮はなぜ必要なのか?高等教育における障害者差別解消と紛争概念」という難しそうな内容です。講師は川島聡さん(岡山理科大学経営学部経営学科准教授)です。講演に入る前に3人の方から話題提供がされました。
浅田達雄さんは自身の裁判から「介護保険を申請しなかった理由で障害者自立支援法を止められた。合理的配慮が必要では?」と問いかけました。
小椋千寿子さんは「発達障害の合理的配慮が学校ではどうか?2016年6月のみんなの願い6月号(ニュースナビ)から教育における合理的配慮について考えてみた」として、2つの問題を提起しました。1つは学校が合理的配慮について改めて整理し、一人一人の教育的ニーズの対応に転換するとしているが予算は伴わず、現場に負担を強いるものになっていないか?2つは国の責任逃れになっていないか?と提起しました。県はやって来たことに変わりはないとしている。現場は詰め込みで基準さえ下回っていると話しました。
田辺昭夫さんは「倉敷市で起きている一般社団法人あじさいの輪は運営する事業所解雇問題に関して、障害者の就労継続支援A型事業所5か所が一斉に閉鎖され、従業員220人の障害者が解雇(8月1日)されようとしている。補助金行政と障害者を食い物にする悪徳業者が全国に蔓延っている。元々コンサルタント会社だったが、ウナギの養殖に失敗すると事業所も閉鎖する無責任経営で責任者は出てこない。絶対に許されず、本来、A型就労できない人まで雇用しており、自治体やハローワークも書類だけで許可していることは明らが責任は重い」と話しました。
講演では高等教育(大学)における合理的配慮の例を出しながら、川島さんは障害者と大学側の要求と配慮の過程を紛争と捉えて問題を提起しました。
障害者権利条約を締結するため国は2013年に障害者差別解消法を成立、2016年に施行。この中で解消法が禁止する2つの差別について、①不当な差別的取り扱い、②合理的配慮の不提供は、どんな場合が許容されるのか?と提起しました。差別的な取り扱いには合理的理由があること、合理的配慮の不提供には過重な負担がある場合だとしました。さらに差別には直接的なものと間接的なものがあり、意図的な差別的取り扱いには直接差別になるとしました。合理的配慮には7つの要素があり、①個々のニーズ、②社会的障壁の除去、③非過重負担、④意向尊重、⑤本来業務不随、⑥機会平等、⑦本質変更不可について説明しました。③の非過重負担とは事業への影響や費用負担を伴うものであり、⑤の本来業務不随は要求が本来業務に伴う責任があるのかどうか、⑦の本質変更不可は学生の要望が他の学生との機会均等を損なうのかどうかが問題と事例を通して解説しました。相談者と大学側との間には、意思の表明、対話、配慮の(不)提供という関係が成立する。そこに建設的対話が求められ、これが解決されないと紛争となる。そこで、川島先生は「話し合いは合意に至るプロセス。代替え案が出て解決するが、そこには建設的対話と紛争が混在する」と話し、現実には解決している事例は少ないと話しました。
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とき:2017年7月27日~28日
ところ:全労連会館2階ホール
7月27日から2日間、全労連評議員会が開かれました。評議員や役員、傍聴など203人が参加する大会に次ぐ決定機関ですが、全労連の大会は2年ごとです。その間の方針を補強する重要な会議です。2日間で38人が発言しました。前大会以降、事務局長が急死する事態となり、事務局次長が急遽代行する形になりましたが、さすがに全労連の人材は信頼に足る人が多いです。ところで評議員会は、前大会で確認された3点の到達とそれをさらに発展させる方向が方針の補強として採択されました。①は組織拡大、②は8時間働けば人間らしい暮らしができる社会の実現、③は安倍政権を退陣に追い込むこと、改憲を許さず戦争する国づくりをさせない取り組みを確認しました。組織拡大や憲法に関する発言は16本、労働法制は5本、最賃や春闘、賃金闘争は14本出されました。
賃上げではJMITUから、「東京北部の単組が1年前から準備を進めて3万円の賃上げを勝ち取った経験や大幅賃上げを諦めがちだが初任給で12,500円を実現した。千葉の支部では非正規から正規への転換で7万円の賃上げを実現。第1次・2次の闘いで3700人が統一ストに立ち上がった」と報告しました。
組織拡大について北海道労連は、「5つの指標で1年間を総括した。要求は前進したのか?活動家は増えたのか?組合員は増えたのか?組織は増えたのか?日常活動は前進したのか?など新しい視点で運動を捉える試みを始めた。無期雇用転換では組合に入れば不安定雇用を変えられるという希望と励ましが求められている。この問題はマスコミを通じて道民に広がった」と方針を実践するための工夫や組合の信頼を広げる運動が強調しました。
日本医労連は、「組織拡大を意識して9年連続増勢で大会を迎え、登録も増やした」と大会60周年を迎えたことが報告しました。
国公の組合からは、「働くルールを確立する運動として過労死110番に取り組み6件の電話はあった。月100時間の残業をしても4割の残業代しか付かない。妻が100~150時間の残業をしている。190時間の休日出勤もあり長時間残業が蔓延している。人事院は改善を求めている。給与削減問題は請求を棄却されたが社会保険庁の闘いでは1人が処分取り消しとなった。仲間を励まし控訴取り下げの運動で北海道では断念させた。外国人実習機構では組合員を30名増やした」と厳しい公務労働を跳ね返す取り組みを紹介しました。
宮城県労連は仙台市長選挙に触れて、「野党共闘は難しい、忍耐が必要。12月には知事選挙もあり、さらに前進させたい。東北大学の限定職員問題は全国どこでも起こりうる問題。1万人いる職員の半分が非正規。3200人の雇い止めを発表。組合に40名が加入して闘っている」と地方労連への期待や取り組みを報告しました。
女性センターの全教の仲間は、「子どもに武器を持たせない。憲法を守り生かそうと連日宣伝に取り組み1263回の宣伝行動を実施。行動して社会とつながることが大切。教職員は集まることも難しくなっているが、それでも集まり、しゃべることで社会と権利を知り、パパママの会をつくって活動している。憲法を生かす取り組みで職場を元気にしよう」と発言しました。
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とき:7月26日(水)9時~12時30分
ところ:笠岡市~広島(大津野石樋公園)
7月26日(水)平和行進。笠岡市から広島へ引き継ぐコースに参加しました。県境を過ぎた大津野石樋公園で引継ぎです。95名が参加しました。
笠岡市役所前で開かれた出発集会では、小林嘉文市長があいさつに立ち「県境の笠岡市として行進団を送り出す大切な日です。平和を共有する輪を広げましょう。被爆国として全世界に訴えたいことは多い。私も署名をした。世界に核兵器廃絶の願いを届けよう」と力強く訴えました。栗尾順三議会議長も紹介されました。
岡山最終日の総指揮を担当する井笠地域実行委員会の井木守さん(笠岡市議)は「自分は1958年生まれ。平和行進が始まった時だ。今年は被爆者の願いが叶い、核兵器禁止条約が採択された。笠岡市では役所と市民が一体となって被爆者署名に取り組み、8000筆くらいの署名を集めた。自分としては国際的な運動に参加できたと思う」とこの間の運動を振り返りました。
岡山コープ井笠エリアの松岡玲子さんは「毎年平和の取り組みをしている。昨日、福山工業高等学校の先生と生徒さんに来ていただいて、被ばく前の広島の街並みを再現したコンピュータグラフィックス映像を見せていただいた。小学生から戦争体験のある80歳までが熱心に聞いた。戦争を知らない生徒さんたちが製作されたことに感銘を受けた。平和を後世に引き継ぐ取り組みを続けたい」と語りました。
通し行進の西田さんは「東京夢の島を5月6日に出発した。笠岡市では職員と市民が一体となって平和を守る運動に取り組まれている。こんな自治体はどこにもない。笠岡市は素晴らしい。日本一の市長さんだ」と感激し、称賛の言葉を贈りました。
アメリカから来たサム君は「被爆者の国と国民を理解したいと講義室ではなく、実際に自分の目と耳で確認したいと思い行進に参加している。大学では社会学を学んでいる。自分は特別な人間ではない。普通の学生だ。アメリカは原爆を正当化している。しかし、広島・長崎を繰り返してはならない。私たちの世界は多様に生き共存している。恒久的な繁栄と他国を理解するためには学ぶことで痛みも理解できると思う」と話しました。
平和行進も県内最後の行進日です。「様々な平和への思いや取り組みが市民を励まし、考え、運動を広げることが明日の日本を明るくする」という思いを強く意識する出発式でした。岡山の行進のためにつくった核兵器廃絶の替え歌が元気に歌われました。行進の途中では城見保育園の園児たちの熱烈な歓迎。地元婦人会の皆様のそうめんと冷たいおしぼりやトマト、お茶の接待に感激です。そうめんを3杯も食べた人も。
平和行進は多くの人たちに支えられながら元気を増し、その熱い思いを引継ぎ広島・長崎に届けていきます。
引き継ぎ集会では広島の福岡代表理事が嘱託教員としての経験を紹介され、「核兵器禁止条約が採択され被爆者の願いが実現した。残念なことに日本はこの席にいなかった、という趣旨の学級通信を出そうとするとクレームが付いた。しかし、多くの職員から評価され、3日後に発行された」と話しました。被爆地でも闘いが常にあることが実感されました。
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とき:2017年7月23日(日)
ところ:山手支所~ COOP総社東~総社支所~清音公民館~真備歯科診療所~真備支所
7月23日(日)平和行進、総社山手支所を出発してCOOP総社東を経て、総社市役所、真備歯科診療所で休憩、倉敷市真備支所までの工程です。山手支所では平支所長さんが歓迎の挨拶、通し行進の西田さんは、笠木徹の「平和の暦」を歌いあげました。アメリカの大学1年生サム君は「アメリカで平和について研究中。インターネット募金で日本に来た。平和の種をまき、平和の思いと和が広げたい」と訴えました。山手支所からは60人が元気よく出発。総指揮は実森さんでした。行進団は休憩地点COOP総社東店に到着。COOPで組合員活動をされている岩さんが歓迎の挨拶。「総社東エリアでは8月に戦争を語る会を開いている。語る継ぐことが大切」と話し行進団を労いました。ここでも西田さんは、「西へ西へと広島に向かっている」と笑いを誘う挨拶。サム君は「皆さんの歓迎と、接待に感謝している」と述べました。サム君はここでも募金集めです。皆さん、お札を次々に入れてくれました。私はサム君を引っ張って、お願いに回りました。ここで行進団は75名と膨れ上がりました。障害者の方も途中まで車イスで参加されました。
総社市役所では市長をはじめ、役員の皆さんが出迎えました。片岡聡一市長は「一緒に歩いている難波市議は議会の時より元気そうだ」と冗談を飛ばしながら、「平和市長会議の最初の市長になったのは私。地方の市長も平和について考えを持つべき。市民を守るのは市長の役割。道のりは長いが一歩一歩の歩みが国を変える」と話し、「皆さんは日曜日に職員がいないと思っているでしょうが、ちゃんといるのですよ」と胸を張りました。荒木議会議長は「例年よりも暑いと聞く。身体に気を付けると同時に、行進団の訴えの通り、核兵器を良いと言う人はいない。核で脅して自分の主張を通そうとする輩に平和を求める世論で反撃しよう」と訴えました。行進団を代表して挨拶に立った西田さんは、「平和行進が始まって60年。日本が私たちの運動で批准するように頑張りたい。全国15の知事、715の市町村長が署名している核兵器廃絶署名。被爆国の日本がしなくて誰がする。出来ないのであれば政府を変えるしかない」と力強く呼びかけました。ここでもサム君は平和募金を訴えました。市長をはじめ役員の皆さんも協力してくださいました。ここでは市民劇場から西田さんに折り鶴の束が託されました。
清音村では池上館長が歓迎。「最近は戦争を知らない議員が多い。南スーダンへの自衛隊派遣もおかしい。平和への思いを訴えてほしい」と話されました。ここで行進団が少し隊列を縮小して、替え歌にコール、訴えを続け元気に行進。休憩地点の真備歯科へ。おいしいトマトにスイカ、トマトや胡瓜の辛子付け、そしてシフォンケーキが行進団の喉とお腹の渇きを癒しました。
行進団は一路、真備支所へ。三谷支所長は「お疲れ様、被爆から72年。惨劇を二度と繰り返してはならない。後世に語り継ぐことも大切。倉敷市は32年前に平和都市宣言をした。小学校5・6年生は毎年、平和バスを出し広島・長崎に行くなど、啓発活動をしている。行進が大きな成果を収められるように祈念する」と歓迎の挨拶。医療生協の多田さんは、「核兵器禁止条約は7月7日に採択された。核を持つ国は9カ国、核の傘にあるのは28カ国だ、今年は核兵器廃絶にとって大切な年」と決意を語りました。
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と き:2017年7月22日(土)13時30分~16時
ところ:岡山市勤労者福祉センター5階体育集会室
7月22日(土)、岡山市社会保障推進協議会の総会記念として、NPO法人医療制度研究会理事長の本田宏さんが講演しました。本田さんは介護・医療崩壊の深層と再生の処方箋と題して、権力の構造や日本人の支配に対する弱さなどを解明。その帰結として医療費抑制がすすむ実態を詳細に語りました。先生は福島県郡山市の出身です。近くには二本松市があり会津白虎隊で有名。若い頃はパイロットになりたかったそうですが、お母さんに反対され、医師になったそうです。
会津藩は幕末に戊辰戦争で負け、明治政府から冷遇された。したがって、今でも県立医大しかない。日本は医師不足であり諸外国と比べて極端に少ない。WHO加盟国で63位、OECD加盟国ではビリから4番目と解説。それでも比較的西日本は医師数が多い。それは薩長が戦争に勝って、早くから医学部ができたことと関係があると説明。
安倍首相は介護離職ゼロなどと言ったが、現実は10万人も離職、女性が多い。岡山は7000人も施設への待機者がいる。これが現実だ。自分の母親が認知症になって埼玉県で施設に入れようとしたが空いている施設の利用料は入所時に500万円、月々29万500円だった。介護制度の劣悪さで毎年57件が倒産している。保育も一億総活躍社会とされながら入所できない状態、大学の学費も私立大が131万円、公立が81万円だ。諸外国ではイギリス43万円、フランスが2.1万円。年金の総合指数も世界27か国中26位で中国や韓国、インドよりも低い。さらに3.4兆円の削減でリニア―新幹線がつくられる。こうした事態を一般の人は知らない。伝え方も難しく、学習会をこまめにするしかないと強調しました。
なぜ、このように貧しい社会保障なのか?と切り出し、最近、厚生労働省の若手官僚「不安な個人、立ちすくむ国家」の論文を引用して、「手厚い年金や医療制度は必ずしも高齢者を幸せにしない」とする日経新聞の記事を紹介しました。そこで、NHKのトト姉ちゃんから、「日本の社会保障制度は長女も次女も3女も自助だ」として公助は最後にしている政府の政策を簡潔に冗談交じりに説明しました。2006年バレンタインの翌日に1通のFAXがきた。それは高岡義人という長崎大学の名誉教授からだった。高岡先生は、厚生省保健局長が1983年書いた「医療費抑制を目指す当時の厚生省は医療費亡国論」であり、医師過剰時代の到来を喧伝し始めたことを紹介してくれた。さらに資料をもらったことで、なぜ、日本の支配者が官僚主導・天下り構造になっているのか、官尊民卑になっているのか?について興味を持ち、明治維新から調べ始めてわかった。それは幕末から明治への改革は、アヘン輸出で巨利を貪っていた大英帝国ジャーマンマセソン商会が、幕末に長州ファイブという井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)らを1863年渡英させ、薩長同盟として坂本龍馬には武器と船を与えたことが始まりだったとしました。その代理店が長崎のトーマス・ブレーク・グラバー(グラバー邸)だった説明。したがって、歴代の総理は伊藤博文など薩長の家系であり、支配のルーツがあると話しました。今、日本はアメリカの支配下にあり、日米合同委員会が日米関係を決めている。
日本国民の7割がメディアを信用している。医療は政治がすべて。政治を変えなければ社会保障は成り立たないと締めくくりました。
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とき:2017年7月21日(金)12時15分~
ところ:中国電力岡山支社周辺
7月21日(金)金曜イレブンアクションに24人の参加でした。とにかく暑い。さすような熱さに焼かれそうです。集合場所は日陰でいいですが、行進中はほとんど太陽の直射でヒリヒリします。
7月15日、漁業者が「風評被害の元を断ちたい」再稼働反対海上デモを行いました。玄海原発3、4号機の再稼働に反対し、15日に新松浦漁協が行った海上デモに参加した刺し網漁を営む桑下康博さん(47)は再稼働について「なんにもいいことはない。心配事が増えるだけ」と話しました。「一番気がかりなのは風評被害だ。事故が起きれば、放射性物質の流出にかかわらず、魚の価格に多大な影響が出ると思う。最近、テレビで魚の寄生虫アニサキスが取りあげられると、魚価が落ちた。アニサキスなんて昔からいた。もしこれが原発事故だったら……。風評被害の元を断つためにも、原発は動かさないほうがいい。それが一番」と思うと話されました。その通りですが、私は命の問題として考えてほしいとも思いました。もちろん、漁業者の皆さんには死活問題です。みんな立ち上がっています。私たちも頑張りましょう。
関西電力が社員の給与カット幅を見直すことが分かったそうです。福井県の高浜原発3、4号機が再稼働しましたが、8月からの電気料金値下げが決まったために、近く労働組合と協議を始めるそうです。社員にも「メリットを還元する」と言っています。関電は、2013年に電気料金を値上げした際、社員の月給を5%程度カットすることで労組と合意しています。昨春には、家庭向け電力販売の自由化を控え、社員のやる気を高めるといった名目で、削減幅を2.5%に縮めていたそうですがどうするのでしょうか。結局、カット幅は5%に逆戻りするのでしょうか?地域の賃金相場が下がりそうだ。投資家に株の配当をするくらいなら職員に還元したらどうだろうか?原発を廃炉にしたら、さらに賃金をさげる方向に行きそうだ。
今日は替え歌で「海を越え ニューヨーク/国連 決めた~よ/世界のどこにも 持たせない/平和 求めて/話そう いらない/核の兵器は 悪魔の兵器さ/つくるな 核兵器(つくるな)/とばすな 核兵器(飛ばすな)/どこにも いらない/平和な 世界に/
みんなで 決めたよ」と国連での核兵器禁止条約採択を祝いました。
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7月20日(木)平和行進。
岡山市から早島町へのコースですが今日は県労会議の担当日です。弓田事務局次長を先頭に70人が行進しました。
出発集会の会場となった岡山市大供公園では岡山市の森安保健福祉局さんが、市長のメッセージを代読されました。毎年、同じ内容なので簡単に紹介しますが、岡山空襲の日が岡山市平和の日となっていること、S60年に平和都市宣言をしていることなどが盛り込まれています。残念なのは核兵器廃絶に対する市長さんの意向がなかなか表明されないことです。このあたりが他の自治体との違いです。局長さんからはペナントと募金が手渡されました。
県労会議の三上議長は県原水協を代表して、「平和行進も5日目。核兵器禁止条約が国連で採択された。大国が参加していない面もあるが転換点になっている。一方で安倍首相は世界の何処でも戦争のできる国にしようとしている。しかし、国民の支持は得られず、支持率は極端に下がっている。一緒に戦争反対、核兵器廃絶の声をあげましょう」と挨拶しました。
岡山市被爆者会の平末さんは、「今年も暑い夏がやってきた。一昨日は慰霊碑にお参りいただいた。物故者は764名となった。生存する被爆者も平均年齢が82歳となった。自分は24歳の時に岡山に来た。2年後に第5福竜丸の久保山愛吉さん(1954年月23日没)が亡くなった。あれから63年経って、日本国民の願いが世界を動かした。核兵器廃絶の願い実現が真直に迫っている。多くの国民が批准を願っている。しかし、核保有国はいまだに放棄する様子はない。使えない核兵器の製造、保有していることを危惧している。このままでは目を瞑るわけにはいかない」と話しました。
通し行進者の西田さんは、「滋賀県から来た。広島に向けて西へ西へと歩んでいる。サッカー選手の本田圭佑さんがメキシコの強豪クラブ、パチューカへ入団したが、背番号は2番で指2本のピース(Peace)だ。核兵器禁止条約は時期尚早だという評論があるが、被爆国日本が今批准しなくて何時するのだと思う。出来ないのなら政府を変えるしかない。批准は日本政府の務めだ」と強調し、西田さんが好きな笠木透の歌「平和のこよみ」を歌いました。「名もない人々よ、歌え、歌え。憲法が生まれて70年戦争せずに70年」と歌声を響かせました。
昼休み休憩はコープ大福です。職員さんが出迎えてくださり、コープの平和への思いを強く感じました。休憩時間に明治機械(会社)に努める2人の青年と話しました。お名前は備中君22歳、岡田君33歳です。平和行進2回目の備中君は労働組合の要請に二つ返事で参加したそうです。原水禁大会へは参加したことがないと言うので、強く参加をお勧めしました。被爆者のことや国連での草案採択は知らなかったと言います。それでも核兵器廃絶や平和行進には関心があったと話しました。誘えば気軽に参加する青年はいるのですね。西田さんは岡山の平和行進は青年が多いと感想を述べています。
行進は無事に早島町に到着。今日は中島君が行進団を立派にリードしました。感謝。
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と き:2017年7月19日(水)
コース:岡山市内
概 要
7月19日、国民平和大行進が岡山市内に入りました。岡山県庁を出発し、表町商店街、奉還町を経由して岡山市役所まで歩くコースで、90人が参加しました。
岡山県庁における出発集会では、県総務学事課・佐藤課長が、「核兵器廃絶を願う皆さんの行動は世界に波及している」と行進団を激励しました。また、四国平和行進のリレー旗を香川県原水協福井事務局長が全国通し行進者の西田さんに引き継ぎました。
西田さんは、「5月6日に東京を出発して今日まで歩いてきた。行進の最中に核兵器禁止の国際条約が制定されたが、日本政府は批准するつもりはなさそうだ。私たちの運動で批准するように頑張りたい」と訴えました。
表町商店街に入ると、実行委員会が事前にポスティングしていた募金の訴えと被爆者国際署名への協力がりました。3300円の募金と11筆の署名が寄せられました。
また、沿道から、「がんばって!」と多数のエールがありました。途中、岡山シティミュージアムに立ち寄り、岡山空襲資料館を見学しました。お昼休みをオルガホールでとり、出発の際には多数の生協職員が見送ってくれました。
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