岡山県労働組合会議

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カテゴリ   活動日誌

と き:2018年7月25日(水)

ところ:金光支所~里庄町

7月25日(水)金光支所から里庄町のコース。猛暑の中、無理をすると危険と判断され24日から26日は午前中のみの行進となりました。

金光支所には約30人が出発式に集まりました。原田支所長さんが「核兵器廃絶を長い間訴えてきたが今尚、核兵器が多く存在している」と世界情勢に触れて、平和運動の大切さを強調されました。

地域原水協を代表して、総指揮を担当する桑野浅口市議が「猛暑の中、網の目行進が中止となった。豪雨災害で浅口市も被害に会ったが、平和行進は伝統を引き継いでいる。平和行進の生命力は浅口市にも受け継がれ、市内3中学では毎年、広島の原爆ドーム、資料館を訪、平和学習をしている。浅口市は平和市長会にも参加している。これからも平和行政推進のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。

高橋浅口市職労委員長も、「私事だが食中毒で昨日まで苦しんだ。酷暑の中にあって身体には気を付けてほしい」と行進者に注意喚起しました。

通し行進の南さん、五十嵐さんのお話が続き、行進団は一路、浅口市に向けて出発。谷口さんと中島君のリードで歌やコールに合わせて声を出しながら、車に乗る人もなく元気に行進しました。浅口市役所で休憩後、出発集会。松田副市長は「現在も核兵器は廃絶に至っていない。一歩一歩が8月の大会に向けて運動は大きく進んでいる」と行進団を励ましました。議会議長の井上さんは「政府の核兵器に対する姿勢はおかしい。それでも自民党は選挙になると勝っている。これもおかしなことだ」と心情を明かすと、参加者は大笑い。当然ですが、本音で話さない議長さんが多い中、政治への風刺にも聞こえるお話に、拍手ではなく笑い声が広がりました。

ここから総指揮のタスキを繋いだ沖原有美さんは「西日本豪雨災害にお見舞い申し上げます。6月議会で核兵器禁止条約の批准を求める請願が不採択になった。浅口市は2009年に非核都市宣言、平和市長会へも参加しているが残念だ。これからも非核の政府をめざして頑張りたい」と決意を語りました。

行進団は浅口市を離れ里庄町に向かいましたが、途中、一部の河川でノリ面が崩れているのを発見。豪雨災害の爪痕にため息が洩れました。

里庄町では加藤町長。平野議長さんをはじめ職員の皆さんが出迎えてくれました。加藤町長は「世界の平和への思いを広島に進める皆さんに感謝と敬意を表します。被爆73年、平和行進60年周年と聞きますが世界は未だに核兵器廃絶に至っていません。遠い核兵器廃絶への道のりになるかもわからないが、一歩の歩みが世界平和へ近づくと確信している。日本の憲法を守り人権を守る行政を進めたい。平和を町民とともに考える町政へ意識の啓発をはかりたい。国民の願いを広島に届ける皆さんにお礼と激励を申し上げたい」と話されました。平野議長さんは「平和行進は素晴らしい。世界の大国は今も核兵器を持っている。廃絶は言うがいっこうに無くならない。猛暑だが身体に気を付けてほしい」と話し、両氏からはペナントと激励金が贈られました。

地域実行委員会の佐藤町議は「昨年9月に請願が採択され政府に送られた。里庄町にも平和宣言の塔を建てるように申し入れている。受けていただけると思っている。運動は続けることで光輝くと確信している」と展望と決意を語りました。

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と き:2018年7月22日

ところ:倉敷市役所~水島支所~旧霞橋

7月22日(日)平和行進。倉敷市役所~水島支所~旧霞橋西詰のコースです。53人が参加しました。酷暑と言われながらも平和行進は休憩や給水で地域の皆さんに支えられながら、熱中症になることもなく無事に行進を終えることができました。

倉敷市役所では総務部部長の内海さんが災害対策で忙しい中、「倉敷市は今回の豪雨災害で甚大な被害を受けた。ボランティアなどの支援を受けて復興に向かっている。支援をして下さっている方々に感謝。33年前に倉敷市が平和宣言をしている。平和の核兵器を無くそうと行進されている皆さんに敬意を表します」と伊東市長のメッセージを代読されました。

倉敷市職労や職員に皆さんから心を込めた千羽鶴が行進団に贈られました。途中の水島支所でも倉敷職員や水島医療生協の皆さんから折り鶴が何本も託されました。

行進の休憩地点では、地域の皆さんが冷凍バナナとカルピス、冷たいトマトと紫蘇ジュース、最後は甘いスイカまで用意して迎えてくれました。脱水とは無縁の元気の出る清々しい出迎えに心癒される行進となりました。

途中の休憩所で総指揮の田口さんは、「自衛隊が真備地区の復興に来ているのは有難いが、何故迷彩服なのか、なぜ迷彩重機なのかと考えてしまう。消防団や災害救助隊は目立つ色の制服で支援活動をしている。自衛隊をアピールしているように思えてならない。復興作業が終われば自衛隊に感謝する催しが始まるのかと思うと心中穏やかではない」と国の災害対策ついて疑問だと話しました。「どうして政府は災害救助隊を編成しないのか?これだけ災害が増え、諸外国からも支援の要望があり、自衛隊がしなくても災害に特化した救助隊が必要では?」と、復興への複雑な心情が行進者の間で交錯しました。

行進者の池田さんは、地元ということもあって臨港鉄道が水害の避難所になっていること、天井川となっている高梁川のこと、さらに嘗ては海だった処にどうして人が住めるようになったのか?それは人が生活を始め、埋め立て、河川の整備をはじめたから。水島地域は扇状に平野が広がり、道路も放射状に走っていることなど、地域の特性と災害の関係について話していました。

行進は様々な人との出会いや地域の特性に触れる機会でもあると自覚しました。水島原水協会長で倉敷医療生協労組の脇本さんは「核兵器禁止条約に背を向ける安倍政権に批判が高まっている。災害で国民が困っているときにカジノ法案の審議に没頭している政権はおかしい」と批判しました。

今回の行進の醍醐味は「霞橋の行進」です。この場所での写真が一番絵になります。小さな女の子が総指揮のタスキを掛けて先頭を歩き、行進団が後に続く姿は圧巻です。もう酷暑のことなど頭にないくらいです。行進には様々な出会いと楽しみがあります。その一つ一つに人生の喜びがあります。平和行進は私たちの財産であり、大切な運動です。行進の最後に食べたスイカは格別の美味しさでした。

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とき:2018年7月20日(木)9時~

ところ:岡山市大供公園~早島町役場

7月20日(木)の平和行進は岡山市役所前の大供公園から早島町役場までです。

出発集会の会場となった大供公園には行進参加者51名が出発集会に臨みました。

豪雨災害で岡山市の対応がなく、大森市長のペナントが届けられました。

県原水協を代表して県労会議の三上議長が挨拶をしました。

三上議長は、「蝉は元気に鳴いている。16日は午後寒河から備前市役所のコースを歩いた。5回目の平和行進だったが年齢もあり、大変きつかった。皆さんも体調には気を付けてほしい。原水協の総会があり、富田先生(関西学院大)のお話を聞いた。小国が独自の平和運動で核兵器禁止条約にも貢献したという話を聞いて感動した。どこかのセクハラ問題を放置して、女性の活躍を言い続ける国の政権とは全く違う世界があり感動した。日頃の平和の活動、草の根の活動をささやかでも一歩一歩すすめたい」と決意を語りました。

岡山市被爆者会・平末氏は「行進団の皆様とは今日でお別れとなる。18日には東山の慰霊碑にお参りをしていただいた。被爆者会として、核兵器廃絶のために運動されている皆様に敬意を表したい。87歳の生涯まっとうできればとの思いでいるが、今日は山本幸三副会長とご挨拶に来た。読売新聞から電話があり、当時、爆心地から2kmの被爆の実態調査行われており、7月末にはデータが公開される。核兵器廃絶の運動から63年、今回は517万筆の署名を集めたが1000万の目標に向かって運動をはじめている。願いを染み込ませた運動としてさらに前進させたい」と行進団に期待を寄せました。

通し行進者の南友香佳子さんは「被爆者にどれだけ寄り添えるか?悩んだが願いは被爆者に届くと思う。豪雨災害で悲しい思いになった。自分は多様性の社会に生きることを望んでいる。青い空に核兵器を落とさせないためには一人一人の努力が大切。政府をもっと動かす運動をご一緒に進めよう。被爆者も高齢化で思いが届かないように見えるが、めげないで頑張りたい。前に進む勇気があれば道は開ける」と元気に運動への期待を述べました。

2人目の通し行進者・五十嵐成臣さんは「神戸からこのコースに参加している。四国から平和行進60年の歩く行動に参加できた。核不拡散条約から、昨年は禁止条約へと大きく世界は変わった。核保有国の妨害があり、日本が反対していることは許せない思いだ。今は扉に手がかかった状態。訴えが届くように頑張りたい」と行進への思いを語りました。

総指揮を担当した共産党の東市議は「核兵器をなくそうとの願いを安倍政権は分かっていません。願いを行進に込めて、声を姿にしましょう」と呼びかけました。

途中の休憩所で行進者の声を聞きました。

林精研労組から参加をされた4人の女性のグループには3人の子どもさんを連れたお母さんも参加されています。

岩本さんは「先輩に誘われた。平和行進や世界大会のことがあったが初めて歩いた。友達や知人に核兵器の実態や世界の動きを知ってもらうことが核兵器廃絶につながると思う」と初めての平和行進に期待を込めました。

馬井さんは「広島の資料館に行ったことがある。特に被ばくした人は皮膚を垂らして歩いている人形はショックだった。行進は3回目だ」と体験を話しました。

内田さんは「子どもたちに原水爆禁止にについて知ってほしいと思って参加した。お母さんがやっていることを子ども足しに伝えたいと思った。家族の中でもよく話し合う」とにこやかに話してくれました。

1人でスマホと向き合っている青年は笠岡から参加の増成さんです。「青年の間では学習会をやっている。今年は豪雨災害で思うようにできていない。政府は外国ばかりに行かないで国内のことをしっかりとやってほしい。今回の災害で3人が亡くなった。家族の中でも平和について話し合っている」と身近なお話をされました。

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と き:2018年7月13日(金)12:15~

ところ:中国電力岡山支社周辺

概 要

 

原発ゼロを目指すイレブンアクション岡山は288回目となる抗議行動を行い、酷暑の中13人が参加しました。

伊原さんは、「福島原発事故当時に福島県在住の18歳以下だった約38万人を対象にした甲状腺検査の結果を巡り、検査でがんが把握されていないがん患者が少なくとも11人いることが判明。福島県による検査では、2011年10月~2018年3月で162人ががん診断が下されており、集計から漏れているがん患者の存在が指摘されている」と報告しました。

参加者は、直ちに脱原発を実現しようと声を上げました。

7月9日(月)、建交労岡山県本部は中高年齢者の雇用・就労機会の拡大を求めて、倉敷市と岡山労働局と懇談を行いました。懇談には10人が参加し、生活の安定を訴えました。

建交労中国協議会の山室まことさんは、「無年金・低年金などの理由から働かなければ生活ができない中高年者が増加している。雇用確保の問題と、賃金など労働条件の改善も必要だ。ここ10年連続してワーキングプアは1000万人を超えている。働く者の賃金引き上げと社会保障の拡充は深刻な問題ではないか」と要請の趣旨を説明しました。

倉敷市は、「無年金・低年金故に生活苦に陥っている高齢者の実態は把握している。しかし、高齢者問題に特化して対策を講じるのではなく、障碍者雇用、引きこもりなど就業弱者全体をどうしていくかという総合的な観点で施策を進めていく」との回答でした。また、生活困窮者自立支援制度の促進について、「相談支援を行う担当者を配置している。また、認定就労訓練事業を行う業者として32事業者を認定している」と話しました。

岡山労働局では主に、失業者の雇用促進に向けた公的就労事業制度の確立とシルバー人材制度について懇談しました。労働局は、「チーム支援の体制を取り、高齢者の再就職をサポートしている。すぐに、制度をつくることはできないが、失業者の雇用促進に向け努力している。シルバー人材センターは、業務を受注することにより、他の労働者の雇用や就業の機会を浸食したり、労働条件の低下を引き起こすことがないようにしないといけない。そのための指導はしている」と回答がありました。

現在、低年金・無年金の高齢者は不安定雇用の増加に伴い増えています。若者の不安定雇用化も深刻化しており、約3割が非正規雇用であるとされています。非正規ではたらく若者の多くは社会保険に未加入であり、将来に不安を抱えています。今の高齢者の実情は未来の若者の姿であることを実感しました。

7月10日、県労会議が事務局を担う「種子と食、農を守る岡山県協議会」は岡山県に対して、種子法が廃止されたもとでも県の取り組みが後退しないように条例の制定を求める要望書」を提出しました。要請項目は3点で、①優良種子の育成・普及のための条例制定と供給体制、予算の確保、②公共種子を民間にゆだねないよう管理と検査体制を講じること、③国に対して種子を守る新たな法律の制定を求めるものです。


要請書は協議会会長の農民連の長谷川卓夫さん(農民連)が県の農林水産部農産課の西田豊課長に手渡しました。参加者は協議会から18人、県は副課長、参事など4名が対応されました。


冒頭に西田課長は「豪雨災害で甚大な被害が発生。被害の実態把握に努めている。要請の趣旨については氏平県議から質問もあり理解している」と話し、要請について回答しました。県として、「昨年の3月議会で種子法が廃止されたため、根拠を失った条例は廃止して要綱で現状を維持している。人員、予算、原種の維持をしているが、条例化するつもりはない。国に対しても新たな法律を要望する考えはないが付帯決議に沿って運営する。民間業者から種子や技術の提供などを要求された事例はない」と回答しました。

これに対して、農民連の宇野顧問は「JAとの懇談では将来にわたって要綱が維持される保障はないと言っている。要綱では拘束力がなく、議会で議論もされない。単なる通達に過ぎない。県民の意見を反映するやり方でないと国言いなりになる危険性がある」と反論しました。一方、県側は「意見は分かるがこれからも維持する決意でいる」と返しました。

宇野顧問は種子法廃止の意図について、「自家栽培を認めないとする議論もあり、民間に種子栽培の権限を委譲するものだ。民間は姿を変えて接近してくる。種子が高くなれば農家は死活問題であり、予算が減らされれば公共性のある種子が無くなる。それが政府の狙いでは?」と疑問を呈しました。県はこうした疑問に対しても「県単独で価格を維持できるものではなく、関係団体の拠出でやっている。儲かる農業にすることが大事であり、その態勢づくりもしている」と種子の価格維持に対する困難さを吐露しました。

具体的な意見交換では「県独自の米、品種の維持や自由化に動きについて、みつひかりを例に価格が10倍するが、肥料は1.5倍必要であり、収穫も思うようにはいかない。安定供給できるコメの生産が必要では?」との提案に、「例えば朝日米は安定しているが、業務用としての需要であり、すし米として使われている。需要も県内に止まっている。丼物ではあけぼの米の需要が大きい。県としては岡山の農業を守り発展させる立場であり、朝日米もたちまち止めると考えていない。朝日米は交雑されてないコメで県の宝でもある。さらにおいしいコメとして育成・研究する試験場としての責任もある」と話し、品種の維持だけではなく売れる品種の育成が課題だとする認識を示しました。その他、儲かる農業としての県の施策を示し、農業をめざす人が、自営や地域協力隊の形で増えているとも話しました。

参加者からは、「国内的には廃止の理由がない。種子の安定供給は農家にとって必要。種子の育成や現況を市民レベルでも分かるように」などの意見が出されました。

県労会議のスケジュールを更新しました。

新しいスケジュールはココ岡山県労働組合会議7月6日~8月6日のスケジュール

 

 

 

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とき:2018年6月28日(木)11時~

ところ:全労連会館2階ホール

6.28国民春闘共闘委員会記念講演

「私が見た南スーダン・自衛隊」講師:小林基秀氏(新聞労連委員長・MIC議長)

小林氏は元北海道新聞の記者としてエジプトカイロ支局に派遣されていました。中東・アフリカ・南スーダンで取材をされてきました。その彼が「何故?北海道の自衛隊がPKO派遣されるのか」「冷戦が終わって北海道を守る必要がなくなった。応援を貰う立場から本来なら減らされる部隊のはず。ところが第5旅団は減っていない。自衛隊がいると地元は潤う。何よりも人口が増える。自衛隊員はまじめで犯罪が少ない。学校も維持できる。地元からは歓迎されている。地元も潤う存在だった」と話し、「その自衛隊が真っ先に派遣されたのがイラク・南スーダンだった。その南スーダンで自衛隊は2013年12月、内戦状態が続き、撤退の検討がされている時に韓国軍に銃弾1万発を渡した事件があったが、これは明らかに武器供与であり、3原則に違反している。しかし、その場で提供は当たり前で当時の戦況はそれだけひっ迫していた」と、ことの経過や戦争の背景や自衛隊の活動について話し始めました。

「国連施設内が一番安全な場所だった。給水、医療支援、道路整備が自衛隊のPKO任務だった。夕方にはサッカーやバスケ、トレーンングに励む自衛隊員の姿があった。2年前は何もなかったところだが、ここに国連の支援軍が集まった。自衛隊の道路整備は手作業で危険な地域ではなかった。ところが1万人のヌエル族市民が逃げ込んで来て、危険性は高まってきた。一方で市民の食料事情は悪く、子どもは栄養失調で死んだ。自衛隊とは鉄条網の策で仕切られているものの、その市民を狙ってリンカ族が襲ってくる危険性があるからだ」と説明しました。「もともとヌエル族はクーデターを起こした側であり、リンカ族に狙われていた」として、スーダンと南スーダンの歴史的な紛争の経緯を話し始めました。

南スーダンは1955年から内戦が始めっている。スーダンはアラブ系とキリスト教系に部族が支配していたが、アラビアでは学校教育はアラブ語でやっていた。南スーダンは様々な部族語が混在していたが教育はアラブ語だったために不満があり、絶えず反政府ゲリラが起こり、統治もされず独立できないでいた。南スーダンにはお金はないが石油があった。この石油を南スーダンから北側のスーダンを通して石油を売っていたが、これでは儲けることができず、隣国ケニヤの支援を通して石油のパイプライン計画が持ち上がった。南スーダンは2013年に政治指導者間の争いで治安は悪化した。2016年7月、南スーダンの首都ジュバ市内で戦闘行為が激化して国連安保理が保護部隊を治安の鎮静化に努めた。2017年3月に自衛隊は11次にわたる派遣活動を終了している。

2014年3月の北海道新聞では道内の部隊80人がアフリカ・ソマリア沖アデン湾の海賊対処活動のために自衛隊拠点から1カ月派遣された警備や施設整備にあたっている活動を報じています。その拠点では2012年の報道だが、海賊監視に使われた45億円の施設も紹介され180人の隊員が活動しています。これが北海道新聞にいた頃の小林さんの報道だが、小林さんは「もうPKO活動ではなくなっている。治安が沈静化すれば石油関連の民間企業が入る。軍隊の役割がそこにある」と説明しました。

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と き:2018年7月5日(木)10:00~

ところ:岡山県農林水産総合センター

概 要

種子と食、農を守る岡山県協議会は種子法廃止に伴い懸念される影響について、種子の原種、原原種の研究・管理を行っている岡山県農林水産総合センターと懇談を行いました。農業者、市民ら9人が参加しました。

農民連の畑さんは、「種子法が廃止されたことで、種子を保護する法的根拠が失われた。民間企業による種子の独占や価格高騰、食の安全が懸念されている。しかし、農家であっても種子法廃止についてほとんど知らないのが実態だ。日々、種子の保護に尽力されている専門家の考えを訊きたい」と懇談の趣旨を説明しました。

岡山県農林水産総合センターの谷名所長は、「これまで私たちがやってきたことは質を落とすことなく、かつ農家のみなさんに迷惑をかけないように継続していく。岡山県では岡山県稲、麦類及び大豆の種子供給に係る基本要綱を定めている。国の種子法が廃止されても、この要綱を根拠にした種子保護と予算配分がされている」と話しました。

現在、約2億円の予算をかけて農林水産総合センターは運営されています。そのお金は地方交付税に含まれています。しかし、公務員削減、予算削減のあおりで、農林水産総合センターへの予算の縮減、施設・設備の老朽化、人員削減により原種圃事業の運営は厳しさを増しているとのこと。

農民連顧問の宇野さんは、「アメリカのモンサント社は世界の種子市場の四分の一を保有している。種子法が廃止されたことで、海外企業が日本にいつ進出してきてもおかしくない。農林水産総合センターなど原種、原原種に関わる施設を企業がそっくり買い取る事態が発生する可能性は高い。今は岡山県も要綱に基づいて施策を施しているが、国の方針が変われば各都道府県の対応も変わる」と危機感を表明しました。

各参加者は、種子の安定供給と作付けの保障、食の安全を確保するために種子を保護する条例を制定することを強く求めました。

と き:2018年7月3日(火)12時30分~

ところ:岡山駅西口サンステ

7月3日(火)、恒例の「アベ政治を許さないプラスター行動」が岡山駅に西口サンステで行われました。台風の接近で雨と風が強く、横断幕も倒れそうな中で14人が声を上げました。運動の当初はサイレントで呼びかけられた行動ですが、それを無視して訴えは今も続いています。


7月16日から平和行進が入ってくる関係もあり、7月19日の総がかり行動は中止になります。
安倍政権の批判には事欠きませんが、ここまで横暴で醜い政治が続くと異常を通り越して、狂気へと様変わりした思いです。私たちもこれまでは批判でしたが、最近は「もうやめてくれ。退陣を」という怒りの叫びしか出てこなくなりました。外国に対しても恥ずかしい政権に対して私たちは「退陣を」の声を上げ続けるしかありません。


加計学園理事長の記者会見が6月18日に行われました。この問題が発生して以降、一言もしゃべらず、顔さえ見せなかった加計氏がマスコミに顔を出したのはウソをつくためでした。しかも、発表から2時間で記者会見が始まり、立ち合いは地元の記者だけという異常さでした。さらに、この改憲は大阪北部地震発生の直後でした。ふつうの良識ある人はそんなことしません。
まさに、大阪と東京のマスコミを寄せ付けないためであり、山陽新聞もグルか?と思わせる内容で、国民の知りたいことはすべて「知らない発言」に終始、核心に迫る質問もありません。最後に加計氏は、「呼ばれれば国会の証人民に応じます」とうそぶきました。呼ばれることはないと確信しているようです。そんな政権側の異様さに怒りは収まりません。「声を上げましょう。9条改憲、国会の冒涜は許さない」と訴え、「私には言いたいことがある7.3コール」で「麻生副総理、早く辞めてください」と一斉に声をあげました。最後は替え歌で「文書の改ざん/証人喚問/しゃべらず退職/がっぽり退職金」と皮肉たっぷりに全員の輪唱でした。

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