岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

カテゴリ   県民運動

と き:2011年9月11日(日)

ところ:岡山県総合福祉会館

概 要:集会の様子はこちらのサイトからご覧になれます→http://www.ustream.tv/channel/iwj-okayama1(サイトをスクロールすると矢印が出ます。Yahooから検索するとUSTREAMにジャンプします)

  3.11東日本大震災による原発事故を受けて、様々な形で原発から撤退を求める運動が起こっています。いま、国民の77%が原発からの撤退を望んでいると世論も明らかになっています。岡山県でも原発からの撤退を求め、労働組合・民主団体・県民が連帯して立ち上がりました。

司会は民主青年同盟岡山県委員長の真鍋彩紀さん

 原発ゼロをめざす9.11県民集会実行委員会は、写真家・郡山総一郎さんを講師に招いて「原発ゼロをめざす9.11県民集会」を開催しました。本集会には700人が参加し、大きな反響を得ました。会場では東日本大震災救援募金を、10,881円集めることができました。

集会開催に当たり、実行委員長の花田雅行さんがあいさつを行い、「3月11日から6ヵ月が経過し、大変つらい状況が続いています。本日の集会は原発ゼロ目指すという一点で多くの団体のみなさんで実行委員会を作ってきました。今後また皆さんがと一緒に、原発ゼロをめざす運動を継続させたいと思っています」と今後の運動の発展への意欲を示しました。

福島県から岡山県まで非難してきた、中手日子さんから発言がありました。中手日子さんは、「初めは福島県から避難することに抵抗がありました。しかし、子供のことを考えると避難せずにはいられませんでした」と話し、「岡山県に避難してきた当初はとても不安な日々でした。しかし、周囲の人に励まされ、元気づけられました」と涙ながらに訴えました。

郡山総一郎さん

 郡山総一郎さんは「フクシマ・残された故郷は何を語るのか」と題して、自身の撮影した写真を紹介しながら講演を行いました。郡山総一郎さんは、「私は地震発生から2時間後には東北に向けて出発しました。私が、現地入りしたときは震災直後ということもあり、まだ捜索が行われていませんでした。とても悲惨な惨状でした」と震災直後の状況を話しました。「私は福島県浪江町で取材をしました。町に入った瞬間奇妙さを感じました。街灯や家の中の電気はついているのに人が全くいない。町の中にいるのは動物だけというとても不気味な光景です」と話し、「20~30のマイクロシーベルトという放射線量の高さに驚きました。また、酪農家の方たちが避難していないことにも驚きました」と住民の置かれている環境に触れました。最後に郡山総一郎さんは、「福島から東京に帰った時、温度差を感じました。東京は地震・津波・原発事故はなかったかのように動いています。しかし、本日の集会にこれだけの人が集まったことに国民の問題意識の高さを感じます。原発の問題は直接命に関わる問題であるため、もっと神経質になるべきです。私はこれからも福島を取材することを通して、私にできることをしていきます」と集会参加者を励ましました。

 講演後、日本科学者会議岡山支部を代表して榊原精さんから原発に代わる新しいエネルギーについての提案がされました。その後、集会決議案が発表されました。

 集会終了後、パレードが行われました。

各々工夫を凝らしたプラカードを持参し、パレードに参加している様子がうかがえました。パレードには多くの青年が参加し、原発からの撤退を求めて歌を歌うなど、活気にあふれるパレードとなりました。若い力が前面に発揮され、新しい運動の幕開けとなりました。

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とき:2011年9月4日(日)13時~15時30分

ところ:玉野すこやかセンター

概要:

9月4日(日)、玉野・灘崎母親大会が玉野市すこやかセンターで開催されました。会場は参加者でいっぱいの約50人が集まりました。集会では十河育子会長が挨拶をした後、県労会議事の伊原事務局長が「原発事故とどう向き合うのか」というテーマで講演を行いました。大会では7月に広島で開催された第57回日本母親大会の参加報告がされ、最後のプログラムではアコーデオン伴奏による参加者全員の歌声が響きました。十河会長はその挨拶の中で、「前日の台風では玉野市も避難勧告が出され、冠水で苦労された方々もいる中で大会に参加していただき感謝している。7月3日には津山で岡山県母親大会が開かれ、玉野からもバス1台35人が参加した。日本母親大会には、のべ26名が参加をするなど力を入れてきた。1955年に世界母親大会が開かれ、子どもを核戦争から子ども達を守ろう、という呼び掛けに応えて、一度も欠かすことなく日本母親大会が開かれている。玉野・灘崎母親大会も1986年以来、欠かすことなく開催され、今年で26回を数える」と話されました。

挨拶をする十河育子会長

 講演では伊原事務局長が、「原発の構造を説明しながら、原発を誘致すると自治体行政は原発交付金頼みとなり、人権意識が薄らぎ、雇用対策も熱心で無くなる。多くの原発労働者が被曝をして癌で無くなっている」等の実態を詳しく説明しました。

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と き:2011年8月19日(金)

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

原発ゼロをめざす9.11県民集会実行委員会は、集会参加を呼びかけると同時に、原発からの撤退を求める署名を集めました。21人が宣伝に参加し、署名4筆を集めました。

実行委員会を代表して県労会議の伊原事務局長がマイクを取り、「今回の原発事故は想定外とは言えません。原発の危険性を指摘する学者の意見は一切無視し、点検漏れや事故を隠ぺいするなど、原発利益共同体による利益の優先の構図が招いた人災です」と力強く訴えました。「国民の大多数が原発からの撤退を望んでいるにも関わらず、政府は自分たちの利権のために原発からの撤退に踏み切りません。国民の安全よりも自分たちの利益を優先するような政府を許すわけにはいきません」また、原発に反対する意見や主張が規制されることについて、「私たち国民の世論と原発に依存した政府との闘いです」と話しました。

本日は宣伝に合わせて、原発に関するシールアンケートを実施ました。若者を中心として積極的に声掛けを行ったところアンケートに21人が協力してくれました。21人中19人が原発に反対であると回答し、「原発に対する不安は何ですか?」という問いに対しては11人が「人体への影響」と回答し、6人が「政府・菅首相が信用できない」と回答しました。

今回のアンケート結果から、原発事故以降、「人体への影響に関する不安」だけでなく「政治への不信」が浸透しつつあることが判明しました。また、アンケートに協力してくれた方の大半が若者であることから、若者を中心に「今の政治はどこかおかしい」、「何とかしなければ」という意識が徐々に共有されつつあるのではないでしょうか。

 私たち国民一人ひとりが声を上げ、世論の力によって社会を変えることができます。自信を持って運動に取り組みましょう(^-^)

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とき:2011年9月11日(日)13時30分~17時

ところ:岡山県総合福祉会館1階ホール

概要:

 3つの原子炉から同時期にメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が飛散して福島県民8万3千人が避難生活を強いられる最悪の事態が今なお進行中です。

集会の案内チラシはココ2011.9.11チラシ

岡山県労会議では原発エネルギーからの離脱を考える学習会を呼びかけています。

学習会の講師を無料で引き受けます。ご連絡先は℡086-221-0133です。遠慮なくご連絡ください

8月19日昼休みに行った宣伝と原発に関するシール投票

私たちは、今回の原発事故が想定外の地震などではなく、原発利益共同体による利益の優先の構図が招いた人災が原因だということを認識しています。政府と電力会社は安全神話をふりまきました。その結果、危険性を指摘する住民や良心的な学者の声には耳を傾けず、点検漏れや事故を隠し続け、国際条約にも違反して第3者機関としての規制委員会設置を怠ってきました。また、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故にも学ばず、安全対策を怠ってきたことが福島第一原発事故の原因です。私たちは、あらためて原発と国民生活は両立できないこと、原子力エネルギーに依存する社会は生命を脅かし、社会を崩壊させる過酷な事故に巻き込む危険性があると再確認しました。核分裂を制御する技術は未確立で核エネルギーの暴走を止めることはできず、原発事故がおきれば、地球全体に悪影響を及ぼし、数十年単位の長い時間、放射能に苦しむ人々を作り出してしまうことも目の当たりにしました。世界有数の地震大国である日本で、原子力発電所を存在させ続けることは困難です。原発ゼロをめざす国民合意を作り出し、政策として決定させ、着実に、計画的に、そして迅速に原子炉廃止に向かうことを政府と電力会社に迫る全県民的な運動が必要になっています。全国的な原発廃止運動が巻き起こっています。それぞれの団体や個人の「原発ゼロをめざす」の一点で思いを共有し、「9.11原発ゼロをめざす県民行動」を成功させ、県民世論をリードする大きな一歩をご一緒に進めましょう。

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と き:2011年7月17日(日)9:30.~

コース:備前市役所~東区役所

概 要:

 2011年5月6日に東京夢の島を出発した平和行進は本日で23日目を迎えました。本日は35度を超える暑さの中、県内行進で最長の距離となる備前市役所から東区役所までを歩きました。

JMIUの仲間

午前9時に備前市役所で出発式が行われ、職員の方々からは、「連日猛暑が続いていますが、暑さに負けずに歩き抜いて下さい」と激励の言葉をかけてもらいました。また、平和行進を支援するカンパを備前市役所からいただきました。

その後、県内通し行進者の弓田盛樹さん(県労会議)と中務愛子さん(医労連)が出発に際して挨拶をしました。弓田盛樹さんは、「僕は広島県の出身です。大学生の頃は平和サークルなどに参加し、平和問題に取組んでいました。今でも平和への思いは変わっていません」と平和の願いを込めて歩くことを伝えました。横断幕を掲げ先頭を歩きました。中務愛子さんは、「猛暑が続いていますが、暑さに負けないくらい平和への熱い思いを伝えます」と話しました。

 全国通し行進の石崎忠雄さんと県内通し行進者の2人を先頭に、行進団は、「核兵器をなくそう!」、「戦争をなくそう!」、「基地はいらない!」と元気よくシュプレッヒコールを行いながら歩きました。ときおり歌を交えながら行進をしていると、沿道の高校生や中学生など若い人たちが手を振って応えてくれました。

小さな参加者もいました

 午後4時50分、無事に目的地である東区役所に到着しました。県労会議青年部のメンバーも参加してくれ、本日の行進を通して結束力が強まったことを感じました。

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とき:2011年7月16日(土)12時30分~

ところ:備前市寒河

概要:

7月16日、国民平和大行進が兵庫県から岡山県に引き継がれました。引き継ぎ場所となった備前市寒河には岡山県原水協の仲間120人が兵庫県の行進団80人を出迎えしました。今年の平和行進は、東日本大震災で日本中を放射能汚染の恐怖に陥れた福島第1原発事故で、核廃絶の世論が世界的にも大きく盛り上がる中で行われ、「これ以上被爆者をつくってはならない、と言う思いを政府に届けよう」と、梅雨明けの猛暑の中ですが引き継ぎ集会には作年以上(昨年は100人)の参加が見られました。

寒河に到着した兵庫県の行進団

司会の平井さんに紹介され、兵庫県原水協の西岡さんが、「兵庫県は梅雨と梅雨明けの猛暑の中で行進を続けた。16年前の阪神淡路大震災では、どさくさにまぎれて、救援と称して入港しようとした航空母艦インディペンデンスデイの入港を阻止して非核神戸方式を守った経験から、この闘いの前進を訴えたい」と話しました。

兵庫県原水協の西岡さん

岡山県を代表して河重ひろ子さんは、「兵庫県の皆さんお疲れ様でした。今年の世界大会は、昨年のNPT再検討会議の成果をさらに大きく前進させる重要な大会となる。アピール署名を訴える中で嬉しい経験をした。今までは署名をしても無理かと思っていた人が、運動が前進してうれしい。原発をゼロにする運動にもつながる、と言う声を聞きました。新しいアピール署名をさらに広げましょう」と訴えました。

歓迎のあいさつをする河重さん

全国通し行進の石崎忠雄さんは、「5月6日に東京夢の島を出発して今日で72日目となる」と話し、出身県が神奈川県であることから、「横須賀の米軍の海軍基地があり、ジョージワシントンという航空母艦が停泊している。原始炉を2つも積んでおり、事故が起きないという保障はない。核の脅威をなくしたい」と訴えました。

全国通し行進の石崎忠雄さん(72日目)

今年は県内通し行進者として、中務愛子(県医労連)さんと弓田盛樹(県労会議)くんが、元気よく通し行進の決意を述べました。中務さんは、「昨年行進に参加して、元気をもらった。今度は自分の番だと思った」、弓田くんは「何か貢献できないかと思っていたが、通し行進をしないかと誘われ快く引き受けた」とそれぞれが平和への思いを語りました。

県内通し行進者の中務さん(右)、弓田くん(左)

横断幕が引き継がれました。

さあ、出発です。

日生支所では、ペットボトルに入った募金が県内通し行進者の中務さんに手渡され、行進団は疲れを吹き飛ばすように大きな拍手を送りました。また住吉神社では地元、憲法9条を守る会の皆さんが、湯茶の接待で歓迎してくれ、飴やチョコレートが振る舞われました。午後1時に寒河を出発した行進団は4時50分に備前市役所に無事到着しました。太陽が照りつく猛暑の中での行進でしたが、原発事故でこれからの日本を支えるエネルギーの源だと思うと、ありがたくも思える暑さでした。

と き:2011年6月30日11:00~

ところ:岡山県庁

概 要:

7月1日の本会議に「国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議案」が審議されることになっています。同案は自民党が提案し、「県、教育委員会、その他あらゆる機関において、国旗掲揚と国歌斉唱を強く求める」としています。平和・民主・革新をめざす岡山の会は「思想及び良心の自由は、これを犯してはならない」とある憲法19条に反するとして、決議案に強く反対するとともに、採択しないよう申し入れを行いました。

大阪府では6月3日に橋下徹知事が率いる大阪維新の会が提出した「君が代」起立強制条例がまともな審議もなしに府議会本会議で「維新」などの賛成で可決しました。大阪労連など憲法、労働、教育7団体は民主主義と憲法を踏みにじる暴挙に怒り込めて抗議しています。いま大阪府の影響を受けて、岡山県でも同様の条例が制定されようとしています。

申し入れを行った中尾元重代表は、「国旗・国歌法が強行された国会審議の中でさえ、義務化するつもりはないとの政府答弁がされています。国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議案を本会議に提出し、採択された場合は相応の効力が発生します。これが何を意味するか考えてください」と訴えました。

議案を提案した戸室敦雄自民党県議団長は、「私たちは強制をするわけではない。国旗掲揚と国歌斉唱を強く要望しているだけです」と開き直りとも取れる発言がありました。景山貢明公明党県議団長は、「みなさんが反対を求める申し入れに来られたように、賛成を求める住民運動もあります。私たちは自民党に追従して賛成したわけではありません。私たちは大きな道を歩いているのです。道幅が広いために右往左往しているように見えるだけです」と独自の判断で賛成したとしました。民主県民クラブ一井暁子議員は、「私たちはみなさんと同じ思いです。一緒にがんばりましょう」と協調姿勢を示しました。

格差の拡大、低賃金問題、ワーキングプアの増加、加えて3.11東日本大震災により閉塞感は増すばかりです。いま国民の間には〝強い政治家″を求める風潮が強まっているように思います。政府は東日本大震災からの復興を口実とした消費税増税、憲法改悪によりアメリカ型新自由主義経済により追従しようとしています。まるで権力を掌握したら何でもできると言わんばかりです。

みなさんの声を県労会議まで寄せてください。一人ひとりが声を上げることが、安心して暮らせる社会の実現と大震災からの復興につながります。県労会議は誰もが人間らしくまともな生活のできることを求め、これからも邁進していきます。

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とき:2011年6月18日(土)13時30分~

ところ:勤労者福祉センター

概要:

県労会議のパート・臨時労組連絡会は6月18日(土)、13時30分~勤労者福祉センターで第2回交流集会を開き33名が参加しました。記念講演では﨑本とし子(元岡山市議会議員)さんが、「震災対策を進めるために」としてお話しました。分科会では①非正規労働者の実態を川柳で遊ぼう、②事例から学ぶ労働者の権利、③運動経験者のおしゃべり会の3分科会で交流しました。

自らの被災地支援の経験を話す崎本さん

 﨑本さんは4月27日から仙台市宮城野区の岡田小学校にある避難所(約150人)の救護室の看護師として常駐された経験を話しました。「自衛隊の支援は4月末まで、食事は栄養面で不足している。ヘドロの混じった粉じんを吸って発熱したり、ジンマシンが出たりする人がいる。長期の避難生活は疲労の極限に達している。仮説住宅に入ると自己責任で食事の配給もない。仕事よこせ、と言いたい」と怒りと共に、政治の役割が問われていると話しました。また、「全国からの支援が被災地住民に、生きようとする力になっています。今尚8万人を超える人々が避難所暮らしです。消費税なんてとんでもない」と訴えました。防災対策では、「東南海・南海地震が起きたら、地震波の集中点での被害は甚大。行政にはこの視点がない。岡山市の避難所収容能力は昼間人口だと16.7%しかない。避難所が足りない。自主防災組織はありますか?大切なことは絆づくりです。命を守るための知識と知恵をもとう」と話しました。

 ①川柳で遊ぶ分科会では、はじめは「川柳なんてできません」と話していた参加者達が立派な川柳をつくって、各自披露しながら盛り上がりました。③運動経験者のおしゃべり会では、「役員を大切にして、誕生日にはメッセージを付けて感謝の気持ちを伝えては?個人的にもお友達になって、なんでも言い合える仲間作りを。発想の転換で組合に対するいやなイメージを変えよう」と話し合いました。

川柳はコチラ・・・川柳で遊ぼう

事例から学ぶ労働者の権利はこちら・・・2011.6.18事例から学ぶパート労働者の権利

とき:2011年5月21日(土)13時30分~

ところ:勤労者福祉センター4階第2会議室

概要:

岡山県原水協は5月21日、岡山勤労者福祉サンターで2011年度定期総会を開きました。

 総会には33名が出席しました。中尾代表理事が開会のあいさつを行い、「今年は東日本大震災、原発事故という状況の下での平和行進、世界大会です。新しい署名も始まりました。大いに頑張りましょう」と話しました。平井事務局長が1年間の運動のまとめと新しい年度の方針を提案しました。東日本大震災直後に行った核兵器廃絶自治体キャラバンでは、県内すべての首長と議長が核兵器廃絶の新署名に応じてくれたと報告しました。また、新署名の目標を20万筆とする方針も全員の拍手で可決されました。

活動報告をする平井事務局長

 笠岡から地域原水協づくりの準備、美作から384回続く6・9行動の経験、PPOから毎月の折鶴宣伝、被爆証言聞き取り、世界大会バスツアーの取り組みについて発言がありました。平和行進県内通しに決まった中務愛子さんも決意を述べました。県原水協の財政強化について、世界大会資材の普及、とりわけ今年の夏の世界大会に向けての新たな試みとして「ボールペン」を取り扱うことになりました。世界大会広島200人、長崎50人を目標に取り組むことも確認され、新しく役員として選ばれた代表理事の県労花田議長が閉会のあいさつを行いました。

記念講演では田中章史さん(日本原水協担当常任理事)が、自ら震災被災地を訪問した体験を話し、今年の平和行進・世界大会の持つ特別な意味を強調しました。日本には長崎原爆の5300発分のプルトニウムがあり、自然エネルギーへの転換が求められることなどを話しました。8月の世界大会で新署名を国連代表に手渡したいと、被災地の首長の大会参加を要請していることなど、中央実行委員会の取り組みも報告しました。また、福島第1原発の事故を原水協としても重視して、「これ以上の被爆者をつくってはならない」として、原子力発電の中止と自然エネルギーへの転換を求める運動が提起されました。

7月16日からの平和行進県内通し行進を決めている中務愛子さん(県医労連勤務)が「昨年はじめて2日間歩き、元気をもらいました。今年は私がみなさんに元気をあげられたらいなぁと思います。平和運動は明るく楽しくなくちゃ」と決意をのべました。県労会議の弓田事務局員も通し行進を決意しています。

とき:2011年5月6日(金)12時15分~45分

ところ:岡山駅ブックカメラ前

概要:

 5月6日(金)12時15分から、岡山駅ビックカメラ前で岡山県原水協の核兵器廃絶署名・宣伝が行われ、13人が参加しました。宣伝では平井県原水協事務局長がマイクを握り、「世界の核兵器を廃絶するための署名にご協力ください。国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)さんからもメッセージが寄せられています。世界には今尚、2万発以上の核兵器が存在します。今回の東日本大震災で放射能の怖さが再認識されました。広島・長崎の被爆者は今も放射能の後遺症に悩まされています」と話しました。

   一緒になってに署名をしてくれた学生さん達

 通りかかった物理学会の会員という年配の男性は、「原子力の開発や研究は大切だが、慎重さが必要だ。歴代政権党の無責任発言には怒りを覚える」と話してくれました。署名は34筆を集めることができました。

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