岡山県労働組合会議

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カテゴリ   大会

とき:2011年10月9日(日)10時~15時

ところ:勤労者福祉センター5階体育集会室

概要:

岡山県労働組合会議は10月9日、第23回定期大会を勤労者福祉センターで開きました。冒頭、3月11日の震災犠牲者への黙祷から始まり、花田県労議長が挨拶に立ちました。「ジャパンドリームの実現として財界に歓迎された野田政権が誕生した。しかし、対立を装いながらの自公との事実上の連立は2大政党制の崩壊を示している。日本経済の根幹の問題でもある派遣法は議論もされない状態が続いており、税と社会保障の一体改革も含めて労働者・国民に負担と犠牲を求める政治が続いている。原発は未だに収束していないし、被害は拡大するばかりだ。原発ゼロの運動が盛り上がっているが、エネルギー政策をはじめ、県民の理解を深めるきめ細かい学習や運動を求められている」と話しました。

議長団選出までの司会の任に立つ後藤副議長

花田県労議長の挨拶

来賓挨拶では日本共産党の森脇県議が3点に絞って、①米軍の低空飛行問題では県民の運動が県を前向きに動かしている。②一方で県知事は子どもの教育問題で5年以内に10位の学力をめざすとして、学校のいじめや荒れの問題を学力にすり替えている。③地域主権改革で国は地方交付税で絞りながらも国の責任を県に押し付けている。と話しました。

来賓の森脇県議

 討論では議案を補強する立場から13人が発言し、討論のまとめを伊原事務局長が行った後、満場一致で提案された議案は採択されました。

 討論では、最賃問題での機敏で県労会議の組織を挙げた取り組みを生協労組の代議員が求め、特に2年に一度の最賃審議会委員の推薦ができなかったことは遺憾としました。また、地域労組からは谷本代議員がナイスプランニング【派遣会社】に雇用されたブラジル人労働者の労災隠しなどの労働実態の改善を求めて2度のストライキが実施された一連の経過が報告されました。組合員3名が参加して、闘争への協力が求められ参加者らは拍手で応えました。県労美作からは湘南運輸の職員が待遇改善を求めて相談があり、組合加入に結びつき学習をしながら組織の体制確立に力を入れていると、本人も含めた発言がされました。JMIUの代議員は組織強化と青年の学習強化で組織拡大をしたいと決意が語られました。自治労連からは震災支援の教訓から自治体の役割が見直されているとしながらも、公務員攻撃の中で公務員に対する間違った認識も広がっている、として市民に真実を知らせる運動を強化したいとの決意が述べられました。青年問題では平和活動を通じての青年運動の広がりと青年集会に向けての取り組みなど、非正規労働者の実態に迫るシールアンケート活動の結果なども紹介されました。

団結ガンバロウと大会方針を全会一致で決めました。

閉会挨拶を行う岩佐副議長

承認された大会議案はココ県労会議第23回定期大会議案(10月9日)

 どの発言も情勢を変えたいとする積極的な内容で、活気のある大会となりました。

と き:2011年9月17日(土)~18日(日)

ところ:全労連会館

概 要:

 

 第24回目となる全労連青年部定期大会が、「つづけよう復興支援!なくそう原発!青年の力で安心して働き暮らせる社会をつくろう」をスローガンとして9月18日~19日の2日間開催されました。全国各地から青年部担当者が集い、これからの全労連青年部の運動について思いを共有しました。

 大会に先立って「3・11後の日本~私たちにできること~」と題した特別講演が井上久さん(全労連事務局次長)によって行われました。井上久さんは、「今回の震災は津波という今までにない震災です。生活の基盤である、住まい・仕事が崩壊。また、原発事故による放射能汚染の問題と大変な事態を招いています。私たちも全労連青年部ボランティアを行い復興支援に努めました」と話し、「いま震災を口実にした雇用の崩壊が進んでいます。そして、雇用の崩壊の危機は被災地だけの問題ではないことを忘れてはいけません。計画停電により最も影響を受けたのは非正規労働者です。大企業は計画停電を隠れみのとして派遣切り、賃金の引下げを行っていました。現在、福島原発の復旧作業を行っているのは手配師といわれる暴力団絡みの企業によって派遣された人たちです」と非正規で働く労働者の悲惨な現状を説明しました。最後に青年にしてもらいたいこととして3つのことを訴えました。「①直接的にできることだけが被災地支援ではありません。被災地の現状を知り、被災地域の青年と交流することも被災地支援です。②未来を担う青年として新しい経済社会を考えること。③それぞれの職場で団結して、職場を変えること」の3点を青年に伝えました。

 議長団・大会書記長・大会役員選出後、松山友幸さん(全労連青年部部長)があいさつをしました。「震災復興支援ボランティアに青年が積極的に取り組みました。また、原発ゼロをめざす運動は青年が中心となり奮闘しています。私たちの運動に確信をもって取り組みましょう」と参加者を激励しました。

来賓として田中悠さん(民青同盟中央委員長)と武田伸也さん(農民連青年部事務局)の2名があいさつをしました。田中悠さんは、「震災を口実に若者を使い捨てにすることは許されません。一人ひとりの願いをもちより社会を変える運動へとつなげましょう」と話し、武田伸也さんは、「これからの日本を支えていくのは青年です。自信を持って、自分たちの運動に取り組みましょう」と訴えました。

 五十嵐健一さん(全労連青年部副部長)から議案の提案が行われました。2011年度運動方針として、「①震災からの復興支援と原発ゼロの社会をめざして運動を進める。②誰もが安心して働ける社会の実現をめざし、ディーセントワークの実現を進める。③一人ひとりの青年の声を重視し、青年の様々な要求実現をめざす。④学習活動を進め、青年部活動の入り口として平和・核兵器廃絶運動を位置づける。⑤青年同士のつながりを活かし、すべての課題を組織強化拡大・次世代育成に結び付け、単産・地方青年部の活性化に努める」が提案されました。

 被災地からの活動報告が行われた後、全体討論に移りました。全体討論では全国各地の青年部から活動報告があり、今後の課題などの問題提起もあり充実した討論となりました。

自治労連:岡崎加奈子さん

高知県労青年部から、青年部として最賃体験を実施し、最賃審議会で発言をしたことの報告がありました。自治労連青年部からは、自治労連青年部としてボランティア活動に取り組んだこと、そして、公務員だから伝えることがなんであるかを模索しているとの今後の展望に対する発言がありました。道労青年部は、青年部運営員のスキルアップを図る活動に取り組んでいるとの報告がありました。この他多数の青年部から報告が行われました。どの青年部の報告も今後の青年部運動をどう展開していけばいいのかを見据えた報告でした。

 2日目は、2011年度役員選挙が行われました。新役員には、部長・松山友幸さん(自治労連)、副部長・細川善広さん(国公労連)、書記次長・大井信人さん(生協労連)、書記次長・佐藤聡さん(全教)がそれぞれ選出されました。

最後は団結がんばろーでキメました(^_^)/

 岡山県労会議からは弓田盛樹さんが全労連青年部・常任委員に推薦され承認されました。これからの県労会議青年部の運動の発展が楽しみです。県労会議青年部が青年運動の先頭となるようがんばります。

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と き:2011年8月7日~9日

ところ:長崎市民会館体育館・文化ホール

概 要:

8月7日から9日の3日間、原水爆禁止世界大会の本大会が長崎で開催されました。長崎大会には7800人が参加し、会場は盛り上がりを見せました。

7日の開会総会では、うたごえのみなさんによる「原爆を許すまじ」の合唱が行われました。また、開会総会執行議長である全日本民医連の藤末守さんは「東日本大震災による被災地でも核兵器禁止・廃絶、自然エネルギーへの転換を求めて平和行進が行われました。被災者本位の復興。福島原発事故からの1日も早い収束と自然エネルギーへの転換を求めともに連帯しましょう」と参加者に呼びかけました。

 長崎市長は、「東日本大震災に続く原発事故はノーモアヒバクシャを訴え続ける長崎市民に大きなショックを与えました。なぜ被爆国である日本で再び放射能による悲劇が繰り返されたのか私自身疑問でなりません」とし、「原発は絶対に安全であるという安全神話が国民を思考停止に状態にしていたとするなら、核兵器は使われないという神話があり、世界の多くの人々を思考停止にしているのではないでしょうか。福島原発事故のように取り返しのつかない状況になってからでは遅いのです」と会場に訴えました。

その後、被爆者からの訴え、国連・政府代表者の発言が続きました。大会参加者は「社会動かす力の根源は人間一人ひとりです。私たちの運動は小さいかもしれませんが、決して無力ではないのだ」と連帯を強めました。

2日目は各分科会に分かれて集会が行われました。青年企画として「青年のひろば」が開催されました。全国から100人を超える青年が参加し、パネルディスカッションと被爆者訪問に分かれて学習を行いました。パネルディスカッションでは岡山県から竹永さん、東京から新屋さん、ノルウェーからラースさんをゲストして、討論形式で集会が進みました。

竹永さんはユーモアを交えながら、「あるとき祖母から、広島で原爆に合い、被ばくした事実を聞かされ、自分が被ばく三世であると知りました。何かしなければならいと思い、平和行進に県内通し行進者として参加しました。それ以降、平和活動に取り組みようになりました」と話しました。新屋さんは、「世界大会に初めて参加し、被爆者の話を初めて聞きました。そのとき被爆者の方と戦争をなくすこと、あらゆる兵器をなくすことを約束しました」と話し、「昨年NPT再検討会議に参加し、パンギムンさんの話を直接聞くことができ、あなた方の力が必要ですと言われたときに自分が必要とされていると思ったことが平和活動に参加するきっかけになりました」と述べました。ラースさんは、「今回初めて世界大会に参加しましたが、青年が多いことにとても驚かされました。私が所属している核兵器廃絶を目指す団体では、青年を対象としたコンサートを開き、核兵器の廃絶を訴えたりしています」と話しました。

参加者から「どうしたら青年が平和運動に関心を抱いてくれるのか」という質問が出され、竹永さんは、「みんな色々なところで色々なことに取り組んでいます。活動をしているのは自分だけではありません。肩の力を抜いて、目の前のことを一つひとつ積み上げることが運動を広げていくと思います」と話し参加者から共感を得ました。

今回「青年のひろば」に参加し、青年の多さに驚きました。また、青年同士の交流を通して各団体の取り組みを聞くことで、いい刺激を受けることが出来たのではないでしょうか。

 3日目の閉会総会では、被爆者、各被害者が、「私たち被爆者は被爆者として生きていくしかありません。被爆国である日本で、原発事故によって再び悲劇が繰り返されたことは本当にショックです」と訴えました。

東日本大震災による被災地からは、「東日本大震災からの復興にはみなさんの協力が不可欠です」、「原発・核兵器に依存しない世界を作りましょう」との訴えには、盛んな拍手が起こりました。

原発とエネルギーの問題について愛媛大学伊方原発を考える会の中山さんから訴えがありました。中山さんは、「私は長崎で生まれ育ち、原爆を中心とした平和教育を受け、核兵器・戦争は絶対に許せないと思ってきました。しかし、原発に関しては怖いけど仕方がないと思っていました。これは私個人の意見ではなくい若者全体の意見ではないでしょうか。若者は今、原発は怖い。しかし、原発がなければ生きられないのではないかというジレンマの中に生きています。このジレンマを突破するには真実を知ることです」とし、「私たちは原発立地県として伊方原発を考える会を発足しました。学習を重ねていく中で、今の人間の技術では原発は使えないこと。自然エネルギーを最大限に活用していくことが今の現実には則していることを知りました。一部の人の利益を優先するのではなく、精一杯生きている私たち国民を守る社会をつくりましょう」と力強く話し、会場からエールが送られました。

フィナーレでは参加者全員で「We shall overcome」を合唱しました。

今回の世界大会には被災地からも多数の人が参加していました。核兵器廃絶、戦争のない平和な世界を求める思いを共有すると同時に、被災地に連帯した大会になったのではないでしょうか。

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と き:2011年7月30日(土)~31日(日)

ところ:広島県総合体育館(グリーンアリーナ)

概 要:

第57回日本母親大会2日目は分科会にそれぞれ分かれました。私は「草の根に広げよう母親運動―その原点と展望」という分科会に参加し、母親運動の基本について学んできました。

母親大会実行委員の木村康子さんを助言者として討論形式で分科会は進められ、40人が参加しました。また、被災地福島、宮城、岩手からの参加者もいました。冒頭で木村康子さんは、「女性は体のことについて生まれながらにして考えます。今回の福島原発事故で被ばくした小学生の女の子が結婚できない、子供を産めないといっているのを思い起こして下さい」と話し、「女性はいのちを産みます。この点が男性との違いです。辛い立場にありながら、それでもがんばっている女性に寄り添うのが母親運動です」としました。

討論では、「母親大会の原点は原爆です。今回の震災を受け、放射能汚染による悲劇は決して繰り返してはならない。今こそ母親たちが立ち上がるときです」という力強い訴えがありました。また、「母親運動は特別に能力がある人が参加するものではありません。女性であることと母親であることが運動の原動力になると思います」という発言がありました。

被災地から参加した女性は、「東日本大震災を機に、日本全体が変わりつつあります。今回の原発事故を受けても、住民運動の重要性が高くなっています。私たち母親がどれだけ先頭に立てるかが運動の発展につながります」とこれからの運動発展への熱意を表明しました。

 今後の母親運動の展望について熊本県建築労働組合の20代女性から発言があり、「私は女性部の担当をしており、どうしたら女性の要求を実現できるのだろうかと考えています。しかし、自分の要求に気付くことが難しい女性がとても多いです。私は社会全体が要求に気付くことが難しい社会構造になっているのではないかと思います」とし、「生涯、学習をしていくことで仲間を増やし、お互いを高め合うことのできる母親運動としたいです」と希望にあふれる発言でした。

 母親運動の主人公はあくまで女性です。しかし、だからと言って男性には関係ないとは言えません。世界と比較すると日本はジェンダー認識が甘いとの指摘があります。労働組合がジェンダーなどについて学習していくことで、男女の枠を越えた運動の先頭に立てると思います。

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とき:2011年7月30日(土)~31日(日)

ところ:広島県総合体育館(グリーンアリーナ)

概要:

 第57回日本母親大会が7月30日、広島県立総合体育館で開催され、全国から8500人が参加しました。全体会では被災県の岩手から70人、宮城80人、福島100人の参加が紹介されると、会場からは盛んな拍手が送られました。原発事故・放射能被害に苦しむ福島県の若いお母さんの涙の訴えに、参加者は「原発とこれ以上の放射能被害は許せない」と共感と共に連帯の拍手に包まれました。

大会実行委員長の高田公子さん(新日本婦人の会・会長)

大会実行委員会代表委員の高田公子さん(新日本婦人の会・会長)は主催者あいさつの中で、「大震災を通じて、国民の政治を見る目は大きく変わってきた。社会のきずなと連帯の力は地域の中でしっかりと根付いている。震災と原発事故への取り組みは子どもの未来を本当に守ることが出来るのか、今を生きる母親の責任を痛感させられる。命を守るため、核も基地のいらない日本へ、青い地球、日本国憲法を子どもたちにしっかりと手渡そう」と訴えました。会場では被災地への募金が訴えられ350万が集約されました。

広島の実行委員会作成のバックスクリーン

よく見るとメッセージで構成されています。

さらに近寄ると

「核と世界の子ども達」と題する歌と朗読の構成詩劇(地元広島)は感動をもって、称賛の大きな拍手が会場に響きました。反貧困ネットワーク事務局長の湯浅菜誠さんは記念講演の中で、「人間らしい社会は誰がつくるのか?」と問いかけ、「ないものをつくり、生きられる条件、社会をつくりましょう。社会が疲弊している。未婚率49%は異常。1年間に3万人も自殺しなくてもよい社会を」と話し、そのやわらかい語り口と、人柄からにじみ出る笑顔に魅せられ、会場からは共感の拍手が大きく広がりました。

湯浅誠さんのサイン会は長蛇の列に

歌手のクミコさんが特別参加して、3月11日の大震災に講演途中に遭遇した経験を交え、「INORI~祈り~」など2曲を歌われ、参加者にはCDのプレゼントと同時に、震災復興支援のクミコ募金が訴えられました。

各地の活動が紹介されました。来年は新潟です。(こいて~!新潟)

この後、参加者は市内パレードを行い、「ノーモアヒロシマ・ノーモアフクシマ」と訴えました。

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とき:2010年9月18日(土)13時~

ところ:勤労者福祉センター4階第2会議室

概要:15回大会と講演会

   講演会のテーマは「STOPセクハラ・NOパワハラ」

   講師は原田隆弁護士(あさひ法律事務所)

チラシはココ女性部大会チラシ228KB

とき:2010年7月21日~23日

ところ:東京・浅草ビューホテル

概要:大会は代議員資格352名中342名が参加をして大会を成功させ、3日間の討論を経てすべての議案を満場一致で採択しました。岡山県労会議からは花田議長、伊原事務局長、女性部から豊田さん(高教組)が参加しました。大会では77名が発言。3人が文書発言をするなど時間いっぱいの討論でした。大会の方針は多岐にわたりますが、全労働者の3分の1が非正規労働者となり、憲法が保障する最低限度の文化的な生活や教育を受ける権利などの機能が働かなくなっている現実に対する新しい方針として、雇用と社会保障による「福祉国家」の運動提案が印象的でした。それはこれまでの全労連運動を基調として、闘いの発展方向と重点を示す言葉として、或いは新自由主義との闘いを象徴する言葉として、大会参加者の心に残るものでした。

大会の様子は全労連のホームページをご覧ください。

休憩の間に撮りました。左から伊原、豊田、花田です。

岡山県労会議を代表して発言しました。発言は普天間基地撤去の運動から学習と議論の大切さを感じ取ったことや、基礎教育を運動の基調に据えることが求められているとしました。内容は全労連ホームページに詳しく掲載されています。

大会初日はJR採用差別事件の23年にわたる闘いで、建交労(全動労争議団)の政治解決を祝う、報告と感謝の夕べが開かれました。争議団と家族の辛く長い闘いはついに勝利して、6月28日、最高裁で和解が成立して、総額200億近い和解金が支払われました.

挨拶する池田全動労争議団団長

大会2日目に争議組合が紹介されました。

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