日付 2011年8月10日
と き:2011年8月5日~6日
ところ:広島県立総合体育館・グリーンアリーナ
概 要:
8月5日から6日の2日間、Peace Peace おかやまを通じて47人の青年が水爆禁止世界大会・広島大会に参加しました。
気分は遠足(笑)
被爆者証言を聞く会が開かれ、各県から合わせて100人以上の青年が集結しました。
松尾さん、中西さん、森本さんの3人から当時の惨状を話してもらいました。
中西さんは決して忘れることのできない経験として、「必死の思いで逃げていると瓦礫の下から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。顔は火傷により黒い風船のようになっていました。名前を聞くとなんと私の同級生で友達でした。私にはどうすることもできずその場を離れました」と話しました。
松尾さんは、「爆風で飛ばされ気が付いたら瓦礫の下でした。やっとの思いで這い出た私は、瓦礫の下に残された子供の救助に回りました。しかし、火の手が回ってきたので子供を残して逃げなければならなくなりました。これはとても辛いことでした」と涙ながらに話しました。
森本さんは、「何万人という人が原爆で亡くなりました。日本は被爆国として核兵器廃絶運動の先頭にいます。にもかかわらずどうして原発が日本にあるのか理解ができません」と訴えました。
また、原爆による被ばく患者にたいする差別について松尾さんは、「包帯を巻いて仕事をしていましたが、病気が移ると言われその場を退かなければならなくなりました。親しい友人はこっそりと食事をもってきてくれたりしましたがとても辛かったです」と話しました。
青年からは、「実際に話を聞いたことを忘れずに、運動につなげなければならない」、「原爆が投下された事実を伝えていかなければいけない」などの感想がありました。
その後、平和委員会の谷口さんを先頭として、原爆碑めぐりを行いました。
案内をする岡山県平和委員会の谷口朋美さん
翌日、原水爆禁止世界大会・広島デーが開催されました。各国で核兵器廃絶運動に取り組んでいる団体の代表者から発言があり、「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアヒバクシャ」と決意を改めました。
参加した青年は、「貴重な経験になりました。平和に対する意識を高めることができました」、「世界各地での運動を知ることが出来て感動しました」との声がありました。
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とき:2011年8月10日(水)7時45分~
ところ:岡山駅ビックカメラ前
概要:
震災後5カ月が来ようとしています。8月10日の朝7時45分、県労会議は定例の早朝宣伝を行い11名が参加しました。原水爆禁止世界大会や記念式典が行われた直後でもあり、県労会議の核兵器禁止の運動を紹介しながら、昨年5月にNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議で確認された核兵器廃絶のための確かな実行を求めて、署名運動に取り組んできたことを報告しました。広島大会では、福島原発事故による核の被害と同じように、世界では、核実験や原発に伴う放射能汚染に苦しむ人達がいること、核の使用を止めたいと活動する人達との連帯が確認されたことなどを報告しました。
続いて、話は震災地域の復興をテーマに取り上げて、最賃額の引き上げを訴えました。7月27日に中央最賃の答申が出されましたが、平均4円、岡山は1円の答申でした。これは、震災を理由に経営難を主張して最賃の引き上げに反対した使用者側委員に引きずられた結果です。震災地域では賃金が安すぎて生活改善ができる余裕がないと訴えました。岡山は昨年13円引き上げられ、その額を683円としましたが、これではせっかく最賃の底上げで景気浮上と生活改善をはかるとした約束を反故にされたとしか言いようがありません。論戦は地方最賃に移っていますが、県民の生活の実態を考えれば最賃委員の役割は大変重要です。特に労働者側委員に期待したいと思います。
早朝から大変暑い日でした。終戦記念日が近くなってきましたが、震災直後の街は原爆投下の日と同じ風景を想像した、という人が多いかったことを思い出します。二度と戦争はしないこと、そして政治の役割が国民生活を守ることにあると痛感する宣伝日となりました。
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