岡山県労働組合会議

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8.6原水爆禁止世界大会in広島

とき:2017年8月6日(日)13時~

ところ:広島県立総合体育館グリーンアリーナ

8月6日(日)、原水爆禁止世界大会・in広島はいよいよ最終日です。しかし、一参加者として大会の様子のメモを取る余裕はなく、頼まれごとに翻弄される半日でした。開会のあいさつを野口邦和大会運営員会代表が行いました。広島市長からのメッセージの代読がされました。被爆者を代表して田中煕巳さんがあいさつ。それぞれの言葉には核兵器禁止条約採択を歓迎し、日本政府にその批准を求める内容でした。野口さんは条約が謳っている条文から「核兵器が使用されない唯一の保障は廃絶すること。核兵器のあらゆる所持形態と威嚇を禁止している。これによって核の傘に入ることも違法とされた」と禁止条約の持つ生命力と権威を絶賛しました。国際会議宣言起草委員長の冨田宏治さんは案文を詳細に説明しながら「議論の過程で国際的な平和の波運動が提案された。これは世界の国々が同時刻にピースアクションを起こすことで、その波が世界を一周するというもので9月20日の禁止条約調印開始から26日の全面的廃絶のための国際デーまで毎日続ければ地球を7周することになる。各国が自国政府の条約批准に向けてあらゆる努力を尽くそう」と呼びかけました。来賓として出席された谷本睦志市民局長は松井一実市長のメッセージを代読しました。メッセージでは「絶対悪である核兵器は一瞬にして広島の街を焼き尽くし、被爆者は苦しんだ。しかし、世界から核兵器を無くすためにあらゆる努力を払ってきた。禁止条約を歓迎する。国際社会は廃絶こそこれからの世界のあり方とすべきだ。実効性を高めるためにも私たちの取り組みが必要。平和市長会議の議長として162ヵ国。7400の加盟都市と力を合わせる」と述べました。

被爆者の田中さんは「13歳の時に長崎で被爆。同じ年の若者は6000人が一瞬で亡くなった。私たちは禁止条約ができて最初で歴史的な最初の世界大会を迎えた。昨年運動を開始されてからこんなに早く条約ができるとは思わなかった。夢のようだ」と喜びを語りました。

海外代表はオーストリア外務省軍縮軍備管理不拡散局次長のマルチン・クリューガーさんは「鉄のカーテンの崩壊までオーストリアはNATOとワルシャワ条約機構の境に位置していた。それに伴う危険と脅威に晒されてきた。オタワ条約として知られる対人地雷とクラスター爆弾の撤廃に尽力してきた。オーストリアはすべての核兵器を禁止した」と話しました。

フィリピンのコラソン・ヴァルス・ファブロスさんは「フィリピンでは一度撤退した米軍が安全協定の下に帰ってきた。基地は市民の安全と環境に重大な被害をもたらす。砂金は若者が組織化運動を率いるようになった。独裁政治に対する全国運動という組織を立ち上げた。沖縄の闘い、被爆者の闘い、チェジュ島、グァム、ミンダナオの闘いに励まされる。市民が立ち上がっている」と日本の闘いを励ましました。

折り鶴プレゼンテーション、国際会議宣言を受けての決意表明、青年のトークセッションなど多彩な行事で大会は盛り上がり、一気にフィナーレを迎えました。

大会は長崎に引き継がれます。私も歴史的な大会に参加できたこと、発言の機会を得たことなど、思い出深い大会になりました。これで4日間の報告を終わります。

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