8・5~6 PPO主催:原水爆禁止世界大会バスツアー2017
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8月5日(土)~6日(日)、原水爆禁止世界大会青年バスツアーが企画され、38人の青年が参加しました。主催は「Peace Pieceおかやま」で今年で10年目となりました。
広島に到着すると、被爆証言の聴き取りを行いました。お話をしてくれたのは波田保子さんです。波田さんは、「日本は戦争に負けるのではないかという雰囲気が高まる中、山県郡にあるお寺に集団疎開することになった。7~8歳だった私は泣いてばかりだった。原爆投下された8月6日は、先生に連れられて竹藪の中に逃げた。その後、先生たちが家族調査を行うために広島市に入ることになり、広島の惨状を聴かされた。それ以来、私たちは毎日門前で迎えを待つようになった」と当時を振り返りました。父親が波田さんを迎えに来てくれたのですが、「はじめはそれが父だとはわからなかった。父は友人の家で原爆に合い、かなりの重傷を負っており、服は焼け焦げ、肌はやけどで腫れていたからだ。私を連れて帰る途中で父は体調を壊し、そのまま救護所に運ばれた。急性原爆症だった」と語りました。
波田さんは卒業後、高等学校に行きたかったのですが、家庭を支えるためにゴム靴工場に就職しました。「両親は日雇いで働いていたが、父は原爆の影響から体が思うようにならず、働けないこともあった。それでも、父としての威厳を保とうとする父が嫌いだった。早く家庭から抜け出したい思いもあり、5歳年上の男性と結婚した。夫とは何でも話し合え、私を受け入れてくれた。やっと、幸せな家庭が築けると思った矢先に、会社が倒産してしまった。苦労しながら、私は福島病院に勤務することができた」と当時の苦労を語りました。
波田さんは病院勤務をするようになってから社会に目が向くようになり、「福島病院には原爆症の患者がたくさん来る。すべての命は平等であることを痛感した。今だからこそ、父も原爆症で苦しんでいたとわかり、その時の父の気持ちがわかるようになった」と話しました。
最後に、「私は世界から核兵器がなくなるまで訴え続ける。核兵器禁止条約の批准を日本政府は否定している。これからは、批准するようにと署名を集めることが大切だ」と政治のあり方を変えることを訴えました。
感想交流では、「自分の父を受け入ることができなくなったのも原爆があったから。核兵器はあらゆる人間関係までも破壊する」「核兵器の恐ろしさを身をもって知っている被爆者の闘いが戦争を防いでいると思った」「波田さんは淡々と語るが、背景には様々な思いがあるはず」と語られました。
原爆の子象前で記念撮影
折り鶴を奉納