岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

カテゴリ   活動日誌

と き:2018年8月10日(金)12:15~

ところ:中国電力岡山支社周辺

概 要

原発ゼロをめざすイレブンアクション実行委員会は、292回目となる抗議行動を行いました。今回の抗議行動には15人が参加し、原発ゼロ、再稼働反対を求めました。

中国電力は10日、建設中の島根原発3号機の新規制基準に基づく安全審査を原子力規制委員会に申請しました。建物や設備はほぼ完成しており、現在は安全対策工事を進めています。審査進捗によっては東日本大震災後初めて、新たに稼働する原発になる可能性があります。

行進団は、「原発推進は危険な政策だ。命と向き合え」とコールしました。


と き:2018年8月9日(木)12時15分~

ところ:岡山駅西口さんすて

8月9日最賃宣伝。3人でした。全国一律最賃制度を求めて宣伝しました。チラシは10枚も撒けません。年配の女性と話ました。看護師さんだったようです。「購買力を上げないと地域の経済はよくならない」と話すと「年金が下げられた、あまりに低い」と仰るので、「最賃の格差が広がり、岡山は807円になるが東京は958円となり、その差は249円だ」と地域格差を説明しました。

「このままでは地域・地方はますます疲弊する」と話すと共感されました。「どうしたらいいのか」と尋ねられるので、「安倍首相を辞めさせないと」と言うと「他にふさわしい人がいないでしょう」と返事。「安倍首相以外の野党はどうですか?」と話すと、今度は「力がない、民進党はダメだった」とどこかで聞いたような話になりました。「野党に力がないのはその通り。権限がないですから」「誰でも、今より悪くならないです。皆がそう言っていつまでも安倍氏を支持すると彼らはどんどん悪くなります。このままでは戦争になります。いま止めないと」と話しました。すると「そうね。災害の時も宴会をしていたとか、いい話を聞かないね」と同意。なんとなく意気投合しましたが、「多くの人はなんとなく安倍氏を支持しているんだろうな」と感じました。

高教組の仲間は教え子と話していました。赤ちゃんを抱えたその女の子は、「先生だと思ったが気がついてくれるか、心配だった」と笑いながら話しました。。「ある、ある」と私も共感しました。彼は「覚えていますよ。特に優秀な子は印象深い」と持ち上げました。それは本当でしょう。先生は意外と生徒さんのことをよく覚えています。いろんな出会いがあります。話すきっけは様々ですが「最賃制度にも関心をもっていただかないと」と思い、最賃のリーフレットを渡しました。


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とき:2018年8月8日~のスケジュール更新

新しいスケジュールはココ8月8日~9月3日県労会議スケジュール

 


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とき:2018年8月2日(木)18時~

ところ:勤労者福祉センター4階

8月2日、種子法の学習会です。全国食県連から事務局長の舘野豊さんが講師として来てくれました。お話では広島の原水爆禁止世界大会の途中に寄っていただいたとのことです。

毎日が平和運動、災害対策、TPP問題と目まぐるしく変わりますが、これも労働組合ならではの多様性です。舘野さんはとてもやさしく、ゆっくりとお話する方でとても聞きやすく、胸に落ちる内容でした。

舘野さんは昨年5月に食健連の事務局長に就任されたそうで、それでも東京は5年目になるそうです。全国農協労連・岩手の出身であり、「東日本大震災でお世話になった。今度は西日本豪雨災害ではお返しをしたい」と岡山の被災に対して心を寄せました。

グローバル企業は食料ビジネスで「どう儲けようか」と考えている。食料を支配して農業の産業化をすすめている。そうすれば人を支配できると考えているようだ。国内でもホンダ、ワタミ、日産化学、住友化学、キリンビールが代表例だ。世界的にはモンサントが遺伝子組み換え種子で、気候や風土に適した種子の多様性を破壊している。

安倍首相は戦後レジームからの脱却を掲げているが、農業の家族経営を多国籍業のために壊そうとしている。家族経営は企業が参入しにくい仕組みであり、規制改革推進会議を利用しながら企業的農業への転換をはかろうとしている。

政府は食料政策からどんどん手を引き、コメの直接支払い交付金と生産調整制度を廃止してしまった。一方で市民には安全な食料が必要ならお金を出せと言わんばかりに、食の安心と安全、安定供給を放棄して自己責任とした。企業に対して主要農作物種子法、卸売市場法、水道法などで国民の命と、安定した食料供給の仕組みを廃止してしまった。農業協同組合に対しても「農家所得が上がらないのは農協組織があるからだ」と言わんばかりの異常な「値段を下げろ、株式会社にしろ」などのバッシングをしている。普通、生産物の値段を、車も同じだが政府が「値を下げろ」などとは言わない。

私たちは種子法の廃止について注意深く考える必要がある。種子法は「コメ・大豆・麦の優良な種子を安定的に生産し、普及するために国の果たすべき役割」を定めている法律であり、都道府県が良質な品種の選定や、原々種および原種、一般種子の生産と安定供給に責任を持たせるための法律だった。これを国は「国の管理をする仕組みが民間の品質開発意欲を阻害している」として法律を廃止した。つまり企業が儲からないと露骨に言っている。それは単に民間企業と言うよりはTPP11をはじめとした自由貿易を主張するグローバル企業のためだった。簡単に言えば外国企業の参入促進のためだ。

それでは私たちの食料や食卓はどうなるのか?安定供給のコストはすべて生産者と消費者に上乗せされる。資本力の大きな企業に種子を握られ、種子の価格が自由に値上がりするという異常な社会を迎えることになる。

卸売市場法の改悪も同じで、本来、市場に持ち込まれる生鮮食料品は「卸業者」を経て「仲卸業者」に販売される仕組みだ。さらに目利きとするブランド力で、食料全体の価格の安定を下支えてきた。ところが「卸業者」が直接スーパーなど商社に販売できるようにした。大量仕入れで、優位な価格で取引される結果、価格も自由となり安定供給という仕組みは崩壊する。そうなれば漁業者も不当な買いたたきで収入源となる。メジャーが市場を独占して食料支配が強まる。商店街は食料品が回らなくなって廃業に追い込まれる。

こうして種子法の廃止や卸売市場法の改悪は、その地域に生き・暮らすことを困難にする仕組みだ。さらにTPP11は国民の未来を奪う重大で危険な協定であり、何故、日本政府は国内農業を大切にしないのか?と疑問に思うだろうが、元は国連が大規模農業をすすめ、日本はアメリカに逆らえない仕組みから脱却できていない。食料を守ろうとする運動は全国に広がり、野党も復活のための共同提案をしている。そうした運動が政府と国民の矛盾をいっそう深めているとしました。

世界は家族農業に戻ろうとしている。国連は2014年を国際家族農業年とした。改めて家族農業が見直されている。

 


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とき:2018年8月1日(水)18時~

ところ:岡山市勤労者福祉センター4階

 

8月1日、県災対連は、広島県災対連から川后和幸さんを招き学習会を開きました。この学習会は岡山県災対連の結成が7月14日でしたが、その後は平和行進などもあって十分な活動ができていませんでした。参加団体の中にはすでにボランティア活動を始めている人もいます。今日も10回以上ボランティア活動をされている人も今日参加されました。

災対連の活動を長期の運動としてとらえ、ボランティア活動だけでなく、被災者とともに災害救助法の支援拡充や市民・県民の命を守る対策を広くとらえて活動しようとするものであり、広島に教訓に学ぼうとするものです。学習会には23人が参加、講演後も8人が発言。質問と熱心な討論が行われました。

冒頭、災害対策で岡山入りしていた大平喜信前衆議院議員が挨拶をされました。大平さんは「心配された台風が去り、豪雨災害から1カ月を迎えた。再び岡山で活動している。被災者の方々は夜も眠れない避難生活をされている。マンパワー総動員で家屋に溜まった泥や被災した家財を出す活動が続いている。河川に設置された土嚢から決壊した河川の傷跡が分かる。連日地方議員と走りながら行政に対策を求めているが、倉敷市の伊藤市長も最初は消極的だった木造仮設住宅に前向きになっていることに要請の成果も見える。暮らし、農業、生業をどう立て直すのか?支援活動は1カ月では終わらず、継続した活動が求められる」と自らの経験を振り返りながら災対連の結成を激励しました。

講演に立った川后さんは、2014年に広島県で土砂災害があった時に災対連を立ち上げボランティア活動をはじめたとして、「見通しをもって始めたわけではないが、災対連があることで住民の要求運動ができる。住民の納得と実態に見合った支援こそ求められる。支援金、仮設の入居条件、全壊半壊で大きく違う支援金、被災者を主人公としてどう運動を広げるかが課題」としました。「広島の災害は土砂災害であり、残酷な被害を残した。川を、道を一本隔てて災害地域とそうでない地域が分かれた。生活の再建はどうやればできるのか?災害救助法で受けられる支援は何か?を知っておく必要がある」として、そのためにも災対連の活動は、「被災者の支援活動と被災者を真ん中に据えた生活再建、復旧・復興に向けた政策・制度要求運動がある」と活動の基本を説明しました。「社会福祉協議会と災対連の活動で決定的に違うのは、社協の場合は支援要請が直接被災者から要請されるが、災対連は自分で仕事を見つけなければいけない。しかし、社協にできるのは個人宅の支援であり、神社・仏閣・お墓・倉庫は対象になっていない。墓の掘り起こしでは大きな役割を発揮した」と災対連ボランティアの特徴を話しました。

「支援の聞き取りで難しいのは被災宅には人がいないことであり、何でも相談室などを開設、医療生協の組合員が被災地域にいたことがボランティア活動につながった。この運動を通じて、多くの組合員や仲間を守ろうと2カ月で3000人が結集した」として活動の難しさや工夫、運動の成果について説明しました。災対連の活動を記録し、広げることも重要であり、科学者会とも連携して作成された記録集や手引きをいただきました。感謝です。

参加者からは「どうやって住民運動にするのか?救助法の支援の格差をどう埋めるのか?センターの運営はどうやったのか?」などの質問が出ました。また、「生業や融資制度の拡充が必要。救助法を実態に応じて変えさせることが大事」などの意見も出ましたが、運動として被災者を前面に押し出した要請ができるのかがポイントだと分かりました。

小田川の氾濫について山陽新聞の記事が紹介され、記事は河川の雑木林が災害の原因になっていることを意図的に隠していないか?」などの意見も出ました。

ボランティア活動をしている方は「災害地域でボランティアの格差がある。どうすればいいのか」などの悩みも出されました。

今後、事務局で具体的な活動を工夫したいと考えます。お盆を過ぎれば倉敷真備町に支援センターを置くことができそうです。

それまではボランティアの組織や支援課題の把握、住民との繋がり、政治や人権、雇用、経済、河川の在り方、ダムの問題などの観点からこの問題を掘り下げる準備をしたいと締めくくりました。


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とき:2018年7月26日(木)9時~

ところ:笠岡役所~城見小学校~大津野石樋公園

7月26日国民平和大行進もいよいよ広島へ引き継ぎです。笠岡市役所前で行われた出発集会では70人が集まり、最終日を盛り上げました。

横断幕、コープに虹の旗、風船、そして団体旗で市役所前はとても賑やか。テレビカメラも来ています。

笠岡市の小林嘉文市長は「73年前の広島原爆で多くの方が亡くなった。核兵器は絶対に無くさなければと思う。米朝会談で核戦争の危機を脱してホッとしたが、世界には未だ多くの核兵器が存在している。内紛で戦争が続いている。平和でこそ国民の暮らしも守られる。この度の災害では笠岡市も被害に会った。対策本部長と今日も対応していく。暑さも厳しい中、身体に気を付けてほしい」と激励しました。栗尾順三市議会議長も同席され、行進団に紹介されました。

地元実行委員会を代表して井木守市議会議員があいさつ。「1958年前に平和行進が始まったが、私はその年に生まれた。今日は広島へ引き継ぐ行進。1945年ニューメキシコアラモード原爆は生まれ、アメリカ・トリニティーで最初の原爆実験が行われた。今日は原子爆弾投下命令が下った日でもある。朝鮮の非核化など歴史的な歩みが始まっている中での平和行進の意義は大きい。笠岡市は6月の議会で請願が不採択となった。運動でこうした核兵器容認の動きを跳ね返し包囲していきたい」と決意を述べました。

 

コープで平和運動をしている小林恵子さんは「昨年は広島を訪問、今年は焼津にも行った。8月7日は長崎を訪問する予定だ。学び原子爆弾をなくす運動を広げたい。笠岡市でも福山工業の学生さんを招いて原爆展をやる。ご一緒に頑張りましょう」と平和運動の大切さを体験から語りました。

行進の出発では市長・議長の2人が横断幕を持ち、一緒に歩いてくれました。最終日は細い道が続き、自動車の往来も激しいため、常に行進団の後ろから「車が来ます」と声を掛け続けるのは笠岡市職労の赤沢さん。途中、菅原神社で休憩。このコースでお会いするJMIUの長谷川さんが亡くなられたと聞きました。毎年、お元気な姿を拝見していましたがとても残念です。コープの皆さんの湯茶の接待に感謝。酷暑の中にあって、スポーツドリンクやチューブのアイスは行進団の身体の渇きを癒し、参加者は「美味しい、冷たい」と笑顔いっぱいに声を上げていました。

沿道からは城見保育園園児の熱烈な歓迎を受け、行進団は元気いっぱい。カメラにはボンボンを振りながら「頑張って」と歓声を上げる園児の姿が何枚も収まりました。「ありがとう子ども達」「園の先生方、毎年、感謝」と何度も声を掛けました。

城見小学校では地元実行委員会の皆さんが、冷たいおしぼりとそうめん、冷たいお茶やスポーツドリンク、そして飴などで大歓迎。テントも張ってあり、至れり尽くせりです。

本当においしいそうめん。何杯も遠慮なくいただきました。腹いっぱいです。

大津野石樋公園では広島に皆さんが出迎えてくれました。お互いにエールを交換、府中町議の二見慎吾さんともがっちり握手。前広島県労連議長だった川后和幸さんとは再開を喜び合いました。広島の皆さん、大会でまたお会いしましょう。


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と き:2018年7月25日(水)

ところ:金光支所~里庄町

7月25日(水)金光支所から里庄町のコース。猛暑の中、無理をすると危険と判断され24日から26日は午前中のみの行進となりました。

金光支所には約30人が出発式に集まりました。原田支所長さんが「核兵器廃絶を長い間訴えてきたが今尚、核兵器が多く存在している」と世界情勢に触れて、平和運動の大切さを強調されました。

地域原水協を代表して、総指揮を担当する桑野浅口市議が「猛暑の中、網の目行進が中止となった。豪雨災害で浅口市も被害に会ったが、平和行進は伝統を引き継いでいる。平和行進の生命力は浅口市にも受け継がれ、市内3中学では毎年、広島の原爆ドーム、資料館を訪、平和学習をしている。浅口市は平和市長会にも参加している。これからも平和行政推進のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。

高橋浅口市職労委員長も、「私事だが食中毒で昨日まで苦しんだ。酷暑の中にあって身体には気を付けてほしい」と行進者に注意喚起しました。

通し行進の南さん、五十嵐さんのお話が続き、行進団は一路、浅口市に向けて出発。谷口さんと中島君のリードで歌やコールに合わせて声を出しながら、車に乗る人もなく元気に行進しました。浅口市役所で休憩後、出発集会。松田副市長は「現在も核兵器は廃絶に至っていない。一歩一歩が8月の大会に向けて運動は大きく進んでいる」と行進団を励ましました。議会議長の井上さんは「政府の核兵器に対する姿勢はおかしい。それでも自民党は選挙になると勝っている。これもおかしなことだ」と心情を明かすと、参加者は大笑い。当然ですが、本音で話さない議長さんが多い中、政治への風刺にも聞こえるお話に、拍手ではなく笑い声が広がりました。

ここから総指揮のタスキを繋いだ沖原有美さんは「西日本豪雨災害にお見舞い申し上げます。6月議会で核兵器禁止条約の批准を求める請願が不採択になった。浅口市は2009年に非核都市宣言、平和市長会へも参加しているが残念だ。これからも非核の政府をめざして頑張りたい」と決意を語りました。

行進団は浅口市を離れ里庄町に向かいましたが、途中、一部の河川でノリ面が崩れているのを発見。豪雨災害の爪痕にため息が洩れました。

里庄町では加藤町長。平野議長さんをはじめ職員の皆さんが出迎えてくれました。加藤町長は「世界の平和への思いを広島に進める皆さんに感謝と敬意を表します。被爆73年、平和行進60年周年と聞きますが世界は未だに核兵器廃絶に至っていません。遠い核兵器廃絶への道のりになるかもわからないが、一歩の歩みが世界平和へ近づくと確信している。日本の憲法を守り人権を守る行政を進めたい。平和を町民とともに考える町政へ意識の啓発をはかりたい。国民の願いを広島に届ける皆さんにお礼と激励を申し上げたい」と話されました。平野議長さんは「平和行進は素晴らしい。世界の大国は今も核兵器を持っている。廃絶は言うがいっこうに無くならない。猛暑だが身体に気を付けてほしい」と話し、両氏からはペナントと激励金が贈られました。

地域実行委員会の佐藤町議は「昨年9月に請願が採択され政府に送られた。里庄町にも平和宣言の塔を建てるように申し入れている。受けていただけると思っている。運動は続けることで光輝くと確信している」と展望と決意を語りました。


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と き:2018年7月22日

ところ:倉敷市役所~水島支所~旧霞橋

7月22日(日)平和行進。倉敷市役所~水島支所~旧霞橋西詰のコースです。53人が参加しました。酷暑と言われながらも平和行進は休憩や給水で地域の皆さんに支えられながら、熱中症になることもなく無事に行進を終えることができました。

倉敷市役所では総務部部長の内海さんが災害対策で忙しい中、「倉敷市は今回の豪雨災害で甚大な被害を受けた。ボランティアなどの支援を受けて復興に向かっている。支援をして下さっている方々に感謝。33年前に倉敷市が平和宣言をしている。平和の核兵器を無くそうと行進されている皆さんに敬意を表します」と伊東市長のメッセージを代読されました。

倉敷市職労や職員に皆さんから心を込めた千羽鶴が行進団に贈られました。途中の水島支所でも倉敷職員や水島医療生協の皆さんから折り鶴が何本も託されました。

行進の休憩地点では、地域の皆さんが冷凍バナナとカルピス、冷たいトマトと紫蘇ジュース、最後は甘いスイカまで用意して迎えてくれました。脱水とは無縁の元気の出る清々しい出迎えに心癒される行進となりました。

途中の休憩所で総指揮の田口さんは、「自衛隊が真備地区の復興に来ているのは有難いが、何故迷彩服なのか、なぜ迷彩重機なのかと考えてしまう。消防団や災害救助隊は目立つ色の制服で支援活動をしている。自衛隊をアピールしているように思えてならない。復興作業が終われば自衛隊に感謝する催しが始まるのかと思うと心中穏やかではない」と国の災害対策ついて疑問だと話しました。「どうして政府は災害救助隊を編成しないのか?これだけ災害が増え、諸外国からも支援の要望があり、自衛隊がしなくても災害に特化した救助隊が必要では?」と、復興への複雑な心情が行進者の間で交錯しました。

行進者の池田さんは、地元ということもあって臨港鉄道が水害の避難所になっていること、天井川となっている高梁川のこと、さらに嘗ては海だった処にどうして人が住めるようになったのか?それは人が生活を始め、埋め立て、河川の整備をはじめたから。水島地域は扇状に平野が広がり、道路も放射状に走っていることなど、地域の特性と災害の関係について話していました。

行進は様々な人との出会いや地域の特性に触れる機会でもあると自覚しました。水島原水協会長で倉敷医療生協労組の脇本さんは「核兵器禁止条約に背を向ける安倍政権に批判が高まっている。災害で国民が困っているときにカジノ法案の審議に没頭している政権はおかしい」と批判しました。

今回の行進の醍醐味は「霞橋の行進」です。この場所での写真が一番絵になります。小さな女の子が総指揮のタスキを掛けて先頭を歩き、行進団が後に続く姿は圧巻です。もう酷暑のことなど頭にないくらいです。行進には様々な出会いと楽しみがあります。その一つ一つに人生の喜びがあります。平和行進は私たちの財産であり、大切な運動です。行進の最後に食べたスイカは格別の美味しさでした。


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とき:2018年7月20日(木)9時~

ところ:岡山市大供公園~早島町役場

7月20日(木)の平和行進は岡山市役所前の大供公園から早島町役場までです。

出発集会の会場となった大供公園には行進参加者51名が出発集会に臨みました。

豪雨災害で岡山市の対応がなく、大森市長のペナントが届けられました。

県原水協を代表して県労会議の三上議長が挨拶をしました。

三上議長は、「蝉は元気に鳴いている。16日は午後寒河から備前市役所のコースを歩いた。5回目の平和行進だったが年齢もあり、大変きつかった。皆さんも体調には気を付けてほしい。原水協の総会があり、富田先生(関西学院大)のお話を聞いた。小国が独自の平和運動で核兵器禁止条約にも貢献したという話を聞いて感動した。どこかのセクハラ問題を放置して、女性の活躍を言い続ける国の政権とは全く違う世界があり感動した。日頃の平和の活動、草の根の活動をささやかでも一歩一歩すすめたい」と決意を語りました。

岡山市被爆者会・平末氏は「行進団の皆様とは今日でお別れとなる。18日には東山の慰霊碑にお参りをしていただいた。被爆者会として、核兵器廃絶のために運動されている皆様に敬意を表したい。87歳の生涯まっとうできればとの思いでいるが、今日は山本幸三副会長とご挨拶に来た。読売新聞から電話があり、当時、爆心地から2kmの被爆の実態調査行われており、7月末にはデータが公開される。核兵器廃絶の運動から63年、今回は517万筆の署名を集めたが1000万の目標に向かって運動をはじめている。願いを染み込ませた運動としてさらに前進させたい」と行進団に期待を寄せました。

通し行進者の南友香佳子さんは「被爆者にどれだけ寄り添えるか?悩んだが願いは被爆者に届くと思う。豪雨災害で悲しい思いになった。自分は多様性の社会に生きることを望んでいる。青い空に核兵器を落とさせないためには一人一人の努力が大切。政府をもっと動かす運動をご一緒に進めよう。被爆者も高齢化で思いが届かないように見えるが、めげないで頑張りたい。前に進む勇気があれば道は開ける」と元気に運動への期待を述べました。

2人目の通し行進者・五十嵐成臣さんは「神戸からこのコースに参加している。四国から平和行進60年の歩く行動に参加できた。核不拡散条約から、昨年は禁止条約へと大きく世界は変わった。核保有国の妨害があり、日本が反対していることは許せない思いだ。今は扉に手がかかった状態。訴えが届くように頑張りたい」と行進への思いを語りました。

総指揮を担当した共産党の東市議は「核兵器をなくそうとの願いを安倍政権は分かっていません。願いを行進に込めて、声を姿にしましょう」と呼びかけました。

途中の休憩所で行進者の声を聞きました。

林精研労組から参加をされた4人の女性のグループには3人の子どもさんを連れたお母さんも参加されています。

岩本さんは「先輩に誘われた。平和行進や世界大会のことがあったが初めて歩いた。友達や知人に核兵器の実態や世界の動きを知ってもらうことが核兵器廃絶につながると思う」と初めての平和行進に期待を込めました。

馬井さんは「広島の資料館に行ったことがある。特に被ばくした人は皮膚を垂らして歩いている人形はショックだった。行進は3回目だ」と体験を話しました。

内田さんは「子どもたちに原水爆禁止にについて知ってほしいと思って参加した。お母さんがやっていることを子ども足しに伝えたいと思った。家族の中でもよく話し合う」とにこやかに話してくれました。

1人でスマホと向き合っている青年は笠岡から参加の増成さんです。「青年の間では学習会をやっている。今年は豪雨災害で思うようにできていない。政府は外国ばかりに行かないで国内のことをしっかりとやってほしい。今回の災害で3人が亡くなった。家族の中でも平和について話し合っている」と身近なお話をされました。


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と き:2018年7月13日(金)12:15~

ところ:中国電力岡山支社周辺

概 要

 

原発ゼロを目指すイレブンアクション岡山は288回目となる抗議行動を行い、酷暑の中13人が参加しました。

伊原さんは、「福島原発事故当時に福島県在住の18歳以下だった約38万人を対象にした甲状腺検査の結果を巡り、検査でがんが把握されていないがん患者が少なくとも11人いることが判明。福島県による検査では、2011年10月~2018年3月で162人ががん診断が下されており、集計から漏れているがん患者の存在が指摘されている」と報告しました。

参加者は、直ちに脱原発を実現しようと声を上げました。


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