岡山県労働組合会議

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日付 2011年5月30日

とき:2011年5月29日(日)

ところ:三木記念ホール

概要:

長野県上田にある「無言館」館長窪島誠一郎さんの講演が行われました。講演で窪島誠一郎さんは自身の半生を振り返りながら無言館設立の経緯を話ました。

講演をする無言館館長窪島誠一郎さん

無言館を作った経緯について、「いまから30年ほど前の夏、野見山暁治さんが作った〝祈りの画集″という一冊の本に出会ったことです」とされました。この画集には戦争の犠牲になった画学生の絵が収められています。しかし、窪島誠一郎さんはその画集の絵からは何の感動もなかったと言いました。しかし、その本を作った野見山暁治さんには強い興味を抱いたとのことでした。窪島誠一郎さんが野見山暁治さんに話を聞いたとき野見山暁治さんは「あの当時でさえ痛んでいた彼らの絵が今どうなっているのか気がかりだ」と述べました。その言葉はまっすぐ窪島誠一郎さんの心に響きました。いてもたってもいられなくなり野見山暁治さんのもとを訪ね、「まだ間に合います。先生の仲間の絵を探しましょう」と訴えたそうです。しかし、野見山暁治さんに、「君は自分の言っていることに責任が持てるのか。第一君には戦争体験がないではないか」といわれ門前払いを受けてしまいました。窪島誠一郎さんは「私にも戦争の記憶がありました。しかし、戦争で私は苦労したことはありません。苦労したのは私の両親です。戦争で何の苦労をしたのかと問われると沈黙するしかありません」と話しました。それから約4か月間、手紙を書き続け、ようやく野見山暁治さんから協力を得ることができたそうです。「いまでも私は、あの時どういう気持ちで野見山暁治さんのもとを訪ねたのかはわかりません。そのとき私が考えていたことは自分が生きてきた50年間のことではなかったかと思います。私は世の中カネだと思って生きていました」と館長窪島誠一郎さんは当時を語りました。

 講演を聞いて、野見山暁治さんに対する窪島誠一郎さんの憧れを感じました。野見山暁治さんの〝祈りの画集″に出会い人生が大きく変わることになった窪島誠一郎さんは、心のどかで野見山暁治さんを追い続けているのかもしれません。戦争の犠牲になった画学生の声に耳を傾けることで、自分の人生のすべてをかけることのできる何かを見つけたいとの思いが無言館設立につながっているのではないかと思います。

県労会議・弓田盛樹

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とき:2011年5月28日(土)

ところ:勤労者福祉センター

生協労組おかやま、生協関連・一般労働組合は組織拡大月間スタート集会を開催しました。講演では昨年まで埼玉労連議長をされていた、原冨悟さんのお話を聞くことができました。

原冨悟さんは埼玉土建の大宮支部で9年間活動。その後埼玉労連の議長を務めました。現在は議長の座を退き、顧問として日夜奮闘されています。埼玉土建は1971年に4,000人の組合員がおり、現在は75,000人の組合員がいます。埼玉労連は発足当時は86,000人の組合員でした。その後、一時期最高13万人を超えたこともありましたが、現在は12万人ほどの組合員となっています。

前埼玉労連議長(現埼玉労連顧問)原冨悟さん

原冨悟さんは「数は力です。人は集まれば元気が出ます。そして数が多いほど影響力は大きくなります」と自身の経験を踏まえて労働組合発展の要を述べました。また、「今回の東日本大震災で多くの人がボランティアに駆け付けています。そのことから人間には連帯するという本性があることがわかると思います。今求められている組合像は、誰でも気軽に参加でき、参加して楽しい・希望が湧く組合だと思います。仲間が増える、友達が増えることが楽しいと思えるのが組織拡大活動です」とし、「人間の集団だからこそ変化・発展します。だからこそ組合員一人ひとりを大切にしなければなりません。活動の時だけの仲良しではなく、日常的な仲良しになることが大切です」と話しました。

終始楽しそうに話していた原冨悟さんですが、多くの苦難を経験されているはずです。大変なことや苦しいことを楽しく語ることができるような組合活動を展開していきたいです。

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