岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

カテゴリ   平和

と き:2011年10月6日(木)12:15~

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

  原水爆禁止岡山県・岡山市実行委員会は、秋晴れのもと核兵器の廃絶を求める宣伝と署名活動を行いました。本日は18人が参加し、署名11筆を集めました。

 原水爆禁止岡山県・岡山市実行委員会の平井代表は、「核兵器全面禁止に向かって具体的な協議へと足を踏み出すことは、ほんの一部の核保有国が決断すればすぐにでも可能です」と話し、「秋の国連総会の核軍縮問題の審議が10月3日からはじまりました。最大の焦点は核兵器禁止条約の交渉に速やかに踏みだすことです」と訴えました。日本政府は核兵器禁止条約の交渉には消極的態度をとり続けています。この点について平井代表は、「日本は国の安全をアメリカとの軍事同盟、とりわけアメリカの核の傘下に求める対米追従の姿勢があります」と話しました。「日本政府に対してアメリカ追従路線からの離脱を宣言し、国連総会で核兵器禁止条約の交渉開始の提案を行うなど、被爆国としてふさわしい役割の発揮を求めましょう」と締めくくりました。

 国連総会が核兵器禁止条約の即時開始と速やかな締結への合意を生み出せるように、日本政府と世界各国に働きかけましょう。ぜひ、「核兵器全面禁止のアピール」署名に協力してください。

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とき:2011年10月4日15時~

ところ:議会棟205応接室

概要:

10月4日、米軍機の低空飛行問題で県労会議など4団体7名が岡山県に対して、県民の生活と安全を守る立場からの飛行禁止を求めました。この申し入れは、9月26日午後2時45分頃に岡山県南の人口密集地を米軍機が2機、西から東に轟音と共に低空で飛び去ったことを受けて、政府と在日米軍に飛行禁止と3月に起こった津山市内の民家の土蔵崩壊事件に対して早急に損害賠償をするように岡山県に求めたものです。申し入れは岡山県労会議、岡山県平和委員会、平和・民主・革新をめざす岡山の会、安保破棄諸要求関越岡山県実行委員会が連名で行いました。

申し入れ書を手渡す花田県労会議議長

この申し入れに対応した危機管理室の小倉危機管理課課長は、「県民から情報が寄せられ国に伝えている」と話しました。参加者から、「県は国と米軍に抗議すべき。低空飛行という認識があるのか?問題に対する認識は如何か?」等の質問が相次ぎましたが、小倉課長は、「国に伝えている」との返事を繰り返しました。また、3月発生した津山市の民家の土蔵崩壊に関しては、「国には早く返事をいただけるよう催促している」と話しました。事件後6ヵ月も経過して本人にも県民にも何らの説明もなく政府の対応は無責任であり、県がしっかりと要請を行うよう再度申し入れました。

話し合いの様子

県革新懇の氏平さんは「県に責任は重い。県民の生活といのちを守ることは危機管理室の重要な任務であり、国と米軍に対して厳しく意見を言って欲しい。沖縄県でできていることがなぜ岡山でできないのか。低空飛行かどうかも県が調べるべきではないか。県民は怒っており、この声に応えるのが責任だ」と厳しく危機管理室の姿勢を追求しました。

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と き:2011年9月9日

ところ:天満屋アリスの広場前

概 要:

 まだまだ残暑が厳しい中、憲法改悪反対岡山県共同センターは天満屋アリスの広場前で宣伝・署名行動を行いました。本日は12人が参加し、署名19筆を集めました。

 県労会議の伊原事務局長がマイクを取り、「いま憲法9条を中心とし、憲法の改憲論が浮上しています。戦争の放棄を宣言し、平和を誓った憲法9条は日本が世界に誇るべき憲法です」と話し、「アメリカは米軍再編を行い、日米同盟を拡大・強化しようとしています。アメリカが引きおこす戦争に日本が参戦するために、自衛隊を戦争のできる軍隊に変えること。日本を戦争する国に帰ることが憲法9条を改憲することの目的です」と憲法改憲論の背景にはアメリカの軍事政策があることを示しました。また、伊原事務局長は、「憲法を改憲し、天皇を元首としようとする意見まで出ています。憲法9条の改憲と合わせ、まるで戦時中の日本に逆戻りをしようとしているかのようです。とても恐ろしいことだとは思いませんか。憲法を守り、平和な世界を築くための署名に協力お願いします」と道行く人に訴えました。

 署名に協力してくれた人の中に岡山空襲の被害に合われた人がいました。戦争は2度と繰返してはいけないと署名に協力してくれました。

反対に、憲法9条は変えなければいけないという人もいました。理由を尋ねると、「中国と北朝鮮が侵略してきたときにはどうするのか」と言われました。しかし、そのような根拠はどこにもありません。現在、テレビなどマスコミを通じて、中国・北朝鮮に対して恐怖を煽るような報道がされています。いま必要なことは、テレビでの報道によって憲法改憲を判断するのではなく、冷静に世界を見つめることです。世界の流れは「国連憲章にもとづく平和の国際秩序」であり、「干渉と侵略、戦争と抑圧」に未来はありません。

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と き:2011年9月6日(火)

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

 原水爆禁止岡山県・岡山市協議会は核兵器廃絶を求める署名と宣伝を行いました。本日は12人が参加し、署名27筆を集めました。

 岡山県原水協・平井事務局長は、「世界の圧倒的多数の国々が、核兵器のない世界のために行動を開始しています。世界118ヶ国が参加する非同盟運動や、東南アジア、アフリカ、南アメリカ、南太平洋など地球を覆う非核兵器地帯の国々などの国家連合が運動の先頭に立っています」と核兵器の廃絶は全人類の希望であることを伝え、「民主党が政権交代を果たして2年がたちます。普天間基地に関して最低でも県外に移設すると発言したにも関わらず、在日米軍は抑止力、日米同盟は不可欠とアメリカにものをいうことができませんでした。政府が自民党主導から民主党主導に変わっても何も変わっていません」と訴えました。「私たち国民の草の根の運動で世界を変えることが可能です。この署名は国連のパン・ギムン事務総長も支持している国連公認、世界共通の活動です。世界の仲間と一緒になって核兵器廃絶に取り組みましょう」と署名活動への賛同を求めました。

 署名をしてくれた人の中に被爆者の方がいました。被爆により左上半身に重度の火傷を負い、とても辛い思いをしたと話してくれました。また、初めは署名をすることためらっていた2人組の高校生は、署名の内容と核兵器の恐ろしさを説明すると、「そういうことなら」と署名に協力してくれました。

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とき:2011年9月4日(日)13時~15時30分

ところ:玉野すこやかセンター

概要:

9月4日(日)、玉野・灘崎母親大会が玉野市すこやかセンターで開催されました。会場は参加者でいっぱいの約50人が集まりました。集会では十河育子会長が挨拶をした後、県労会議事の伊原事務局長が「原発事故とどう向き合うのか」というテーマで講演を行いました。大会では7月に広島で開催された第57回日本母親大会の参加報告がされ、最後のプログラムではアコーデオン伴奏による参加者全員の歌声が響きました。十河会長はその挨拶の中で、「前日の台風では玉野市も避難勧告が出され、冠水で苦労された方々もいる中で大会に参加していただき感謝している。7月3日には津山で岡山県母親大会が開かれ、玉野からもバス1台35人が参加した。日本母親大会には、のべ26名が参加をするなど力を入れてきた。1955年に世界母親大会が開かれ、子どもを核戦争から子ども達を守ろう、という呼び掛けに応えて、一度も欠かすことなく日本母親大会が開かれている。玉野・灘崎母親大会も1986年以来、欠かすことなく開催され、今年で26回を数える」と話されました。

挨拶をする十河育子会長

 講演では伊原事務局長が、「原発の構造を説明しながら、原発を誘致すると自治体行政は原発交付金頼みとなり、人権意識が薄らぎ、雇用対策も熱心で無くなる。多くの原発労働者が被曝をして癌で無くなっている」等の実態を詳しく説明しました。

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と き:2011年8月23日(火)

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

 空模様が怪しく雨が降りそうでしたが、安保条約破棄岡山県実行委員会は宣伝と米軍基地強化に反対する署名をしました。本日には7人が参加、署名19筆を集めました。

 中尾代表がマイクを握り、「日本全国にある米軍基地の3/4が沖縄に集中しています。普天間基地は市街地の中心にあり、住民は耐えがたい騒音、事故の危険に絶えずさらされています」と力強く訴えました。日米同盟が強化されようとしていることについて、「政府は中国や北朝鮮の脅威をもちだし、日米軍事同盟強化を正当化しています。また、オスプレイの配備計画については県民の間で強い反対と怒りの声が上がり、沖縄県議会は撤回を強く求める抗議決議と意見書を全会一致で可決しました。米両政府のやり方は、戦争ではなく外交で問題を解決するという世界の流れに反しています」と訴えました。

 署名に協力してくれた女子学生は、「基地を作ることで沖縄の豊かな自然が破壊されていることが許せません」と話してくれました。沖縄本島の北部の大半を占めるヤンバルの森は、貴重な動植物が生息する自然の宝庫として知られています。その豊かな自然環境も米軍基地があることで崩壊しています。また、沖縄のジュゴンは絶滅危惧種と言われています。ジュゴンが生きる海は、さんごと海草が豊かに保たれて、生物多様性に富む海です。沖縄は無人島ではありません。米軍基地の早期撤退と環境保護を同時に訴えましょう。

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と き:2011年8月7日~9日

ところ:長崎市民会館体育館・文化ホール

概 要:

8月7日から9日の3日間、原水爆禁止世界大会の本大会が長崎で開催されました。長崎大会には7800人が参加し、会場は盛り上がりを見せました。

7日の開会総会では、うたごえのみなさんによる「原爆を許すまじ」の合唱が行われました。また、開会総会執行議長である全日本民医連の藤末守さんは「東日本大震災による被災地でも核兵器禁止・廃絶、自然エネルギーへの転換を求めて平和行進が行われました。被災者本位の復興。福島原発事故からの1日も早い収束と自然エネルギーへの転換を求めともに連帯しましょう」と参加者に呼びかけました。

 長崎市長は、「東日本大震災に続く原発事故はノーモアヒバクシャを訴え続ける長崎市民に大きなショックを与えました。なぜ被爆国である日本で再び放射能による悲劇が繰り返されたのか私自身疑問でなりません」とし、「原発は絶対に安全であるという安全神話が国民を思考停止に状態にしていたとするなら、核兵器は使われないという神話があり、世界の多くの人々を思考停止にしているのではないでしょうか。福島原発事故のように取り返しのつかない状況になってからでは遅いのです」と会場に訴えました。

その後、被爆者からの訴え、国連・政府代表者の発言が続きました。大会参加者は「社会動かす力の根源は人間一人ひとりです。私たちの運動は小さいかもしれませんが、決して無力ではないのだ」と連帯を強めました。

2日目は各分科会に分かれて集会が行われました。青年企画として「青年のひろば」が開催されました。全国から100人を超える青年が参加し、パネルディスカッションと被爆者訪問に分かれて学習を行いました。パネルディスカッションでは岡山県から竹永さん、東京から新屋さん、ノルウェーからラースさんをゲストして、討論形式で集会が進みました。

竹永さんはユーモアを交えながら、「あるとき祖母から、広島で原爆に合い、被ばくした事実を聞かされ、自分が被ばく三世であると知りました。何かしなければならいと思い、平和行進に県内通し行進者として参加しました。それ以降、平和活動に取り組みようになりました」と話しました。新屋さんは、「世界大会に初めて参加し、被爆者の話を初めて聞きました。そのとき被爆者の方と戦争をなくすこと、あらゆる兵器をなくすことを約束しました」と話し、「昨年NPT再検討会議に参加し、パンギムンさんの話を直接聞くことができ、あなた方の力が必要ですと言われたときに自分が必要とされていると思ったことが平和活動に参加するきっかけになりました」と述べました。ラースさんは、「今回初めて世界大会に参加しましたが、青年が多いことにとても驚かされました。私が所属している核兵器廃絶を目指す団体では、青年を対象としたコンサートを開き、核兵器の廃絶を訴えたりしています」と話しました。

参加者から「どうしたら青年が平和運動に関心を抱いてくれるのか」という質問が出され、竹永さんは、「みんな色々なところで色々なことに取り組んでいます。活動をしているのは自分だけではありません。肩の力を抜いて、目の前のことを一つひとつ積み上げることが運動を広げていくと思います」と話し参加者から共感を得ました。

今回「青年のひろば」に参加し、青年の多さに驚きました。また、青年同士の交流を通して各団体の取り組みを聞くことで、いい刺激を受けることが出来たのではないでしょうか。

 3日目の閉会総会では、被爆者、各被害者が、「私たち被爆者は被爆者として生きていくしかありません。被爆国である日本で、原発事故によって再び悲劇が繰り返されたことは本当にショックです」と訴えました。

東日本大震災による被災地からは、「東日本大震災からの復興にはみなさんの協力が不可欠です」、「原発・核兵器に依存しない世界を作りましょう」との訴えには、盛んな拍手が起こりました。

原発とエネルギーの問題について愛媛大学伊方原発を考える会の中山さんから訴えがありました。中山さんは、「私は長崎で生まれ育ち、原爆を中心とした平和教育を受け、核兵器・戦争は絶対に許せないと思ってきました。しかし、原発に関しては怖いけど仕方がないと思っていました。これは私個人の意見ではなくい若者全体の意見ではないでしょうか。若者は今、原発は怖い。しかし、原発がなければ生きられないのではないかというジレンマの中に生きています。このジレンマを突破するには真実を知ることです」とし、「私たちは原発立地県として伊方原発を考える会を発足しました。学習を重ねていく中で、今の人間の技術では原発は使えないこと。自然エネルギーを最大限に活用していくことが今の現実には則していることを知りました。一部の人の利益を優先するのではなく、精一杯生きている私たち国民を守る社会をつくりましょう」と力強く話し、会場からエールが送られました。

フィナーレでは参加者全員で「We shall overcome」を合唱しました。

今回の世界大会には被災地からも多数の人が参加していました。核兵器廃絶、戦争のない平和な世界を求める思いを共有すると同時に、被災地に連帯した大会になったのではないでしょうか。

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と き:2011年8月5日~6日

ところ:広島県立総合体育館・グリーンアリーナ

概 要: 

 8月5日から6日の2日間、Peace Peace おかやまを通じて47人の青年が水爆禁止世界大会・広島大会に参加しました。

気分は遠足(笑)

被爆者証言を聞く会が開かれ、各県から合わせて100人以上の青年が集結しました。

松尾さん、中西さん、森本さんの3人から当時の惨状を話してもらいました。

中西さんは決して忘れることのできない経験として、「必死の思いで逃げていると瓦礫の下から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。顔は火傷により黒い風船のようになっていました。名前を聞くとなんと私の同級生で友達でした。私にはどうすることもできずその場を離れました」と話しました。

松尾さんは、「爆風で飛ばされ気が付いたら瓦礫の下でした。やっとの思いで這い出た私は、瓦礫の下に残された子供の救助に回りました。しかし、火の手が回ってきたので子供を残して逃げなければならなくなりました。これはとても辛いことでした」と涙ながらに話しました。

森本さんは、「何万人という人が原爆で亡くなりました。日本は被爆国として核兵器廃絶運動の先頭にいます。にもかかわらずどうして原発が日本にあるのか理解ができません」と訴えました。

また、原爆による被ばく患者にたいする差別について松尾さんは、「包帯を巻いて仕事をしていましたが、病気が移ると言われその場を退かなければならなくなりました。親しい友人はこっそりと食事をもってきてくれたりしましたがとても辛かったです」と話しました。

青年からは、「実際に話を聞いたことを忘れずに、運動につなげなければならない」、「原爆が投下された事実を伝えていかなければいけない」などの感想がありました。

 その後、平和委員会の谷口さんを先頭として、原爆碑めぐりを行いました。

案内をする岡山県平和委員会の谷口朋美さん

 翌日、原水爆禁止世界大会・広島デーが開催されました。各国で核兵器廃絶運動に取り組んでいる団体の代表者から発言があり、「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアヒバクシャ」と決意を改めました。

参加した青年は、「貴重な経験になりました。平和に対する意識を高めることができました」、「世界各地での運動を知ることが出来て感動しました」との声がありました。

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とき:2011年8月3日~5日

ところ:広島県広島市文化交流会館3階銀河

概要:

8月3日から3日間、日本原水協による原水爆禁止2011年世界大会国際会議が開かれました。

紹介される海外代表

初日には海外代表を含め250人が参加して討論がなされ、最終日には、核兵器禁止条約の即時交渉開始を求める宣言が採択されて閉幕しました。

潘基文国連事務総長のメッセージを代読するセルジオ・ドォアルテ国連軍縮上級代表

潘基文国連事務総長のメッセージはココ2011.8.5潘基文国連事務総長のメッセージ

採択された国際会議宣言はココ2011.8.5国際会議宣言

5日の最終日には、セルジオ・ドォアルテ国連軍縮担当上級代表が参加をして。潘基文国連事務総長のメッセージを代読すると同時に、会場からの質問にも応え、「軍縮問題に関する皆さんの運動に敬意を表する」と述べました。国際会議会場では「福島の原発事故を踏まえて、原子力技術の未熟さと危険性が明らかになった」(デイブ・ウェブ・イギリス・核軍縮キャンペーンCND議長)とする発言や、「原子力を地球規模で段階的に廃止すれば、核兵器廃絶の力になる」とする海外代表の(ティム・ライト・核兵器廃絶国際キャンペーンオーストラリア担当理事)の発言に共感の拍手が響きました。度々、日本を訪問しているジョゼフ・ガーソン(アメリカフレンズ奉仕委員会)さんは、「米国政府が日本を苦しめていることに怒りを感じている」としながら、「核廃絶条約の交渉を勝ち取るチャンスは軍事費を減らそうとする社会運動の中にあり、これまでの活動領域を超えて核廃絶の緊急性について教育活動を行っている」と話しました。また、マリオン・キュプカー(ドイツ平和協会・戦争抵抗者同盟国際コーディネーター)さんは、「ドイツのビュヒェル核兵器配備基地にはアメリカの核爆弾が20発配備されている。2010年までに核兵器のないドイツをスローガンに核爆弾の撤去キャンペーンンを繰り広げてきた。ドイツ連邦会議では核爆弾撤去賛成の決議が全会一致で採択された。福島原発事故は原子力論争にも転機をもたらした」と述べました。

中尾元重岡山原水協代表理事と片寄直行松江市議

片寄市議は島根原発の稼働停止・廃止を求めて発言しました。

伊原県労会議事務局長と片寄市議(実は学生時代の先輩になります)

3日の初日に主催者を代表して日本原水協代表理事の沢田昭二さんが、「核兵器全面禁止のアピール国際署名に、潘基文国連事務総長と世界各国首相、ノーベル平和賞受賞者をはじめ、国内1000人以上の自治体首長・議長が賛同している。昨年12月の国連総会では核兵器禁止条約の交渉開始を求めるマレーシア提案に加盟国の3分の2が賛成した。核兵器を持つわずかな国が決断すれば交渉は今すぐ開始できる。福島第一原発事故で大量の放射能汚染が懸念されている。原発から撤退して核エネルギーの誤った使用から人類を解放しなければならない」と挨拶しました。

日本原水協代表理事・沢田昭二さん

被爆者を代表して日本被団協事務局次長の児玉三智子さんは、「広島の被爆者だ。娘を昨年がんで亡くした。原爆の被害は66年を経過した今でも被爆者を苦しめている。被爆者の証言に耳を傾けて周りの人に話してほしい」と訴えました。

日本被団協事務局次長・児玉三智子さん

松井一実広島市長は、「こころから歓迎する。核廃絶のために平和市長会議に加盟する4800を超える市と連携して2020年までの核兵器廃絶に向けて全力をあげる」と歓迎の挨拶を送りました。

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とき:2011年7月30日(土)~31日(日)

ところ:広島県総合体育館(グリーンアリーナ)

概要:

 第57回日本母親大会が7月30日、広島県立総合体育館で開催され、全国から8500人が参加しました。全体会では被災県の岩手から70人、宮城80人、福島100人の参加が紹介されると、会場からは盛んな拍手が送られました。原発事故・放射能被害に苦しむ福島県の若いお母さんの涙の訴えに、参加者は「原発とこれ以上の放射能被害は許せない」と共感と共に連帯の拍手に包まれました。

大会実行委員長の高田公子さん(新日本婦人の会・会長)

大会実行委員会代表委員の高田公子さん(新日本婦人の会・会長)は主催者あいさつの中で、「大震災を通じて、国民の政治を見る目は大きく変わってきた。社会のきずなと連帯の力は地域の中でしっかりと根付いている。震災と原発事故への取り組みは子どもの未来を本当に守ることが出来るのか、今を生きる母親の責任を痛感させられる。命を守るため、核も基地のいらない日本へ、青い地球、日本国憲法を子どもたちにしっかりと手渡そう」と訴えました。会場では被災地への募金が訴えられ350万が集約されました。

広島の実行委員会作成のバックスクリーン

よく見るとメッセージで構成されています。

さらに近寄ると

「核と世界の子ども達」と題する歌と朗読の構成詩劇(地元広島)は感動をもって、称賛の大きな拍手が会場に響きました。反貧困ネットワーク事務局長の湯浅菜誠さんは記念講演の中で、「人間らしい社会は誰がつくるのか?」と問いかけ、「ないものをつくり、生きられる条件、社会をつくりましょう。社会が疲弊している。未婚率49%は異常。1年間に3万人も自殺しなくてもよい社会を」と話し、そのやわらかい語り口と、人柄からにじみ出る笑顔に魅せられ、会場からは共感の拍手が大きく広がりました。

湯浅誠さんのサイン会は長蛇の列に

歌手のクミコさんが特別参加して、3月11日の大震災に講演途中に遭遇した経験を交え、「INORI~祈り~」など2曲を歌われ、参加者にはCDのプレゼントと同時に、震災復興支援のクミコ募金が訴えられました。

各地の活動が紹介されました。来年は新潟です。(こいて~!新潟)

この後、参加者は市内パレードを行い、「ノーモアヒロシマ・ノーモアフクシマ」と訴えました。

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