連想分類語 岡山県社会保障推進協議会
とき:2014年10月23日(木)
訪問自治体:奈義町、勝央町、西粟倉村
20日から岡山県社会保障推進協議会の全県キャラバンが始まりました。県労会議は23日に県北の奈義町、勝央町、西粟倉村を訪問し、担当課の方と懇談しました。正直なところ毎年訪ねている関係で、先方も同じ顔ぶれなどもあって聞くことは少ないと考えていましたが、意外にどこでも1時間くらいの会話になりました。懇談のポイントの第1は、自治体の国保財政の状況はどうか?第2は国保の広域化に対する考えは?第3は住民の窓口での相談の内容?国保料が払えない人が増えているのでは?第4は介護の要支援はずしと地域包括支援センターの関わりで認知症患者への対応は?第5は国の補助金によって介護職員の給与改善の措置が行われてきたが介護施設職員は定着しているのか?などでした。自治体に答えていただいた内容は以下のような事でした。
奈義町との懇談
①自治体の国保財政はどこも厳しく、広域化まで基金を崩してなんとか持たせる。これまで、県南の赤字補填をさせられるだけ、というイメージはあったが、すでに法律で決まっているのですすめるしかない。②広域化にあたって自治体の意見をくみ取る仕組みもあり、今やっている「いい部分」が外されないようにしたい。③窓口の相談で短期保険証を分納によって解消した人もいる。保険料を払ってなかった人が払うようになるなどの契機になっている。資格証明書は出さないようにしている。④政府が進めているプランに沿って認知症サポーターを増やしている。小さな自治体なので症状が悪化しないように、「このひとは?」と思った時点で訪問して対策を立てるようにしている。物忘れ相談や医師との連携で対応している。行方が分からないなどの連絡があると職員総出で探しに出ることもある。要支援と介護の狭間にあって入浴の必要な方は対応している。止めるわけにはいかない。住民ができるのは見守りまでだと考えている⑤介護職員の変動はない。施設も減っていない。などでした。
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とき:2014年3月19日(水)13時30分~
ところ:県庁議会棟
3月19日、岡山県社会保障推進協議会は国民健康保険料の滞納者に対する違法な取り立てや介護保険の要支援1.2はずしに関する問題、生活保護の窓口対応、子育て支援などについて岡山県に改善を求めました。
岡山県・杉原保険福祉課長(左)に要請書を渡す中島副会長(右)
国保問題では滞納者に対して暴力的で威圧的な対応がされており、実態を紹介しながら改善を求めました。滞納者が生まれている背景には、国の補助率の削減がありますが、悪質な滞納は別としても、実態は生活を脅かしています。厚生労働省が「違法な取り締まりがあってはならない」とする国会で答弁して、指導するとしていますが実際には守られていません。県は収納率を上げることは当然としながらも、「生活実態に即して対応し、行き過ぎがないよう研修会などで徹底する」と約束しました。生活保護の申請に対しては県内の自治体によって窓口対応に差があり、職員が申請を受け付けようとせず、個人の考えで対応している実態を指摘して改善を求めました。これに対しても県は、「法律は決まったが今までと制度の基本は変わらない。岡山市は政令都市なので別だが、指導する」と約束しました。ただ、実態については詳細には掴んでいない様子でした。
子育て世代への医療費補助についてはこれまで通り、国の責任と主張して県独自の支援策を否定しました。保育制度について、父母と事業所との直接契約になり公的責任が曖昧になるとの指摘に、「制度に変わりはない。契約は自治体との間に結ばれる、違うのは認定制度になることだ」と説明しました。しかし、認定は保育所との契約のためであり、公的責任が曖昧になることに変わりはありません。時間切れで懇談は終わりましたが、継続した要請行動が求められています。県社会保障推進協議会としての詳細な実態把握も必要です。
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とき:2013年4月7日(日)13時30分~
ところ:岡山市民会館4階大会議室
4月7日、岡山県社保協と岡山県生健会は「生活保護切り下げを許すな!県民集会」を開きました。集会には110名が参加をして、「生存権裁判勝利で福祉国家を創る」いうテーマで講演をした井上英夫先生(金沢大学教授)の話に聞き入りました。集会では生健会の大西会長が主催者を代表してあいさつを行い、「生きる権利の破壊、格差と貧困が広がっている。生活保護の切り下げで、憲法25条が根本から切り崩されようとしている。世界が貧困根絶に向かっている中で日本だけが逆に動いており、安部内閣の憲法改悪をやめさせなければならない」と訴えました。
会場は110人の参加でいっぱいになりました
講演で井上先生は、「生活保護の切り下げで200万人に影響が出る。老齢加算の廃止は20%をカットされたが、少なくとも10万人の不服申し立て、1万人の原告を組織した裁判やらないと闘えない」として、「憲法には3本の柱がある。平和主義と国民主権、基本的人権であり、社会保障が核となっている。日本には劣等処遇の考え方がある。つまり、怠けているもの、働かないもの、障害があるものは人間として価値が低く、劣っているというもので、生活保護にはこの考え方が根強くある」と今日の生活保護切り捨ての背景を憲法から解明しました。続けて、「憲法25条には、すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとある。しかし、この最低限度の生活という文言が今日の劣等処遇思想を生んでいる。その意味で憲法は変える必要があり、自分は憲法改定論者だ」として会場を沸かす一幕もありました。
表情も豊か。笑顔に しかめっ面、厳しく、優しく、時には顔をクシャクシャにして
一方で人類は負の思想を克服してきたとして、「憲法25条第2項には、国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び推進に努めなければならないとあり、権利は発展させなければならず、憲法をそのことを見通している。憲法が最低限度の生活と言ったのは、当時の戦後の混乱期という背景があり国民生活がどん底にあったことが底辺にある」と話しました。2012年12月18日に発生した札幌の親子餓死事件を例に、「今日の社会ではかつての餓死(九州福岡の生活保護切り捨て事件)ではなく、孤独死であり孤立死が特徴。そうした事件が起こった時に行政が必ず理由にするのは、行政のやれることには限界があり、見守りなど市民の協力が必要だとして、行政の責任が曖昧にされる」と話し、これは憲法に書かれた国の責任放棄だとして、憲法の内容に立ち入って人権保障について深く掘り下げました。「国民の権利を担保しているのは国庫だが、国はお金の使い方を誤り生活保護は140年前の恤救(じゅつきゅう)規則に戻りつつある。生活保護を豊かに捉える必要があり、人権の保障は国の責任であり、国民は尊重すればいい。生活保護はしてやると意味に繋がるが、本来は保護であり、自助・自立でもなく国の保障だ」としました。井上先生は、「人権保障は基本的に自己決定権であり、決めるのは本人だ。日本は国際人権規約を1979年に批准しているが、実際には全く守っていない」としながら、「義務を果たさなければ権利が保障されないという考え方は間違っている」と締めくくりました。講演後は民医連や生健会から調査や実態の報告がされ、生健会の尾崎さんは「岡山市は受給者の就職意識を高めなど、扶養義務徹底のために調査委員を配置している」と報告しました。
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とき:2012年8月18日(土)14時~
ところ:労働者福祉事業会館(旧労金ビル)
8月18日(土)、岡山県社会保障推進協議会の総会が開かれ、記念講演として立命館大学の唐鎌直義先生が「社会保障と税の一体改革の欺瞞を明らかにして秋からの闘いへ」と題してお話をされました。唐鎌先生は何度も岡山には来られて、お話を聞く機会も多いのですが、社会保障についての機知に富むお話は気づかされることが多い。お話の中心は日本の資本主義が如何に堕落しているかを強調されていたように思います。
唐鎌先生
私たちは日本の社会保障財源が赤字だと思っています。だから、財源論を闘わせます。軍事費を削れとか不要不急の公共事業を減らせとか言って宣伝しています。しかし、日本の社会保障収支は黒字であり、収支でマイナスになっている年はあるが、それは政府が株の運用で失敗しているからであり、株の運用損と管理費の無駄さえなければ毎年黒字になっていると収支計算表を示して説明されました。35兆3462億円の黒字であり、潤沢な財政状況だとした上で、消費税の引き上げがなぜ必要なのか?企業と国庫の負担を軽くするための議論ではないか?と政府の欺瞞性を暴露しました。さらに、国債の発行は、買い手(銀行、投資ファンド、郵貯、生保など)に利子をつけて償還するので、金持ち優遇に繋がる。国の借金が大変だと騒ぎながら、国債の発行に止めをかけようとしないのは、国家財政を通じて庶民から金持ちに税を移転でき、同時に国民の社会保障拡充をも避けられるのではないか?原発の安全神話と同じ構図だと政府の思惑を暴露する話に「はっ」と気付かされる思いでした。
総会には76名が参加
話の最初に、余談でしたが非常におもしろい話をされました。「皆さん、真面目に働くことを美徳にしていませんか。資本家の価値観で働いていませんか。働くと人間性は壊されます」というものですが、これまでの考え方を振り返る機会となりました。私たちは、「労働が人間を作ってきた」と学習してきましたから、「労働が人間にとって富の源泉であり、労働することで私たちは連帯することを知り、労働を通じて規律や団結を学んできた」と思ってきましたが、どうやら働き方については考える必要がありそうです。最近の橋下維新の会についても、「橋下氏の話し方を情熱的と思っている人が多いが、それは間違いで情熱的に見える狂信的、熱狂だ」とするお話にも感心させられました。それはさて置き、先生は最後に、富裕層が虚栄心を満足させるために使うお金と年金生活者や派遣労働者が食費を節約して収めるお金が同じ価値を持つはずがない。それを考えるのが政治家の存在理由だとしました。これも納得です。日本の首相は毎年変わるので米国オバマ首相は困っているが、日本の官僚はぜんぜん困ってない。操り人形が変わっただけで口パクの大臣であり、官僚の支配に変わりはない。官僚はその子も官僚であり、庶民感覚などないと厳しく批判されました。結論として、所得税や社会保険料を負担できない人々を増やす政策を採ってきたから、所得税に依拠できなくなり、消費税増税に向かわざるを得なくなった。「元に戻すべき」、ときっぱり。秋の闘いに活かそうと決意したところです。
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