岡山県労働組合会議

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カテゴリ   北海道新聞

とき:2018年6月28日(木)11時~

ところ:全労連会館2階ホール

6.28国民春闘共闘委員会記念講演

「私が見た南スーダン・自衛隊」講師:小林基秀氏(新聞労連委員長・MIC議長)

小林氏は元北海道新聞の記者としてエジプトカイロ支局に派遣されていました。中東・アフリカ・南スーダンで取材をされてきました。その彼が「何故?北海道の自衛隊がPKO派遣されるのか」「冷戦が終わって北海道を守る必要がなくなった。応援を貰う立場から本来なら減らされる部隊のはず。ところが第5旅団は減っていない。自衛隊がいると地元は潤う。何よりも人口が増える。自衛隊員はまじめで犯罪が少ない。学校も維持できる。地元からは歓迎されている。地元も潤う存在だった」と話し、「その自衛隊が真っ先に派遣されたのがイラク・南スーダンだった。その南スーダンで自衛隊は2013年12月、内戦状態が続き、撤退の検討がされている時に韓国軍に銃弾1万発を渡した事件があったが、これは明らかに武器供与であり、3原則に違反している。しかし、その場で提供は当たり前で当時の戦況はそれだけひっ迫していた」と、ことの経過や戦争の背景や自衛隊の活動について話し始めました。

「国連施設内が一番安全な場所だった。給水、医療支援、道路整備が自衛隊のPKO任務だった。夕方にはサッカーやバスケ、トレーンングに励む自衛隊員の姿があった。2年前は何もなかったところだが、ここに国連の支援軍が集まった。自衛隊の道路整備は手作業で危険な地域ではなかった。ところが1万人のヌエル族市民が逃げ込んで来て、危険性は高まってきた。一方で市民の食料事情は悪く、子どもは栄養失調で死んだ。自衛隊とは鉄条網の策で仕切られているものの、その市民を狙ってリンカ族が襲ってくる危険性があるからだ」と説明しました。「もともとヌエル族はクーデターを起こした側であり、リンカ族に狙われていた」として、スーダンと南スーダンの歴史的な紛争の経緯を話し始めました。

南スーダンは1955年から内戦が始めっている。スーダンはアラブ系とキリスト教系に部族が支配していたが、アラビアでは学校教育はアラブ語でやっていた。南スーダンは様々な部族語が混在していたが教育はアラブ語だったために不満があり、絶えず反政府ゲリラが起こり、統治もされず独立できないでいた。南スーダンにはお金はないが石油があった。この石油を南スーダンから北側のスーダンを通して石油を売っていたが、これでは儲けることができず、隣国ケニヤの支援を通して石油のパイプライン計画が持ち上がった。南スーダンは2013年に政治指導者間の争いで治安は悪化した。2016年7月、南スーダンの首都ジュバ市内で戦闘行為が激化して国連安保理が保護部隊を治安の鎮静化に努めた。2017年3月に自衛隊は11次にわたる派遣活動を終了している。

2014年3月の北海道新聞では道内の部隊80人がアフリカ・ソマリア沖アデン湾の海賊対処活動のために自衛隊拠点から1カ月派遣された警備や施設整備にあたっている活動を報じています。その拠点では2012年の報道だが、海賊監視に使われた45億円の施設も紹介され180人の隊員が活動しています。これが北海道新聞にいた頃の小林さんの報道だが、小林さんは「もうPKO活動ではなくなっている。治安が沈静化すれば石油関連の民間企業が入る。軍隊の役割がそこにある」と説明しました。

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