岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

カテゴリ   ニュース

と き:2011年8月23日(火)

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

 空模様が怪しく雨が降りそうでしたが、安保条約破棄岡山県実行委員会は宣伝と米軍基地強化に反対する署名をしました。本日には7人が参加、署名19筆を集めました。

 中尾代表がマイクを握り、「日本全国にある米軍基地の3/4が沖縄に集中しています。普天間基地は市街地の中心にあり、住民は耐えがたい騒音、事故の危険に絶えずさらされています」と力強く訴えました。日米同盟が強化されようとしていることについて、「政府は中国や北朝鮮の脅威をもちだし、日米軍事同盟強化を正当化しています。また、オスプレイの配備計画については県民の間で強い反対と怒りの声が上がり、沖縄県議会は撤回を強く求める抗議決議と意見書を全会一致で可決しました。米両政府のやり方は、戦争ではなく外交で問題を解決するという世界の流れに反しています」と訴えました。

 署名に協力してくれた女子学生は、「基地を作ることで沖縄の豊かな自然が破壊されていることが許せません」と話してくれました。沖縄本島の北部の大半を占めるヤンバルの森は、貴重な動植物が生息する自然の宝庫として知られています。その豊かな自然環境も米軍基地があることで崩壊しています。また、沖縄のジュゴンは絶滅危惧種と言われています。ジュゴンが生きる海は、さんごと海草が豊かに保たれて、生物多様性に富む海です。沖縄は無人島ではありません。米軍基地の早期撤退と環境保護を同時に訴えましょう。

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と き:2011年8月19日(金)

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

原発ゼロをめざす9.11県民集会実行委員会は、集会参加を呼びかけると同時に、原発からの撤退を求める署名を集めました。21人が宣伝に参加し、署名4筆を集めました。

実行委員会を代表して県労会議の伊原事務局長がマイクを取り、「今回の原発事故は想定外とは言えません。原発の危険性を指摘する学者の意見は一切無視し、点検漏れや事故を隠ぺいするなど、原発利益共同体による利益の優先の構図が招いた人災です」と力強く訴えました。「国民の大多数が原発からの撤退を望んでいるにも関わらず、政府は自分たちの利権のために原発からの撤退に踏み切りません。国民の安全よりも自分たちの利益を優先するような政府を許すわけにはいきません」また、原発に反対する意見や主張が規制されることについて、「私たち国民の世論と原発に依存した政府との闘いです」と話しました。

本日は宣伝に合わせて、原発に関するシールアンケートを実施ました。若者を中心として積極的に声掛けを行ったところアンケートに21人が協力してくれました。21人中19人が原発に反対であると回答し、「原発に対する不安は何ですか?」という問いに対しては11人が「人体への影響」と回答し、6人が「政府・菅首相が信用できない」と回答しました。

今回のアンケート結果から、原発事故以降、「人体への影響に関する不安」だけでなく「政治への不信」が浸透しつつあることが判明しました。また、アンケートに協力してくれた方の大半が若者であることから、若者を中心に「今の政治はどこかおかしい」、「何とかしなければ」という意識が徐々に共有されつつあるのではないでしょうか。

 私たち国民一人ひとりが声を上げ、世論の力によって社会を変えることができます。自信を持って運動に取り組みましょう(^-^)

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と き:2011年8月12日(金)19:30~

ところ:県労会議会議室

概 要:

 第3回目となる県労会議青年部準備会が開催され、8人が参加しました。

今回の青年部では主に自分たちの活動について交流をしました。JUIUの垣内さんは、「7月にボーリング大会を開催しました。40人が参加してとても盛り上がりました」と青年の交流が活発であることを話しました。橋本さんは、「2日目の平和行進に参加しました。県内で最長のコースでしたが歩ききることができました」と来年は県内通し行進をしてみたいと冗談交じりに話しました。芳原さんは、「7月に行ったボーリング大会には主催者側として参加しました。ボーリング大会が成功してよかったです」と達成感を表しました。

原水爆禁止世界大会に参加した坪井さんと中務さんからの報告がありました。坪井さんは、「夏の取り組みは平和行進と、広島大会に参加したことです。私も2日目の平和行進に医療生協労組として参加し、仲間と一緒に歩くことができてとてもよかったです」とし、「広島では被爆者証言を聞きました。『原爆が投下された8月6日ではなく、投下時間の8時15分を意識してください』との被爆者からの訴えに胸を打たれました。広島大会には40人近くの青年が参加し平和運動の広がりを感じました」と話しました。広島大会、長崎大会と参加した中務さんは、「長崎では青年企画としてリンク・リンク・ゼロが開催され、全国から100人以上の青年が集まりました。講師の人が『私たちにはお金はありませんが、人脈があります。一人ひとりのつながりを通して活動を大きくすることができます』と話したことがとても印象に残りました。来年は県労青年部全員で参加しましょう」と訴えました。

後半は、青年部活動をどう進めるかについての議論になり、「飲み会には参加しても、学習会には全く人が来ない」、「独自の企画で何をするのか検討しているが、案も出ず、ギスギスした状態になっている」などの意見が出ました青年の悩みは深く、どれも一足飛びに解決できないものばかりでしたが、各自に問題意識が定着しつつあることから有意義な議論になったと思います。

 9月11日(日)に岡山県でも脱原発県民集会を開催します。県労青年部ももちろん参加します。<(`^´)>

多くの青年の参加をお待ちしています。

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と き:2011年8月7日~9日

ところ:長崎市民会館体育館・文化ホール

概 要:

8月7日から9日の3日間、原水爆禁止世界大会の本大会が長崎で開催されました。長崎大会には7800人が参加し、会場は盛り上がりを見せました。

7日の開会総会では、うたごえのみなさんによる「原爆を許すまじ」の合唱が行われました。また、開会総会執行議長である全日本民医連の藤末守さんは「東日本大震災による被災地でも核兵器禁止・廃絶、自然エネルギーへの転換を求めて平和行進が行われました。被災者本位の復興。福島原発事故からの1日も早い収束と自然エネルギーへの転換を求めともに連帯しましょう」と参加者に呼びかけました。

 長崎市長は、「東日本大震災に続く原発事故はノーモアヒバクシャを訴え続ける長崎市民に大きなショックを与えました。なぜ被爆国である日本で再び放射能による悲劇が繰り返されたのか私自身疑問でなりません」とし、「原発は絶対に安全であるという安全神話が国民を思考停止に状態にしていたとするなら、核兵器は使われないという神話があり、世界の多くの人々を思考停止にしているのではないでしょうか。福島原発事故のように取り返しのつかない状況になってからでは遅いのです」と会場に訴えました。

その後、被爆者からの訴え、国連・政府代表者の発言が続きました。大会参加者は「社会動かす力の根源は人間一人ひとりです。私たちの運動は小さいかもしれませんが、決して無力ではないのだ」と連帯を強めました。

2日目は各分科会に分かれて集会が行われました。青年企画として「青年のひろば」が開催されました。全国から100人を超える青年が参加し、パネルディスカッションと被爆者訪問に分かれて学習を行いました。パネルディスカッションでは岡山県から竹永さん、東京から新屋さん、ノルウェーからラースさんをゲストして、討論形式で集会が進みました。

竹永さんはユーモアを交えながら、「あるとき祖母から、広島で原爆に合い、被ばくした事実を聞かされ、自分が被ばく三世であると知りました。何かしなければならいと思い、平和行進に県内通し行進者として参加しました。それ以降、平和活動に取り組みようになりました」と話しました。新屋さんは、「世界大会に初めて参加し、被爆者の話を初めて聞きました。そのとき被爆者の方と戦争をなくすこと、あらゆる兵器をなくすことを約束しました」と話し、「昨年NPT再検討会議に参加し、パンギムンさんの話を直接聞くことができ、あなた方の力が必要ですと言われたときに自分が必要とされていると思ったことが平和活動に参加するきっかけになりました」と述べました。ラースさんは、「今回初めて世界大会に参加しましたが、青年が多いことにとても驚かされました。私が所属している核兵器廃絶を目指す団体では、青年を対象としたコンサートを開き、核兵器の廃絶を訴えたりしています」と話しました。

参加者から「どうしたら青年が平和運動に関心を抱いてくれるのか」という質問が出され、竹永さんは、「みんな色々なところで色々なことに取り組んでいます。活動をしているのは自分だけではありません。肩の力を抜いて、目の前のことを一つひとつ積み上げることが運動を広げていくと思います」と話し参加者から共感を得ました。

今回「青年のひろば」に参加し、青年の多さに驚きました。また、青年同士の交流を通して各団体の取り組みを聞くことで、いい刺激を受けることが出来たのではないでしょうか。

 3日目の閉会総会では、被爆者、各被害者が、「私たち被爆者は被爆者として生きていくしかありません。被爆国である日本で、原発事故によって再び悲劇が繰り返されたことは本当にショックです」と訴えました。

東日本大震災による被災地からは、「東日本大震災からの復興にはみなさんの協力が不可欠です」、「原発・核兵器に依存しない世界を作りましょう」との訴えには、盛んな拍手が起こりました。

原発とエネルギーの問題について愛媛大学伊方原発を考える会の中山さんから訴えがありました。中山さんは、「私は長崎で生まれ育ち、原爆を中心とした平和教育を受け、核兵器・戦争は絶対に許せないと思ってきました。しかし、原発に関しては怖いけど仕方がないと思っていました。これは私個人の意見ではなくい若者全体の意見ではないでしょうか。若者は今、原発は怖い。しかし、原発がなければ生きられないのではないかというジレンマの中に生きています。このジレンマを突破するには真実を知ることです」とし、「私たちは原発立地県として伊方原発を考える会を発足しました。学習を重ねていく中で、今の人間の技術では原発は使えないこと。自然エネルギーを最大限に活用していくことが今の現実には則していることを知りました。一部の人の利益を優先するのではなく、精一杯生きている私たち国民を守る社会をつくりましょう」と力強く話し、会場からエールが送られました。

フィナーレでは参加者全員で「We shall overcome」を合唱しました。

今回の世界大会には被災地からも多数の人が参加していました。核兵器廃絶、戦争のない平和な世界を求める思いを共有すると同時に、被災地に連帯した大会になったのではないでしょうか。

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と き:2011年8月5日~6日

ところ:広島県立総合体育館・グリーンアリーナ

概 要: 

 8月5日から6日の2日間、Peace Peace おかやまを通じて47人の青年が水爆禁止世界大会・広島大会に参加しました。

気分は遠足(笑)

被爆者証言を聞く会が開かれ、各県から合わせて100人以上の青年が集結しました。

松尾さん、中西さん、森本さんの3人から当時の惨状を話してもらいました。

中西さんは決して忘れることのできない経験として、「必死の思いで逃げていると瓦礫の下から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。顔は火傷により黒い風船のようになっていました。名前を聞くとなんと私の同級生で友達でした。私にはどうすることもできずその場を離れました」と話しました。

松尾さんは、「爆風で飛ばされ気が付いたら瓦礫の下でした。やっとの思いで這い出た私は、瓦礫の下に残された子供の救助に回りました。しかし、火の手が回ってきたので子供を残して逃げなければならなくなりました。これはとても辛いことでした」と涙ながらに話しました。

森本さんは、「何万人という人が原爆で亡くなりました。日本は被爆国として核兵器廃絶運動の先頭にいます。にもかかわらずどうして原発が日本にあるのか理解ができません」と訴えました。

また、原爆による被ばく患者にたいする差別について松尾さんは、「包帯を巻いて仕事をしていましたが、病気が移ると言われその場を退かなければならなくなりました。親しい友人はこっそりと食事をもってきてくれたりしましたがとても辛かったです」と話しました。

青年からは、「実際に話を聞いたことを忘れずに、運動につなげなければならない」、「原爆が投下された事実を伝えていかなければいけない」などの感想がありました。

 その後、平和委員会の谷口さんを先頭として、原爆碑めぐりを行いました。

案内をする岡山県平和委員会の谷口朋美さん

 翌日、原水爆禁止世界大会・広島デーが開催されました。各国で核兵器廃絶運動に取り組んでいる団体の代表者から発言があり、「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアヒバクシャ」と決意を改めました。

参加した青年は、「貴重な経験になりました。平和に対する意識を高めることができました」、「世界各地での運動を知ることが出来て感動しました」との声がありました。

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と き:2011年7月30日(土)~31日(日)

ところ:広島県総合体育館(グリーンアリーナ)

概 要:

第57回日本母親大会2日目は分科会にそれぞれ分かれました。私は「草の根に広げよう母親運動―その原点と展望」という分科会に参加し、母親運動の基本について学んできました。

母親大会実行委員の木村康子さんを助言者として討論形式で分科会は進められ、40人が参加しました。また、被災地福島、宮城、岩手からの参加者もいました。冒頭で木村康子さんは、「女性は体のことについて生まれながらにして考えます。今回の福島原発事故で被ばくした小学生の女の子が結婚できない、子供を産めないといっているのを思い起こして下さい」と話し、「女性はいのちを産みます。この点が男性との違いです。辛い立場にありながら、それでもがんばっている女性に寄り添うのが母親運動です」としました。

討論では、「母親大会の原点は原爆です。今回の震災を受け、放射能汚染による悲劇は決して繰り返してはならない。今こそ母親たちが立ち上がるときです」という力強い訴えがありました。また、「母親運動は特別に能力がある人が参加するものではありません。女性であることと母親であることが運動の原動力になると思います」という発言がありました。

被災地から参加した女性は、「東日本大震災を機に、日本全体が変わりつつあります。今回の原発事故を受けても、住民運動の重要性が高くなっています。私たち母親がどれだけ先頭に立てるかが運動の発展につながります」とこれからの運動発展への熱意を表明しました。

 今後の母親運動の展望について熊本県建築労働組合の20代女性から発言があり、「私は女性部の担当をしており、どうしたら女性の要求を実現できるのだろうかと考えています。しかし、自分の要求に気付くことが難しい女性がとても多いです。私は社会全体が要求に気付くことが難しい社会構造になっているのではないかと思います」とし、「生涯、学習をしていくことで仲間を増やし、お互いを高め合うことのできる母親運動としたいです」と希望にあふれる発言でした。

 母親運動の主人公はあくまで女性です。しかし、だからと言って男性には関係ないとは言えません。世界と比較すると日本はジェンダー認識が甘いとの指摘があります。労働組合がジェンダーなどについて学習していくことで、男女の枠を越えた運動の先頭に立てると思います。

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と き:2011年7月28日(木)12:00~13:00

とこと:岡山駅ビックカメラ前

概 要:

  晴天の下、県労会議は脱原発を目指して宣伝と署名、シールアンケートを行いました。陽射しが強く、じりじりと焼かれるような暑さでしたが、9人が参加しました。暑さに負けることなく活動した結果、9筆の署名を集め、シールアンケートでは13人と対話することが出来ました。

「脱原発ポスター展」のポスターを使用した張り出し

 東日本大震災による福島第一原発事故以降、原発依存からの脱却は世界的な流れとなりました。日本国内でも「原発は段階的になくすべき」との考えは国民的合意になっています。県労会議の伊原事務局長は、「福島原発事故は地震や津波の危険性の指摘があったにもかかわらず、その指摘を無視したために起きた人災です」と安全神話に固執した体制こそが問題であるとしました。経団連が22日に発表した「アピール2011」では、日本の経済回復のためには原発への信頼回復が必要であると記されていました。また、震災復興のためと称し、法人税減税・消費税増税・労働規制の緩和の主張を繰り返しています。伊原事務局長はこの点について、「新聞各社が行った世論調査では国民の7割が原発からの段階的撤退を求めています。また、福島原発事故は未だに収束の見通しが立っていません。財界は原発から撤退すると電力が不足し、日本の企業が海外へ移転することになると脅しとも取れるような根拠のない発言をしています。財界の狙いは震災・原発事故を利用してでも自分たちの利益を守ることです。自らの利益のためなら国民を犠牲にしてもかまわないのでしょうか」と話し、「原発ゼロを目指す集会が東京で開催され、2万人が集結しました。将来の展望を開くためには私たち国民が声を上げることです」と訴えました。

 本日のシールアンケートは、13人の内10人が「原発に反対」と答えました。「原発への不安」は何かという問いに対しては、「人体への影響」が11人と最も多く、続いて「政治が信用できない」が9人、「使用済み核燃料の処理方法」が7人という結果です。また、20代の青年が「原発に賛成」と回答したのには驚きました。「日本の経済が心配」、「代換エネルギーの見通しがない」というのが原発に賛成する主な理由でした。

 県労会議は9月11日に脱原発県民集会を計画しています。アンケートの結果や宣伝での対話などを集会の参考にしていこうと思っていますので、協力お願います。

脱原発ポスター展はこちら 〝 http://nonukeart.org/ ″

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と き:2011年7月25日(月)

コース:金光支所~笠岡市役所

概 要: 

 いよいよ平和行進も終着点目前です。本日の平和行進は曇り空の下で行われ、行進しやすい天候となりました。金光支所で行われた出発式で、全国通し行進者の石崎忠男さんは、「いよいよ広島が近付いてきました。しかし、まだ平和行進が終わったわけではありません。今日もがんばって歩きましょう」と話しました。県内通し行進者の弓田盛樹さんは、「1946年の今日ビキニ環礁で史上5回目の核爆発が行われ、多くの悲劇を生みました。福島原発事故も同様に多くの悲劇を生んでいます。平和行進を歩ききることで、2度と悲劇を繰り返さないことを伝えたいです」と話しました。中務愛子さんは、「本日のスタート地点である金光は私の地元です。地元で平和行進が行われることはとてもうれしいです。今日も頑張ります」と元気よく決意を表しました。

 夏休シーズンということもあり、沿道には中学生や高校生の姿がありました。練習中の野球部の高校生は、「こんにちは!」と元気よくあいさつをしてくれました。また、トラックドライバーの男性は、「広島まで頑張ってください!」と励ましてくれました。

 笠岡市役所に到着したのは15時30分でした。到着後、毎年恒例となっている平和の願いを込めた風船を飛ばしました。

明日で岡山県内平和行進は最終日を迎えます。最後の最後まで平和の思いを叫び続けて行きましょう。

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と き:2011年7月24日(日)

コース:船穂支所~金光支所

概 要:

  本日の平和行進には40人以上が参加し、船穂支所から金光支所までを行進しました。本日も猛暑日となりましたが、元気いっぱいに行進はスタートしました。

船穂支所で行われた出発式で、県内通し行進者の弓田盛樹さんは、「今日で平和行進は80日目を迎えます。県内行進も残すところ3日です。来年の平和行進には青年を100人参加させたいです。そのためにも、今日も元気に平和を叫びます」と話しました。中務愛子さんは、「本日の終着地点の金光は私の地元です。金光のみんなに平和を訴えて歩くことになるとは思ってもいませんでした。私自身が中心となって平和運動を活性化させたいです」と元気に話しました。

 本日の行進は中務愛子さんの掛け声を先頭にスタートしました。また、本日の行進には先日か引き続いて京都生協労組の仲間が参加しました。

清音支所に到着後昼休憩を取りました。清音支所では倉敷医療生協船穂支部の方々からそうめんとちらしずしのもてなしがあり、美味しく頂きました。

また、玉島ケーブルテレビによる取材と撮影が行われ、平和行進の広がりを感じました。

 終着地点の金光支所に15時くらいで、予定よりもかなり早い到着となりました。金お光支所からお茶の接待を受け、行進団一同、喉を潤し解散しました。

いよいよ平和行進も大詰めです。明日は、金光支所から笠岡市役所まで行進します。岡山県内平和行進も終了目前です。

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と き:2011年7月23日(土)

コース:総社市山手支所~真備支所

概 要: 

 本日の平和行進には80人が参加し、総社市山手支所から真備支所までを歩きました。総社市山手支所では平和への思いを綴った短冊が手渡されました。

今日もがんばります

総社市山手支所で行われた出発式で、県内通し行進者の弓田盛樹さんは、「自衛隊が海外派兵された時の武器使用権限を強化しようとする動きがあります。そもそも、自衛隊を海外へ派兵することは憲法違反です。平和行進で憲法を守ろうの声を高く上げましょう」と話しました。中務愛子さんは、「いよいよ平和行進も大詰めです。みなさんと平和行進を歩くことで、運動が進んでいることを実感します。今日もがんばりましょう」と決意を表しました。

出発です

 最高気温が35度を超える中、行進は弓田盛樹さんの掛け声を先頭に元気にスタートしました。また、本日の行進には京都から生協労組の仲間が駆けつけてくれました。途中から歌を歌ってくれたりと、行進を大いに盛り上げてくれました。

行進を大いに盛り上げてくれました

夏といえば沖縄

 終着地点の真備支所では、医療生協の和泉さんが挨拶をしました。和泉さんは、「平和のために私たちにも出来ることがあります。平和について話すこと・学ぶこと・歩くこと・仲間を増やすこと・勇気の心を作ること。私はこの言葉が大好きです」と訴えました。

医療生協の和泉さん

明日から平和行進は80に日目になります。広島まで後わずかです。広島を目指してがんばりましょう。

 

まだまだ行進は続きます

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