日付 2017年7月17日
とき:2017年7月17日(月)12時~17時
ところ:備前市 ― 西大寺町
7月17日、平和行進2日目、備前市から西大寺までのコースです。52名が参加しました。備前市長の田原隆雄さんが激励の挨拶に駆けつけてくれました。前の市長さんは平和行進に顔を出されることなどなかったですが、田原市長さんは中西元市議と市議時代に非核都市宣言をされた方です。立派な市長さんです。H20年12月だったとはっきり仰っていました。誇らしげな市長さんのお顔を拝見できてよかったです。市長さんの言葉は少ないですが「皆さんの活動が大きな力になる。備前市の夏は朝曇りと言って暑くなる時がある。身体に気を付けて」と行進団をねぎらいました。
市議会副議長の橋本逸夫さんは「行進団に敬意を表したい。昨年も挨拶したがくれぐれも体に気を付けて」と感慨深げにお話しされました。
備前市9条の会で中西さんの同士だと言われる宇治橋さんは「市長、議長の言葉に励まされた。平和を目指して頑張っている皆さんに敬意を。高齢者を救うアクティビティーの実現と世界から核兵器を無くすために頑張ろう」と行進団を激励しました。
備前市9条の会の中西さんは例年通り、備前焼で造られた手榴弾を示し、「実戦では使われなかった手榴弾だが、美しい焼き物が戦争のために使われようとしたことに怒りを覚える。今年は被爆2世が作成した備前焼マグネットを販売している。7月の国連核兵器禁止条約のその場に居た。ワーキンググループが集まっていたので、お土産に備前焼マグネットを渡した」と話しました。
通し行進の西田さんは「今年は日本の憲法が危ぶまれている。日本は核兵器禁止条約を批准していないが、被爆者の声を届け、9条を守りたい。私たちは平和を届ける使者になる」と行進の意義や目的を語りました。
備前市の出発集会では篠原さんのアコーディオンで「青い空」を合唱しました。
行進の途中、瀬戸内市では武久市長が出迎え、「平和の火を消さずに広島まで歩いてほしい」と歓迎と激励を込めた挨拶をされました。原野議会議長は「皆さんの地道な努力あってこその平和であり、核兵器廃絶の一歩だ」と感慨をもって話されました。
瀬戸内の行進は市長さんをはじめとした自治体の激励と、時折、強く吹き抜ける吉井川の風に癒されながら行進団は無事に西大寺までたどり着くことができました。
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7月16日(日)平和行進です。備前市寒河で兵庫県の行進団を迎えました。今日は岡山県内行進の初日ですが備前市役所までのコースです。行進には132名が参加しました。
行進団を迎えてあいさつに立った河重さんは、「5月6日、東京夢の島を出発した平和行進は広島・長崎の被爆から72年目の夏を迎える。今年はうれしいニュースが届いた。核兵器禁止条約は世界の国々から感動的に受け止められた。国連加盟国の内122か国が賛成した。草の根の運動と被爆者の願いが届いた瞬間ですが日本政府は欠席しています。失望と怒りが渦巻いている。国民の世論と運動は都議会議員選挙で自民党を許さなかった。政治の私物化も同じだ。戦争に巻き込まれないように、公正で公平な世界をつくろう」と挨拶しました。
兵庫県の代表を務めた津川さんは「平和行進が兵庫県に入った時からその意味は変わった。それは核兵器禁止条約の初日だった。一つはその意義を広げること、もう一つは、条約は最終点ではなく入口に立ったばかり。頂点を目指し完全になくすことだ。日本政府をその立場に立たせることも運動の目標だ。さらに県政を変えていく役割もある。県知事選挙に立候補して敗北したが今後のばねにして頑張りたい」と引き継ぎの挨拶をしました。
通し行進の西田重好さんは、「昨日はたつの市揖保小学校を超え、西へと歩み広島に近づいてきたと感じるようになった。岡山の皆さんお世話になります。平和の声、憲法9条の国を広げるために、大切な憲法を発展させましょう」といよいよ真直に迫った広島へ意気込みを語りました。
もう一人、大阪からフィリピンのブッチさんがあいさつ。「お会いできてうれしい。平和のために一緒に頑張りましょう」と話し、今日で祖国に帰ると報告しました。
非常に暑い日でしたが、海からの風も気持ちよく、途中の日生町では区長さんの激励の挨拶もいただきながら、予定よりも早い時間に目的地の備前市に到着しました。
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