11.12人権と文化のつどい
0 Comments | Posted by kiyoshi in 人権と文化のつどい, 前川喜平 |
と き:2017年11月12日(日)13時30分~
ところ:岡山コンベンションセンター
人権おかやま主催の「前川さん大いに語るin岡山」に参加しました。会場のママカリフォーラムには620名が参加、ほぼいっぱいでした。
前川喜平氏は夜間中学、義務教育、新設学部問題について憲法にそった教育方針ついて、教育基本法の観点から話を進めました。
講演の前に「岡山県にも夜間中学をという運動をあるのを知った。これを励ます意味でも夜間中学が何故、求められているのかを説明したい」と切り出しました。夜間中学は義務教育の最後の拠り所であり、憲法と教育は重要な関係にある。憲法を実現するための教育基本法であり、憲法26条には大切な条文であり、「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」とある。旧憲法にはない規定だ。今の教育は国民主権の下、人権、生存権、労働基本権、社会権が認められている。社会権は国家に対して求める権利のことで19世紀までこの権利はなかった。最初はワイマール憲法だったが脆弱だったためにヒトラーを生んだ。アメリカの憲法には社会権はない。あるのは自由権であり、過度な自由が銃を持つ権利を与えた。そこに武器を持つことが正義とする思想があり、核兵器廃絶を否定している。我が国がこれに付き合うことはない。戦争は違法化された。1928年に不戦条約が結ばれ、国連憲章にも定めてある。アメリカほど公然と他国に対して戦争を仕掛けている国はない。教育は憲法の実現を保障している。憲法の理念を教育によって実現する。それは個人の尊厳であり、自由平等、幸福追求権など、個人を大切に個人を上回るものはなく、それぞれの人生と思いを大切にするのが憲法だ。そのために内心の自由、思想の自由を認めている。その点、国家公務員は不便だ。人権がない。公務員としてやりたくないこともやった。教育基本法の改定もやりたくないことをさせられたと思っている。しかし、心の自由は売り渡したくなかったが役人として言いたいことが言えなかった。大臣レクチャーと言うのがあり、国会議員の質問の前にどんな質問をするのかを聞いて、その日の内に回答を書き大臣にレクチャーするわけで、なかなか質問が決まらない議員もいる。朝の5時ごろになることもある。ある時、教育勅語について聞かれた。1948年に失効確認がされたものであり、教育理念として使うことはできなかった。しかし、その理念を曲げて、「教育理念として使うことは差支えない」と言わされそうになったのでどうして言えなくて、「考えられます」と言い換えた。しかし、大臣は気に入らなかったのか「差支えない」と言い切った。魂を売り渡してはいけないと強く感じた瞬間だった。戦争は個人の尊厳を踏みにじるものであり、平和主義は当然だと思う。同じように国民主権も当然だ。憲法は権力者を縛るものであり、国民は憲法を通してそれを実現しており、それが立憲主義だ。これを守り育てているのが教育の力だ。国民の学習権も憲法26条が保障している。学習権は社会権だと話しました。
子どもの学習権については、「国は教育に過度の介入をしてはいけない。なぜなら国会は多数決で決まるところ。多数であっても事実は曲げられない。真理は学問の自由を保障しているからだ。道徳や日の丸の押し付けはいけない。人権は人が人であるための権利であり保障されるべきもの。それは国民だけではなくすべての人に対してであり、外国籍の人に対しても保障されるべきもの」としました。さらに、教育は受ける権利であり、義務を課しているのは親だ。だから親は学校に入学させる。だが、学校に行きたくない子もいる。全国で13万人もの不登校が記録されているが、子どもを無理やり学校に行かせることはない。教育を受けり権利は放棄できる」と詳しく説明しました。その上で、「教育は個人にも丁寧に能力に応じて提供する義務は国にある。だから多種多様な能力に応じた教育や指導が必要になっている。いじめや教員の理不尽な指導があるのに学校に行くことはない」と力説しました。
前川氏の印象はTVで見たままで誠実な人でした。いわゆるエリートらしくなく、それでいて憲法や教育基本法をすらすらと反復する能力は優れている。憲法を教育実践に生かす能力も素晴らしい。加計学園や森友学園問題で忖度が有名になったが、前川氏が言うように官僚の内心を捻じ曲げ、国家権力の思うままに官僚を動かすことが如何に日本を誤った方向に導くのかを逆に気付かされる講演でした。