日付 2011年10月11日
と き:2011年10月11日(火)13:30~
ところ:勤労者福祉センター4F
概 要:
194県民アクション実行委員会は福島から岡山県に避難されて来られた、杉岡洋子さんを招いて懇談会を行いました。
杉岡洋子さんは、「3月11日はちょうど中学3年生の長男の卒業式が行われていました。私は小学校の教員として働いていますが、その日は息子の卒業式のため仕事を休みました。卒業式終了後、先に私と夫は車で帰ることにし、帰りの車の中で地震に合いました」と震災直後を振り返り、「私たち夫婦はすぐに離れたところに子どもたちのことを心配しました。私たち夫婦には小学校に通う次男と娘もいるのでそちらを先に迎えに行くことにしました。小学校で二男と娘を見つけることができ、その後、長男も夫が無事に見つけてきました」と話しました。
福島第1原発が爆発事故を起こしたことを受けて、「原発事故後、25km圏内は避難・自宅待機と勧告されました。しかし、チェルノブイリでは35km圏内は今でも放射能汚染により危険とされています。私はこのことを知ったとき、子どもたちに被ばくの恐れがあると感じました」と放射能汚染による恐怖を話しました。その後、3号機が爆発事故を起こしたとき、杉岡洋子さんは子どもたちに放射能の恐ろしさについて説明し、「被ばくをしてもう助からないかもしれないけど、逃げることをせず、笑顔で頑張ろう」と子どもたちに福島に残ることを促しました。しかい、長男に、「オレはイヤだ。死にたくない。オレだけでも逃がしてくれ!」と言われ、子どもたちだけでも福島から避難させることを決意したと涙ながらに話しました。兄弟を頼って東京へ行った杉岡洋子さんたちでしたが、「東京も放射能汚染の危険がある」と言われたことから、親戚のいる静岡へ行くことにしました。静岡では浜岡原発反対の運動が行われている真最中でしたが、静岡でも地震が発生し、危険を感じた杉岡洋子さんたちは友人を通じて岡山県に避難することができました。
最後に杉岡洋子さんは、「現在は岡山でも仕事に就くことができ感謝の毎日です。しかし、福島での生活のすべてを投げ出してきたような気がしてならず、今でも葛藤しています。原発事故による汚染は全てを引き裂きます。私は、当事者でないみなさんが原発反対の運動・被災地の福島の子どもたちを助ける運動を行っていることはとてもすごいことだと思います。これからもがんばってください」と激励しました。
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ところ:天満屋アリスの広場前
概 要:
震災発生から本日で7ヶ月が経過しました。野田内閣は政争に明け暮れ、大企業優先・アメリカの追従の政治を強行しています。原発維持を宣言するなど、国民の思いは政治に届くことなく、住民本位の震災復興がなされているとは言えません。
県労会議は毎月11日を「イレブンアクション」デーと定め、震災からの復興と原発からの撤退を求める運動に取り組むことにしました。
本日の宣伝には10人が参加し、「ふくしまの子どもたちを放射能被害から守るため」の署名23筆を集めました。伊原事務局長は、「現在、学校や幼稚園などの除染は徐々に行われています。しかし、子どもたちが過ごすのは学校や園舎だけではありません。地域全体の除染が必要です。そのためにも専門家の助言を受けるなどして、1日でも早い除染に取り組んでもらいたい」と署名への協力を呼びかけました。「今回の原発事故は、地震・津波対策の強化を求める警告を無視し、原発は安全だという安全神話に固執したために起こった人災です。事故直後、どれだけの子どもたちが被ばくしたのでしょうか。今でも、線量は低いとはいえ、被ばくは続いています。政府は直ちに人体に影響はないとしていますが、実に無責任な発言です。検査・治療が受けられる体制を国の責任で整え、事故さえ起らなければ発生しなかった被害・損害の賠償を求めます」と力強く訴えました。
本日はシールアンケートも行いました。アンケートには13人が協力してくれました。原発に反対と答えたのは12人でした。「原発に対する不安は何ですか?」という質問に対して、「政治が信用できない」、「人体への影響」がそれぞれ5人と最も多く、続いて「首相が頼りない」が4人という結果でした。今回アンケートには高校生、大学生が中心になって協力してくれました。3.11の東日本大震災以降、若い人の間では政治への不信感がいっそう高まっているということを感じさせられました。
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