岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

日付 2010年3月8日

とき:2010年3月8日(月)18時~

ところ:下田町児童公園 ~ 表町商店街 ~ シンフォニーホール

概要:日本山妙法寺の聖人さんが5月のニューヨークNPT再検討会議に向けて、今年の1月1日に沖縄を立って、6日に倉敷で出迎え、8日PM18時に岡山市内を行進することになりました。公園から表町商店街を通って、シンフォニービルまで平和行進を行いました。お坊さんは「人類の脅威をなくするの務め、困難ではあるが平和を願って行進しています」とお話しされました。県労花田議長は「憲法とは相いれない核兵器をなくすために運動しています」とあいさつして、別れました。聖人さんは9日の朝9時に県庁を出発して東京に向かわれます。9条の会の石井代表は「人数は少ないが、厳粛な気持ちでアピールできた。訴えは書きものでしっかり見ていただけたと確信した」と話しました。

下田町児童公園で記念撮影をしました。

3月9日AM9時、県庁前にて見送り式を行いました。

聖人は「核兵器廃絶に向けて微力だが、継続していくことが力になる」と挨拶されました。原水協を代表して、中尾さんは「草の根の力をどれだけNPT総会に結集するかが廃絶に向けてのカギとなる」と、それぞれの見解を示し、「お互いに力を尽くしましょう」と約束しました。

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とき:2010年3月7日10時30分~

ところ:岡山県立図書館研修室

概要:2001年1月7日に100人が参加して「子どもの権利を確立し、民主教育をすすめる岡山県民の会」が結成されました。結成総会では「岡山の子どもの姿を発信してほしい」「地域の人が主役に」「教育の課題をわかりやすい言葉で広げていくことが求められている」「1団体では限界があり県民の会に期待している」などの要求や期待とともに、「上からの教育改革に対置して私たちの教育改革の中身として政策提起が大切」「多くの教育関係団体と手をつないでネットワークづくりを」などの声を背景に、20人の運営委員会会体制で出発しました。教育基本法が2006年に改悪され、管理教育が進められ中で、学校現場では子どもと教師のストレスが頂点に達し、学力一辺倒の教育に翻弄される状態が生まれています。

教育情勢や課題、相談活動もできる教育ネットワークを作ろうと運動を発展させようとの声が高まってきました。運動を発展させてセンターを設置することになりました。

設立総会の様子(手前が難波先生)

とき:2010年3月6日(土)13時~

ところ:岡山駅ビックカメラコンビニサンクス前

概要:ニューヨークNPT再検討会議まであと2カ月と迫ってきました。岡山県原水協は3月6日(土)、定例のアピール署名行動を岡山駅ビックカメラコンビニサンクス前で行いました。この行動には青年11名をを含む16名が参加して36筆の署名を集約しました。午前中は雨が続き、署名活動の可否が心配されましたが平井事務局長の英断で決行したところ、雨は止み、急きょ連絡して集まった青年とともに30分の宣伝・署名行動を行いました。学生さんや若い人たちが署名に協力してくれました。カンパもいただき、平和は青年が切り開くことを実感しました。

子どもたちからも積極的な署名をいただきました。花田議長は子どもに受けがいい。

雨上がりの署名行動は30分後に連合の宣伝カーが来て、優先権を主張され、やむなく30分で終了し増した。

とき:2010年3月5日18時30分~21時

ところ:此花会館(大阪市此花区西9条)

集会名:NTT11万人リストラ大阪訴訟勝利報告集会

概要:2010年3月5日に大阪の此花会館において表記集会が開催され318名が参加し勝利を祝うと共に、「50歳退職・賃下げ再雇用」の廃止に向け闘う決意を固めあいました。NTT11万人リストラは国鉄の分割民営化に次ぐ、労働者に最大の犠牲を押しつける国家権力を用いたリストラ攻撃でした。同時に退職・賃下げ再雇用に同意しなかった通信労組組合員に長距離・無期限の配転を命じました。

  九州・中国・四国から大阪・神戸に配転された4名と大阪・神戸から名古屋に配転された19名合わせて23名の原告団になり訴訟を起こしました。

 裁判係争中にも関わらず、岡山に一番に返し引き続き大阪、兵庫、京都、徳島、香川の戻すという画期的な成果を納めました。そして今回、大阪から名古屋に配転のあった17名について「業務上の必要性は認められず、配転そのものが違法であった」という大阪高裁判決が確定しました。(12月8日に最高裁が上告棄却)

 2002年3月10日に岡山で通信労組岡山支部を結成、5月13日に通信労組の佐藤組合員を見せしめのために大阪に不当配転、その後の訴訟に対して、県労会議は毎年ストの支援やカンパなどに取り組んできました。佐藤さんは04年1月1日に大阪から岡山に裁判の原告でありながら「家族の介護という道義的配慮から」岡山へ再配転を勝ち取っています。その後07年7月に「業務見直しで大阪配転」をちらつかせたが、岡山県地域人権連など「介護のある人を配転させるな」の要請をはじめ支店へのFaX・要請行動などの反対闘争を取り組み地元新聞にも取り上げられました、こうした世論の中で再び不当な配転をしようとしましたがこれを止めました。

 報告集会で岡山の佐藤さんは「1次訴訟で岡山に帰った事を報告し、皆さんの支援に感謝」の言葉を述べました。

 この集会には関係する県労連が招かれ、大阪、京都、兵庫、愛知、香川、岡山の議長が一言づつあいさつをしました。私は「佐藤さんが岡山に帰った後、再び大阪配転をちらつかせたとき、地域の労働者、民主団体の皆さんと支援しやめさせたこと。今回の勝利は争議を闘っている多くの仲間をはげますもの。お今後この力を多くの労働者のために発揮していただく事など」を内容にしたあいさつをさせていただきました。

 通信労組は新しい仲間を迎える等組織の拡大に力を注いでいる事、さらに非正規労働者の組織化も進んでいる事が報告され、組織強化が何よりの反撃になっています。大変元気の出る集会でした。(文責花田)

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