とき:2018年8月1日(水)18時~
ところ:岡山市勤労者福祉センター4階
8月1日、県災対連は、広島県災対連から川后和幸さんを招き学習会を開きました。この学習会は岡山県災対連の結成が7月14日でしたが、その後は平和行進などもあって十分な活動ができていませんでした。参加団体の中にはすでにボランティア活動を始めている人もいます。今日も10回以上ボランティア活動をされている人も今日参加されました。
災対連の活動を長期の運動としてとらえ、ボランティア活動だけでなく、被災者とともに災害救助法の支援拡充や市民・県民の命を守る対策を広くとらえて活動しようとするものであり、広島に教訓に学ぼうとするものです。学習会には23人が参加、講演後も8人が発言。質問と熱心な討論が行われました。
冒頭、災害対策で岡山入りしていた大平喜信前衆議院議員が挨拶をされました。大平さんは「心配された台風が去り、豪雨災害から1カ月を迎えた。再び岡山で活動している。被災者の方々は夜も眠れない避難生活をされている。マンパワー総動員で家屋に溜まった泥や被災した家財を出す活動が続いている。河川に設置された土嚢から決壊した河川の傷跡が分かる。連日地方議員と走りながら行政に対策を求めているが、倉敷市の伊藤市長も最初は消極的だった木造仮設住宅に前向きになっていることに要請の成果も見える。暮らし、農業、生業をどう立て直すのか?支援活動は1カ月では終わらず、継続した活動が求められる」と自らの経験を振り返りながら災対連の結成を激励しました。
講演に立った川后さんは、2014年に広島県で土砂災害があった時に災対連を立ち上げボランティア活動をはじめたとして、「見通しをもって始めたわけではないが、災対連があることで住民の要求運動ができる。住民の納得と実態に見合った支援こそ求められる。支援金、仮設の入居条件、全壊半壊で大きく違う支援金、被災者を主人公としてどう運動を広げるかが課題」としました。「広島の災害は土砂災害であり、残酷な被害を残した。川を、道を一本隔てて災害地域とそうでない地域が分かれた。生活の再建はどうやればできるのか?災害救助法で受けられる支援は何か?を知っておく必要がある」として、そのためにも災対連の活動は、「被災者の支援活動と被災者を真ん中に据えた生活再建、復旧・復興に向けた政策・制度要求運動がある」と活動の基本を説明しました。「社会福祉協議会と災対連の活動で決定的に違うのは、社協の場合は支援要請が直接被災者から要請されるが、災対連は自分で仕事を見つけなければいけない。しかし、社協にできるのは個人宅の支援であり、神社・仏閣・お墓・倉庫は対象になっていない。墓の掘り起こしでは大きな役割を発揮した」と災対連ボランティアの特徴を話しました。
「支援の聞き取りで難しいのは被災宅には人がいないことであり、何でも相談室などを開設、医療生協の組合員が被災地域にいたことがボランティア活動につながった。この運動を通じて、多くの組合員や仲間を守ろうと2カ月で3000人が結集した」として活動の難しさや工夫、運動の成果について説明しました。災対連の活動を記録し、広げることも重要であり、科学者会とも連携して作成された記録集や手引きをいただきました。感謝です。
参加者からは「どうやって住民運動にするのか?救助法の支援の格差をどう埋めるのか?センターの運営はどうやったのか?」などの質問が出ました。また、「生業や融資制度の拡充が必要。救助法を実態に応じて変えさせることが大事」などの意見も出ましたが、運動として被災者を前面に押し出した要請ができるのかがポイントだと分かりました。
小田川の氾濫について山陽新聞の記事が紹介され、記事は河川の雑木林が災害の原因になっていることを意図的に隠していないか?」などの意見も出ました。
ボランティア活動をしている方は「災害地域でボランティアの格差がある。どうすればいいのか」などの悩みも出されました。
今後、事務局で具体的な活動を工夫したいと考えます。お盆を過ぎれば倉敷真備町に支援センターを置くことができそうです。
それまではボランティアの組織や支援課題の把握、住民との繋がり、政治や人権、雇用、経済、河川の在り方、ダムの問題などの観点からこの問題を掘り下げる準備をしたいと締めくくりました。
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と き:2018年7月30日(月)13時~
ところ:倉敷真備町箭田
7月30日、県災対連として、東京地方労働組合評議会と東京土建労働組合の3名をご案内して豪雨災害被災地倉敷市真備町の調査に入りました。道案内は倉敷箭田在住で先々代県労議長の妹尾さんにお願いしました。東京地評の阿久津さんは取材を兼ねて、県災対連を訪ねて来られました。東京地評とボランティア派遣の具体的方法と受け入れ態勢に関心をお持ちで、社会福祉協議会のボランティアセンターを訪問して、受け入れ機能や具体的な活動について聞きました。県災対連も対策本部としている新田事務所の受け入れが十分でない中、団体の支援を受け入れる機能がボランティアセンターにあるのか心配でしたが、事前連絡さえしていれば被災者とのマッチングが可能であり大丈夫との返事でした。
現地は先週までに聞いていた凄惨な状況も、ゴミの撤去が進み、泥水が引いていることなど若干ですが変わりつつあり、なかなか入ることができなかった箭田地区へスムーズに入れたのは意外でした。その理由は台風の影響もあって、今日はボランティア活動が中止され、交通量が軽減されていることもあると思われました。
真備町に入るとまだ泥の匂いがしました。地域によっては水が引いていない処もあります。道路脇には生活ごみや畳、タンス、ドアが高く積まれていました。道路は乾いた土で汚れています。重機があちこちでゴミを持ち上げトラックに積んでいました。
住宅街は一見すると普通の団地ですが、近づくと人は住んでいません。家屋は窓もドアもなく、浸水時の生々しさを残しています。
真備町は土壁の家が多く、壁を取り除けば再建できるのか?判断が難しそうです。新築の新建材を使った住宅は壁こそ残っていますが、水が入った壁は取り換えが必要であり、条件は同じですが、全壊・半壊の判断がどこまでされるのか?専門的な判断が待たれます。すでに重機が家屋を取り壊しています。町中に入ると、後片付けに入っている住民の方もいました。土埃は多く、ゴーグルなしの作業は無理な様子です。
今日はボランティアの支援を中止していますが、自衛隊は復興作業を継続しています。被災した家屋を見ようと家屋に近づき車を止めると、隣の家に自衛隊員が20人くらい休憩していました。挨拶をすると若い隊長さんが笑顔で対応されました。「民家を借りて休んでいる」と明るい声が返ってきました。できるだけ人目につかないように奥まった場所を休憩場所に選んでいるようでした。被災家屋は深刻です。「調査が前提だがこのままの再建は無理、ほぼ建て替えと同じになる」と東京土建の方が話され私も頷きました。
ボランティアセンターでは受付をしている方にお話を聞きました。ご自分もボランティアだと言われ、「十分な説明はできないが、平日800人、土日は1600人くらいのボランティアが来る。事前に被災者からの要請があり、グループで支援に行っている。支援先へはセンターが用意しているバスで行ってもらう。長時間の作業は猛暑で困難であり午後2時には作業終了です。お弁当やお水はご自分でご用意ください。団体での受け付けはグループでの活動を希望される場合は事前にご連絡ください」とのことでした。センターにはスコップや土嚢、鋤簾、バケツ、ロープなど支援に必要な道具の用意がありましたが、持参がベストです。受付では初めての方、2回目以降と分かれており、順番に受け付けている見取り図も貼ってありました。地域にはサテライトセンターもあり、そこで休憩はできることもわかりました。
今日はボランティア活動が中止になっているにも関わらずセンターを訪れる人もいて、作業道具の点検や並べ替えを手伝っていました。
案内役の妹尾さんは被災地域が一望に見渡せる小田川福間橋付近に車を止めて、浸水した地域の広がりや水の深さについて説明してくれました。左に箭田橋付近の決壊場所が見えます。小田川は6カ所が決壊しました。そのために水害は一気に広がったものと思われます。支援学校が手前に見えます。目の前は広大な田園地帯です。支援学校にバスが何台も止まっています。ボランティアでもないのになぜ?と思いましたが、よく考えると被災して使えないバスだと分かりました。
右手には二万橋が見えます。妹尾さんは、その向こうに広大な浸水地域があると話しました。見通すとゴミの山がいくつか見えます。自衛隊員が活動しているのは迷彩服で分かります。穏やかな田園風景の中に被災した街が広がっていました。
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7月26日(木)~28日(土)、第29回全労連定期大会が開催されました。全国から352人が参加。会場では、西日本豪雨災害の復旧支援カンパが行われ、69,025円が集まりました。
小田川議長が開会あいさつを行い、「先の国会で企業の働かせ方の自由を拡大し、生産性向上に寄与するための労働法制改悪が強行された。労働者保護の底を抜く規制緩和であり、劣悪な働き方をさらに悪化させることになる。労使関係だけで、職場への導入を止めるだけは事足りない。制度の廃止をめざし闘う決意を固め合おう」と語りました。
議案の提案を行ったのは橋口事務局長代行で、「この2年間の闘いの最大の特徴は安倍9条改憲ノーにある。これまでにない共同行動を実現し、現時点でも自民党改憲案を国会で発議させない状況をつくりだしている。憲法学習を強化し、改憲策動を打ち破るとりくみを進める」と安倍憲法9条改憲との闘いが第一義的課題として提案されました。
69人が討論に参加。県労会議の弓田事務局次長は豪雨災害の被害状況の報告と支援へのお礼、おかやまいっぽんの活動を報告し、労働組合を継承していく青年への支援を訴えました。また、全労連青年部からは、「憲法は何色だと思うか」と質問が出されました。多彩な発言で強化された議案は、満場一致で採択されました。
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とき:2018年7月26日(木)9時~
ところ:笠岡役所~城見小学校~大津野石樋公園
7月26日国民平和大行進もいよいよ広島へ引き継ぎです。笠岡市役所前で行われた出発集会では70人が集まり、最終日を盛り上げました。
横断幕、コープに虹の旗、風船、そして団体旗で市役所前はとても賑やか。テレビカメラも来ています。
笠岡市の小林嘉文市長は「73年前の広島原爆で多くの方が亡くなった。核兵器は絶対に無くさなければと思う。米朝会談で核戦争の危機を脱してホッとしたが、世界には未だ多くの核兵器が存在している。内紛で戦争が続いている。平和でこそ国民の暮らしも守られる。この度の災害では笠岡市も被害に会った。対策本部長と今日も対応していく。暑さも厳しい中、身体に気を付けてほしい」と激励しました。栗尾順三市議会議長も同席され、行進団に紹介されました。
地元実行委員会を代表して井木守市議会議員があいさつ。「1958年前に平和行進が始まったが、私はその年に生まれた。今日は広島へ引き継ぐ行進。1945年ニューメキシコアラモード原爆は生まれ、アメリカ・トリニティーで最初の原爆実験が行われた。今日は原子爆弾投下命令が下った日でもある。朝鮮の非核化など歴史的な歩みが始まっている中での平和行進の意義は大きい。笠岡市は6月の議会で請願が不採択となった。運動でこうした核兵器容認の動きを跳ね返し包囲していきたい」と決意を述べました。
コープで平和運動をしている小林恵子さんは「昨年は広島を訪問、今年は焼津にも行った。8月7日は長崎を訪問する予定だ。学び原子爆弾をなくす運動を広げたい。笠岡市でも福山工業の学生さんを招いて原爆展をやる。ご一緒に頑張りましょう」と平和運動の大切さを体験から語りました。
行進の出発では市長・議長の2人が横断幕を持ち、一緒に歩いてくれました。最終日は細い道が続き、自動車の往来も激しいため、常に行進団の後ろから「車が来ます」と声を掛け続けるのは笠岡市職労の赤沢さん。途中、菅原神社で休憩。このコースでお会いするJMIUの長谷川さんが亡くなられたと聞きました。毎年、お元気な姿を拝見していましたがとても残念です。コープの皆さんの湯茶の接待に感謝。酷暑の中にあって、スポーツドリンクやチューブのアイスは行進団の身体の渇きを癒し、参加者は「美味しい、冷たい」と笑顔いっぱいに声を上げていました。
沿道からは城見保育園園児の熱烈な歓迎を受け、行進団は元気いっぱい。カメラにはボンボンを振りながら「頑張って」と歓声を上げる園児の姿が何枚も収まりました。「ありがとう子ども達」「園の先生方、毎年、感謝」と何度も声を掛けました。
城見小学校では地元実行委員会の皆さんが、冷たいおしぼりとそうめん、冷たいお茶やスポーツドリンク、そして飴などで大歓迎。テントも張ってあり、至れり尽くせりです。
本当においしいそうめん。何杯も遠慮なくいただきました。腹いっぱいです。
大津野石樋公園では広島に皆さんが出迎えてくれました。お互いにエールを交換、府中町議の二見慎吾さんともがっちり握手。前広島県労連議長だった川后和幸さんとは再開を喜び合いました。広島の皆さん、大会でまたお会いしましょう。
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と き:2018年7月25日(水)
ところ:金光支所~里庄町
7月25日(水)金光支所から里庄町のコース。猛暑の中、無理をすると危険と判断され24日から26日は午前中のみの行進となりました。
金光支所には約30人が出発式に集まりました。原田支所長さんが「核兵器廃絶を長い間訴えてきたが今尚、核兵器が多く存在している」と世界情勢に触れて、平和運動の大切さを強調されました。
地域原水協を代表して、総指揮を担当する桑野浅口市議が「猛暑の中、網の目行進が中止となった。豪雨災害で浅口市も被害に会ったが、平和行進は伝統を引き継いでいる。平和行進の生命力は浅口市にも受け継がれ、市内3中学では毎年、広島の原爆ドーム、資料館を訪、平和学習をしている。浅口市は平和市長会にも参加している。これからも平和行政推進のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。
高橋浅口市職労委員長も、「私事だが食中毒で昨日まで苦しんだ。酷暑の中にあって身体には気を付けてほしい」と行進者に注意喚起しました。
通し行進の南さん、五十嵐さんのお話が続き、行進団は一路、浅口市に向けて出発。谷口さんと中島君のリードで歌やコールに合わせて声を出しながら、車に乗る人もなく元気に行進しました。浅口市役所で休憩後、出発集会。松田副市長は「現在も核兵器は廃絶に至っていない。一歩一歩が8月の大会に向けて運動は大きく進んでいる」と行進団を励ましました。議会議長の井上さんは「政府の核兵器に対する姿勢はおかしい。それでも自民党は選挙になると勝っている。これもおかしなことだ」と心情を明かすと、参加者は大笑い。当然ですが、本音で話さない議長さんが多い中、政治への風刺にも聞こえるお話に、拍手ではなく笑い声が広がりました。
ここから総指揮のタスキを繋いだ沖原有美さんは「西日本豪雨災害にお見舞い申し上げます。6月議会で核兵器禁止条約の批准を求める請願が不採択になった。浅口市は2009年に非核都市宣言、平和市長会へも参加しているが残念だ。これからも非核の政府をめざして頑張りたい」と決意を語りました。
行進団は浅口市を離れ里庄町に向かいましたが、途中、一部の河川でノリ面が崩れているのを発見。豪雨災害の爪痕にため息が洩れました。
里庄町では加藤町長。平野議長さんをはじめ職員の皆さんが出迎えてくれました。加藤町長は「世界の平和への思いを広島に進める皆さんに感謝と敬意を表します。被爆73年、平和行進60年周年と聞きますが世界は未だに核兵器廃絶に至っていません。遠い核兵器廃絶への道のりになるかもわからないが、一歩の歩みが世界平和へ近づくと確信している。日本の憲法を守り人権を守る行政を進めたい。平和を町民とともに考える町政へ意識の啓発をはかりたい。国民の願いを広島に届ける皆さんにお礼と激励を申し上げたい」と話されました。平野議長さんは「平和行進は素晴らしい。世界の大国は今も核兵器を持っている。廃絶は言うがいっこうに無くならない。猛暑だが身体に気を付けてほしい」と話し、両氏からはペナントと激励金が贈られました。
地域実行委員会の佐藤町議は「昨年9月に請願が採択され政府に送られた。里庄町にも平和宣言の塔を建てるように申し入れている。受けていただけると思っている。運動は続けることで光輝くと確信している」と展望と決意を語りました。
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と き:2018年7月22日
ところ:倉敷市役所~水島支所~旧霞橋
7月22日(日)平和行進。倉敷市役所~水島支所~旧霞橋西詰のコースです。53人が参加しました。酷暑と言われながらも平和行進は休憩や給水で地域の皆さんに支えられながら、熱中症になることもなく無事に行進を終えることができました。
倉敷市役所では総務部部長の内海さんが災害対策で忙しい中、「倉敷市は今回の豪雨災害で甚大な被害を受けた。ボランティアなどの支援を受けて復興に向かっている。支援をして下さっている方々に感謝。33年前に倉敷市が平和宣言をしている。平和の核兵器を無くそうと行進されている皆さんに敬意を表します」と伊東市長のメッセージを代読されました。
倉敷市職労や職員に皆さんから心を込めた千羽鶴が行進団に贈られました。途中の水島支所でも倉敷職員や水島医療生協の皆さんから折り鶴が何本も託されました。
行進の休憩地点では、地域の皆さんが冷凍バナナとカルピス、冷たいトマトと紫蘇ジュース、最後は甘いスイカまで用意して迎えてくれました。脱水とは無縁の元気の出る清々しい出迎えに心癒される行進となりました。
途中の休憩所で総指揮の田口さんは、「自衛隊が真備地区の復興に来ているのは有難いが、何故迷彩服なのか、なぜ迷彩重機なのかと考えてしまう。消防団や災害救助隊は目立つ色の制服で支援活動をしている。自衛隊をアピールしているように思えてならない。復興作業が終われば自衛隊に感謝する催しが始まるのかと思うと心中穏やかではない」と国の災害対策ついて疑問だと話しました。「どうして政府は災害救助隊を編成しないのか?これだけ災害が増え、諸外国からも支援の要望があり、自衛隊がしなくても災害に特化した救助隊が必要では?」と、復興への複雑な心情が行進者の間で交錯しました。
行進者の池田さんは、地元ということもあって臨港鉄道が水害の避難所になっていること、天井川となっている高梁川のこと、さらに嘗ては海だった処にどうして人が住めるようになったのか?それは人が生活を始め、埋め立て、河川の整備をはじめたから。水島地域は扇状に平野が広がり、道路も放射状に走っていることなど、地域の特性と災害の関係について話していました。
行進は様々な人との出会いや地域の特性に触れる機会でもあると自覚しました。水島原水協会長で倉敷医療生協労組の脇本さんは「核兵器禁止条約に背を向ける安倍政権に批判が高まっている。災害で国民が困っているときにカジノ法案の審議に没頭している政権はおかしい」と批判しました。
今回の行進の醍醐味は「霞橋の行進」です。この場所での写真が一番絵になります。小さな女の子が総指揮のタスキを掛けて先頭を歩き、行進団が後に続く姿は圧巻です。もう酷暑のことなど頭にないくらいです。行進には様々な出会いと楽しみがあります。その一つ一つに人生の喜びがあります。平和行進は私たちの財産であり、大切な運動です。行進の最後に食べたスイカは格別の美味しさでした。
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とき:2018年7月20日(木)9時~
ところ:岡山市大供公園~早島町役場
7月20日(木)の平和行進は岡山市役所前の大供公園から早島町役場までです。
出発集会の会場となった大供公園には行進参加者51名が出発集会に臨みました。
豪雨災害で岡山市の対応がなく、大森市長のペナントが届けられました。
県原水協を代表して県労会議の三上議長が挨拶をしました。
三上議長は、「蝉は元気に鳴いている。16日は午後寒河から備前市役所のコースを歩いた。5回目の平和行進だったが年齢もあり、大変きつかった。皆さんも体調には気を付けてほしい。原水協の総会があり、富田先生(関西学院大)のお話を聞いた。小国が独自の平和運動で核兵器禁止条約にも貢献したという話を聞いて感動した。どこかのセクハラ問題を放置して、女性の活躍を言い続ける国の政権とは全く違う世界があり感動した。日頃の平和の活動、草の根の活動をささやかでも一歩一歩すすめたい」と決意を語りました。
岡山市被爆者会・平末氏は「行進団の皆様とは今日でお別れとなる。18日には東山の慰霊碑にお参りをしていただいた。被爆者会として、核兵器廃絶のために運動されている皆様に敬意を表したい。87歳の生涯まっとうできればとの思いでいるが、今日は山本幸三副会長とご挨拶に来た。読売新聞から電話があり、当時、爆心地から2kmの被爆の実態調査行われており、7月末にはデータが公開される。核兵器廃絶の運動から63年、今回は517万筆の署名を集めたが1000万の目標に向かって運動をはじめている。願いを染み込ませた運動としてさらに前進させたい」と行進団に期待を寄せました。
通し行進者の南友香佳子さんは「被爆者にどれだけ寄り添えるか?悩んだが願いは被爆者に届くと思う。豪雨災害で悲しい思いになった。自分は多様性の社会に生きることを望んでいる。青い空に核兵器を落とさせないためには一人一人の努力が大切。政府をもっと動かす運動をご一緒に進めよう。被爆者も高齢化で思いが届かないように見えるが、めげないで頑張りたい。前に進む勇気があれば道は開ける」と元気に運動への期待を述べました。
2人目の通し行進者・五十嵐成臣さんは「神戸からこのコースに参加している。四国から平和行進60年の歩く行動に参加できた。核不拡散条約から、昨年は禁止条約へと大きく世界は変わった。核保有国の妨害があり、日本が反対していることは許せない思いだ。今は扉に手がかかった状態。訴えが届くように頑張りたい」と行進への思いを語りました。
総指揮を担当した共産党の東市議は「核兵器をなくそうとの願いを安倍政権は分かっていません。願いを行進に込めて、声を姿にしましょう」と呼びかけました。
途中の休憩所で行進者の声を聞きました。
林精研労組から参加をされた4人の女性のグループには3人の子どもさんを連れたお母さんも参加されています。
岩本さんは「先輩に誘われた。平和行進や世界大会のことがあったが初めて歩いた。友達や知人に核兵器の実態や世界の動きを知ってもらうことが核兵器廃絶につながると思う」と初めての平和行進に期待を込めました。
馬井さんは「広島の資料館に行ったことがある。特に被ばくした人は皮膚を垂らして歩いている人形はショックだった。行進は3回目だ」と体験を話しました。
内田さんは「子どもたちに原水爆禁止にについて知ってほしいと思って参加した。お母さんがやっていることを子ども足しに伝えたいと思った。家族の中でもよく話し合う」とにこやかに話してくれました。
1人でスマホと向き合っている青年は笠岡から参加の増成さんです。「青年の間では学習会をやっている。今年は豪雨災害で思うようにできていない。政府は外国ばかりに行かないで国内のことをしっかりとやってほしい。今回の災害で3人が亡くなった。家族の中でも平和について話し合っている」と身近なお話をされました。
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と き:2018年7月19日(木)11時~
ところ:岡山駅西口さんすて
7月19日(木)平和行進が市内行進になっていることもあって、岡山駅西口のシティーミュージアムの休憩時間を使って、同じ西口サンステにて核兵器廃絶国際署名に取り組みました。行進者にも呼びかけ、14人が署名行動に参加。さすがに猛暑で参加者はぐったりで署名行動への参加を全員でというわけにはいきませんでした。豪雨災害募金も同時に訴えました。一般の通行人もうだるような暑さに歩み寄る人も少ない感じです。結局、署名は13筆、災害募金は841円いただきました。
訴えでは、「平和行進をしていること、被爆73年の今年は国連で核兵器禁止条約が制定されて1周年になること、日米の歴史的会談で核の脅威がなくなり世界の平和世論が大きく広がっていること、それでも世界には1万6千発もの核兵器が存在していることを伝え、署名への協力を訴えました。
豪雨災害では全国で200人以上が亡くなりました。岡山は61人が亡くなり、テレビで注目されている倉敷市・真備町では4600戸が水没しました。
今私たちにできることはボランティア、そして支援募金です。署名をしてくれたベビーチャーで赤ちゃんを連れたお母さんは「災害ボランティアに行きましたが、言葉を失いました」と話しかけると、「お疲れ様、大変ですよね」と頷いてくれました。仲間の署名に応じた男性は署名後、500円の募金を下さいました。
統一教会の宣伝、JRのバス代替え運転のお知らせなどとかぶって、思うようには宣伝ができませんでしたが、平和行進中の宣伝としての初の試みを何とかやり切りました。
もっと多くの行進者が参加してくれるように工夫をしていく必要がありそうです。
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とき:2018年7月16日(月・祝)12時30分~
ところ:備前市寒河駅
7月16日(月・祝)平和行進初日、兵庫県からの引継ぎを寒河の駅で行いました。例年使っていたバス停が使えなくなり、兵庫の行進団には負担を掛けましたが無事引き継ぐことができました。兵庫県では途中から豪雨となり、岡山も大きな被害を受けたことを知った兵庫県行進団は、津川原水協代表理事が岡山県行進団に激励と連帯の言葉を贈りました。津川代表は「今年は2つの特徴がある。1つは平和行進60周年記念であり、2つは国連で禁止条約が採択されて1年が経過したことだ。行進中にもう一つ特徴が生まれた。西日本の豪雨災害だが、岡山・広島の被害は大きく心中は複雑。大会のスローガンにあるが核兵器と公正な社会は相容れない。1500億円、300億円とも言われるイージスアシュアを入れることは国土建設という立場からは問題があり、大会のスローガンは核兵器廃絶と同時に公正な社会となっている。軍拡のために国土づくりに手を抜いてきた政権は核兵器に頼り核の傘に入ることしか考えていない。これでは国土を守れるはずがない。兵庫では今年の平和行進を成功させようと2割増しの参加で成功させた。県内の首長が核兵器禁止条約の批准を求めて意見書を上げている。それを今年はポスターにした。20名以上の首長が顔写真に協力してくれた」と紹介しながら、岡山の行進団にポスターを贈呈しました。
岡山県を代表して挨拶した三上県労会議議長は、大雨と酷暑の中での行進に労いの言葉をかけながら、「豪雨によって岡山も大変な被害に会った。災対連を立ち上げ犠牲者の救援、行政へ対策強化を求めて運動を始めた。原水協の総会では、国力もない国が平和の取り組みで大国にない魅力的な国づくりをすすめている講演を聞いて感動した。女性の活躍と言いながらセクハラを放置している国とは大きな違いだ。今日から11日間、災害のために一部変更を余儀なくされたが、核兵器のない世界に向けて広島に引き継ぎたい」と話しました。
ここで通し行進者が紹介され、南友香佳子さん(京都平和委員会)が「72日目の行進となった。兵庫県に支えられてここまで来た。地震と豪雨で大きな被害と犠牲になられた方々にお見舞いを申し上げたい。自分は平和と多様性、人類が共存できる社会をめざして活動している。核兵器や原発は相容れない。平和運動をされている皆さんに敬意を表したい。行進の様子はリアルタイムで発信をしている」と行進への思いを語りました。
もう一人は五十嵐成臣さん(JMITU、東大和原水協)です。前回お会いしたのは5年前だったと思います。五十嵐さんは「四国のコースから合流した。平和行進60年の思いは被爆者援護だ。その思いを広島につなげたい」と3度目の行進の決意を語りました。
初日となる寒河から備前市までのコースは80人が参加。酷暑の為、途中、予定外の休憩を余儀なくされ、歩けなくなる人などで用意した3台のワゴン車は満杯になりました。それでも平和への思いも強く、谷口さんや中島君のリードで歌やコールで元気に行進。小さなお子さんを2人連れたお父さんも救護車に乗ることなく歩き続けました。県外から参加した青年3人も先頭を歩き通しました。途中、給水に尽力された備前9条の会や日生支所、備前市役所の職員の皆さんに救われました。
日生町の住吉神社では梅サイダーや胡瓜、飴、お茶が用意され、酷暑に曝され熱くなった身体を癒すことができました。平和行進が平和と核兵器廃絶への思いを持って迎えてくれる方々に支えられていることを実感する瞬間でした。
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と き:7月14日(土)13時~
ところ:県労会議会議室
7月14日(土)、岡山県労働組合会議は県下の労組、民主団体、政党に呼びかけ「災害被災者支援と災害対策改善を求める岡山県連絡会」略称「災対連」を結成しました。
14団体、16人が参加して、呼びかけは結成にとなり、支援や運動の内容、現時点で行政の不備が指摘される点や運動の展望などを話し合いました。
冒頭、全労連から小田川議長が激励に駆け付け、「災対連立ち上げ」の援助金が手渡されました。情勢報告は森脇県議、会の運動について伊原県労会議事務局長が報告しました。
小田川議長は「全国で災対連の契機となったのは1995年の阪神淡路大震災であり、労組、民主団体や政党が力を合わせて復旧に全力を挙げると同時に、社会福祉協議会とも連携しながら行政の穴を埋めていくものとして出発した。日本は被災者に対する支援が遅れている。阪神淡路大震災では義援金が直接の支援であり、それ以外は自己責任とされた。しかし、個人の責任では復興できず、それ以降、国の支援金は100万円となったが運動の成果もあって300万円に引き上げられた。現在は500万円に引き上げる運動が起こっている。被害に対する支援も実態に即さず、画一的な対応も見られ不十分さが指摘されている。例えば食事などはおにぎりやパンに限られ、行政が支援を断るなども事例が指摘されている。土砂などの撤去はできると思うが生活再建は容易ではない。ある程度すすむと行政の対応は遠のき、被災者が取り残されることも考えられ、地域の要望をまとめて要請するなどの対応が求められている。当面は被災者支援だと思うが、行政も長期になると穴が出る。そこを埋めて国の制度改善につながる運動にしていただきたい」と期待を込めて挨拶しました。
森脇県議会議員を被災状況が説明されました。「ボランティアセンターが開設されて支援が始まっている。岡山では60人が亡くなられている。浸水など家屋の被害は1万1千戸あり、これに真備の4600戸が加わる。ボランティアも隔たりがあり、平島や倉敷真備では報道の効果もあって一定の支援がされているが、逆に矢掛の方は遅れている。支援者の中にはマスクをしていても埃で目を傷め、脱水で倒れるなどのケースもある。エアコンは真備に6か所が設置されたが、仕切りをすると風が来ない問題点がある」など資料に沿って簡潔に報告されました。
参加者からは「被害の判定に納得できない」「床下浸水では消毒薬の対応が悪い」社会福祉協議会との関係はどうするのか」「支援の品目を増やせないか」「保育、就学援助も必要」「ボランティアは長時間できない。社協でも15時が限界。ボランティアを志望してもすぐに定員オーバーとなる」など多くの意見が出されました。
今後の方針として、①社会福祉協議会にボランティアの団体登録を行い。保険が効く団体となるよう申請、活動する。②課題ごとに行政へ要望する内容を協議・整理する。③被災状況をこまめに調べて、行政の対応もチャックする。④情報を集め、共有、データとして活用する。⑤災害についての学習会を行う。⑥浸水被害の線引きでは岡山市が遅れている。改善を求める。⑦長期的視点で活動し、被災地へのアンケート活動などに取り組む。⑧対策本部の設置について協議、早期に決めて県外からの受け入れをする。⑨義援金の集約と集中、資金集めについて各団体と協議する、などの当面の方針を決定しました。準備段階ですが、現時点で支援を待っている地域もあります。具体的に現地と連絡をとり支援することで一致しました。
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