岡山県労働組合会議

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連想分類語  小畑隆資

とき:2014年2月1日(土)10時~16時

ところ:岡山市勤労者福祉センター

午前中の全体集会

 2月1日、3回目となった岡山県地域人権問題研究集会2014が開かれ、午前中は250人が参加して実行委員長・小畑隆資の基調講演を聞き、午後からは「労働者の人権」や「福祉と人権」など6分科会に分かれて議論されました。開会にあたって中島純男県人権連議長が主催者挨拶を行い、「今回は企業や法人の参加もあり、幅の広い集会となった。憲法の果たす役割や立憲主義という立場があるにもかかわらず、憲法改悪の流れが急速に強まっている。日米同盟の絶対視や大企業中心の経済政策が推進され、人権に制限を加えようとする動きが強まっていることは憲法上許されない。昨年12月6日に強行採決された特定秘密保護法や26日の名護市辺野古への普天間基地移設容認は憲法違反そのものだ。これに対しる運動として、人権を基本とする国家構想を基調とするネットワークを構成しながら連帯することが重要になっている」と話しました。

基調講演を行った小畑さんは、「日本国憲法の人権国家構想―立憲主義と基本的人権」をテーマに90分間話しました。講演は、「安倍首相は自著・美しい国の中で日本国憲法の良いとこ取りをして、集団的自衛権の合憲論を展開している。それは現在の憲法下でも集団的自衛権は自然権として行使できるとするもので4類型にわたって説明している。中でも基本的人権は侵すことのできない永久の権利として自然権だとしている点は重要だ。彼はこの自然権が戦争状態にあるとき個別的自衛権として発揮できる。自然状態の個人は命、自由、財産を守る主権者だとしている」として、集団的自衛権を固有の権利=自然権として理論展開している。しかし、集団的安全保障という考えは日本国憲法の国内秩序をつくる原理なのか?と問題を提起しました。

小畑隆資実行委員長(岡山大学名誉教授・憲法学者)

「立憲主義を精神とする日本国憲法は国民が三権の長に与えた規範であり、国民は権力を持たないが権力者が憲法を守るのなら、という前提で与えたのが権力だ。よく国家とは何は、国民は国家の一員かと問われると簡単には答えられない人がいるが、そうではない。国民は社会の一員であり、国民は統治者ではない」と国家や人権の性質を説明しました。そもそも基本的人権は侵すことのできない永久の権利とする理念は、もとを正せば米国の独立宣言であり、ここで言う自然状態の個人は命と自由を守るとしているが、財産も含まれているのかは正確ではない。現代における労働の成果は自分のものか?そうではない。当時の資本家も同じだった。すべての個人に財産権を認めていた訳ではない。しかし、現代の憲法では財産権を認めている。その憲法は、自然権として社会を構成する主権者が生命・自由・及び財産を守るために政府に権力者に委ねている。その憲法は紛争の解決のための戦争を否定していることが重要だ。そうでなければ専制政治になる。経済の幅は広く、自然権の行使だけでは世界から相手にされない。企業は人権意識を研ぎ澄ます必要がある」と、NHKが1月29日に報道した「クローズアップ現代―国際ブラック企業を許さない」を引用して説明しました。

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とき:2013年4月30日(火)18時30分~

ところ:勤労者福祉センター4階大会議室

4月30日、2回目の憲法講座が開かれました。講師の小畑隆資さんは前回と同じ講義としながらも、情勢に対応して新しい資料を追加して、安倍首相が狙っている憲法改悪の真の狙いを根こそぎ掘り起こしました。参加者は前回を含めると40名となりました。

小畑さんは自民党の憲法改訂草案の前文には、「日本の国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と始まる。それでは主語はなにか?それは日本の国であり、私たち人民ではない。しかも、国の固有の文化は天皇をいただく国家だったとういうものだがそうではない。例えば江戸時代に権力者は天皇だったのか?戦国時代には国はいくつもあり、領主は全国にたくさんいた」と具体的に歴史をもう一度ひもときながら、ごまかしを暴くように話を始めました。その上で、「日本の伝統とする文化は、人民が不当な支配と闘い、ある時はじっと耐え、ある時は一揆で立ち上がり、ある時は宗教であったりして自由と民主主義をつくってきた。それが伝統であり文化だ」と説明しました。また、天皇を象徴とする意味は何か?と問いかけ、「私たちが人権を守る国家構造を日本のシンボルとして天皇が認めるならば、象徴として認める」という意味であって、飾りではないとしました。

そこで、現天皇が1989年1月8日の即位後に行った朝見の義における「お言葉」の解釈をめぐって問題になったことを、現憲法の99条(憲法遵守義務)をめぐる話題として提供しました。それは、総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁裁判所長官など三権の長を中心とする政権トップを前にして、天皇が、「ここに皇位を継承するに当たり、・・・皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」云々と述べたことを紹介して、問題はここでの「皆さん」とは誰をしているか?ということであり、当時のマスコミは、「皆さん」を「国民」と受け止めていたことを、高橋和之(東京大学教授法学部教授・当時)が問題提起をしていると話しました。当時の竹下内閣も憲法三条に沿って「助言と承認」をしているが、高橋和之氏は1990年出版の岩波新書「昭和の終焉」の中で、「もし内閣が、国民も同様に憲法遵守義務を負うのだという、立憲主義の論理を形骸化しかねない考えを、天皇の「お言葉」を借りて国民の意識の中に滑り込ませようとしたとすれば、これはなかなかの曲者で、用心が必要である」と警鐘を鳴らしていると説明しました。

私達は意図していなくても、無意識の内に「憲法を守ろう」と言っている訳で、国民の義務であるかのように訴えている宣伝を考え直す必要がありそうです。小畑さんは「憲法は人民が生命・財産・自由などの基本的人権を守るならば、という前提で権力者に与えたルールだ」と何度も強調し、権力者には死刑や監禁、武器の使用などの権力が与えられており、一般国民には許されないのが権力の本質だと話しました。

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