連想分類語 日中友好協会
とき:2014年10月1日(水)15時~
ところ:岡山市シティーミュージアム講義室
10月1日、映画「望郷の鐘」の山田火砂子監督を囲むつどいが岡山市シティミュージアム講義室で開かれました。
山田火砂子監督
つどいには中国残留孤児帰国者の方々や、孤児の国家賠償裁判の弁護団として奮闘された奥津・則武両弁護士、岡山市日中友好協会、日中友好協会と日本語教室に関係者、文学研究会の皆さん、民主団体、中国映画社の皆さん35名が参加して、山田監督のお話に耳を傾けました。監督の映画に掛ける情熱や残留孤児の父とも言われた山本慈昭さんの生き様への共感が伝わり、参加者からは「多くの人に戦争の愚かさ、むごさを知って欲しい」「満州残留孤児を知らない世代は多い」「親子で観て欲しい」と感想が語られました。
つどい後の懇親会
山田火砂子監督は82歳の高齢にもかかわらずお元気な方でした。これまでにも「はだしのゲン(実写版」「キムの十字架(アニメ)」「エンジェルがとんだ日(アニメ)」「石井のおとうさんありがとう」などの映画で知られています。べらんめえ調で反骨精神に溢れた語り口調はおよそ監督という先入観からはかけ離れた存在で、「ちょっと太り気味のすげーお婆ちゃん」という感じです。紹介されなければ分からない、というのが素直な印象です。
監督は児童書の「望郷の鐘」に出会い、終戦のわずか3カ月前の5月1日に満蒙開拓団が送り出されたことを知ったそうです。残留孤児の帰国に尽力した山本慈昭さんの生き様にも深く感銘を受けたと言います。約27万人の開拓団の人たちは8月の旧ソ連参戦で置き去りにされました。日本へ、故郷へ帰ろうと逃げまどい、飢えや寒さでたくさんの人が亡くなりました。多くの残留婦人、残留孤児をつくってしまった歴史の事実を政府は戦後も隠し続けました。
監督は「なぜ今、満蒙開拓団なのか。戦争の実体験をもつ監督はゼロ戦を格好良く描いた戦争映画を見て、劇場内でオイオイ泣いている若者たちを見て愕然とする。政府の武器輸出三原則の撤廃や憲法解釈による集団的自衛権容認もさることながら、若い人たちの戦争への憧れに危機感をもっている」と話されました。監督は続けて「戦争が格好いいはずは無い。戦争を知っている人も知らない人も、戦争とは悲惨なものであることを分かってほしい。平和な日本であり続けて欲しいから若者にこの映画を観てほしい」と訴え、「私は残留孤児をなかったことにする政府、官僚の感性のなさに怒りを感じる。大嫌いだ」と語気を強められるのを聞いて、多くの参加者が頷きました。つどいの後は日中友好協会の主催で懇親会も開かれ、自己紹介や映画への関わり、監督の失敗談や苦労話も入り混じって、上映会成功に向けた期待が膨らみ、心温まる時間が過ぎました。
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とき:2010年9月26日(日)14時~18時
ところ:ホテルサンルート
概要:
9月26日、日中友好協会は創立60周年を記念して岡山・倉敷支部が記念集会を開きました。集会には会員や友好団体の関係者など64名が出席して、協会が歴史的に果たしてきた草の根の活動が紹介され、記念講演や文化活動が披露されるなど和やかな交流が行われました。冒頭、竹内和夫会長が60年間支部活動に貢献した5人を紹介し、協会が日中友好に果たしてきた役割が強調されました。また、「今後も憲法9条を活かした活動で日中友好に力をあわせよう」と挨拶しました。
挨拶をする竹内和夫会長
記念講演に立った協会本部の矢崎光晴事務局長が「日中友好協会の歴史」と題して、中国残留孤児支援の活動や日本と中国の政府や同時に行っているアンケート結果なども示しながら、「中国との関係を良くしていくには、偏見に基づいたマスコミの中国観に惑わされないことや、盲目的に擁護しないことが大切」と話しました。出席していた中国から来た岡大学生からも「尖閣諸島のことでは心配もあるが、日本では露骨な抗議行動もなく安心している。自分たちが友好の活動を通して信頼を築いていくことが必要」と話していました。
矢崎事務局長の記念講演(日中友好協会本部)
交流では矢崎事務局長の狩の踊り、太極拳の演舞や三線、オカリナ演奏などが行われ、協会が果たしている幅の広い文化活動は出席者の確信となりました。
文化交流でオカリナ演奏
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