岡山県労働組合会議

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被爆75年 原水爆禁止国民平和大行進2020おかやまは、今年はSNSで平和行進を行います!(^_-)-☆『おうちで平和行進』です。

新型コロナウイルス感染防止と参加者の安全を第一に考え岡山県内の平和行進は、例年行っている「宣伝カーを先頭に、行進団が隊列を組んで道路を歩く」行進は実施しません。

宣伝カーで市役所、公共施設、平和を祈念する碑などを回る、スタンディング宣伝、地域の網の目行進などの様子をSNSに載せて平和行進の横断幕を広島につなげ岡山県内の平和行進をつくっていきます。

「行進できない(歩けない)」ではなく、「思いを表す」ことで平和行進を繋げていきます。

『おうちで平和行進』参加方法について
みんなで、投稿にチャレンジしてみよう(^_-)-☆

【日時】岡山県内の平和行進期間7月16日~26日まで
【SNS】個人もしくは団体のFacebook
【投稿に添えるもの】
①「核兵器をなくしたい!」という思いや「平和が大好きでーす!」という
主張など、ご自身の思い
②メッセージボードを掲げた写真または動画(30秒~1分ぐらい)
③おうちで平和行進に参加していることを示す2つのハッシュタグをつけてください。
おうちで平和行進 平和行進おかやま

*みなさんのFacebookでの投稿はできる限り岡山県原水協のアカウントでシェアしていきます。

*メッセージボード4種類(青・緑・橙・桃)のURLとコンビニプリントの
ユーザー番号を掲載します。ご利用ください。

メッセージボード青
https://drive.google.com/…/1wrxbMQbMv3SbPv_MmeccfJh2q…/view…

メッセージボード緑
https://drive.google.com/…/1tPxKhVtP0iif1wMqVfIW3GLT7…/view…

メッセージボード桃
https://drive.google.com/…/1RJmMGtbocYktbUD6hcTVjRse0…/view…

メッセージボード橙
https://drive.google.com/…/1Fv9le6krxaXoRvaciuUvd4zxT…/view…

コンビニプリント
セイコーマート、ファミリーマート、ローソン 有効期限まで
ユーザー番号:H5XTATTZXG 青、緑、桃、橙いずれも

コンビニプリントの印刷方法
①マルチコピー機のタッチパネルモニタで「ネットワークプリント」を操作します。
②「プリントサービス」ボタンを選択します。
③「ネットワークプリント」ボタンを選択します。
④ユーザー番号を入力します。
⑤入力後「文書プリント」を選択してください。
⑥リストから印刷したいファイルを選択します。
⑦登録した文書が選択されますので、カラーモード、両面設定、プリント枚数をセットします。
⑧設定が終わったら、プリント料金が表示されるので、お金を投入口に支払います。
⑨「プリントを開始しますか?」で「はい」を選択すると印刷が開始されます。

とき:2018年7月26日(木)9時~

ところ:笠岡役所~城見小学校~大津野石樋公園

7月26日国民平和大行進もいよいよ広島へ引き継ぎです。笠岡市役所前で行われた出発集会では70人が集まり、最終日を盛り上げました。

横断幕、コープに虹の旗、風船、そして団体旗で市役所前はとても賑やか。テレビカメラも来ています。

笠岡市の小林嘉文市長は「73年前の広島原爆で多くの方が亡くなった。核兵器は絶対に無くさなければと思う。米朝会談で核戦争の危機を脱してホッとしたが、世界には未だ多くの核兵器が存在している。内紛で戦争が続いている。平和でこそ国民の暮らしも守られる。この度の災害では笠岡市も被害に会った。対策本部長と今日も対応していく。暑さも厳しい中、身体に気を付けてほしい」と激励しました。栗尾順三市議会議長も同席され、行進団に紹介されました。

地元実行委員会を代表して井木守市議会議員があいさつ。「1958年前に平和行進が始まったが、私はその年に生まれた。今日は広島へ引き継ぐ行進。1945年ニューメキシコアラモード原爆は生まれ、アメリカ・トリニティーで最初の原爆実験が行われた。今日は原子爆弾投下命令が下った日でもある。朝鮮の非核化など歴史的な歩みが始まっている中での平和行進の意義は大きい。笠岡市は6月の議会で請願が不採択となった。運動でこうした核兵器容認の動きを跳ね返し包囲していきたい」と決意を述べました。

 

コープで平和運動をしている小林恵子さんは「昨年は広島を訪問、今年は焼津にも行った。8月7日は長崎を訪問する予定だ。学び原子爆弾をなくす運動を広げたい。笠岡市でも福山工業の学生さんを招いて原爆展をやる。ご一緒に頑張りましょう」と平和運動の大切さを体験から語りました。

行進の出発では市長・議長の2人が横断幕を持ち、一緒に歩いてくれました。最終日は細い道が続き、自動車の往来も激しいため、常に行進団の後ろから「車が来ます」と声を掛け続けるのは笠岡市職労の赤沢さん。途中、菅原神社で休憩。このコースでお会いするJMIUの長谷川さんが亡くなられたと聞きました。毎年、お元気な姿を拝見していましたがとても残念です。コープの皆さんの湯茶の接待に感謝。酷暑の中にあって、スポーツドリンクやチューブのアイスは行進団の身体の渇きを癒し、参加者は「美味しい、冷たい」と笑顔いっぱいに声を上げていました。

沿道からは城見保育園園児の熱烈な歓迎を受け、行進団は元気いっぱい。カメラにはボンボンを振りながら「頑張って」と歓声を上げる園児の姿が何枚も収まりました。「ありがとう子ども達」「園の先生方、毎年、感謝」と何度も声を掛けました。

城見小学校では地元実行委員会の皆さんが、冷たいおしぼりとそうめん、冷たいお茶やスポーツドリンク、そして飴などで大歓迎。テントも張ってあり、至れり尽くせりです。

本当においしいそうめん。何杯も遠慮なくいただきました。腹いっぱいです。

大津野石樋公園では広島に皆さんが出迎えてくれました。お互いにエールを交換、府中町議の二見慎吾さんともがっちり握手。前広島県労連議長だった川后和幸さんとは再開を喜び合いました。広島の皆さん、大会でまたお会いしましょう。

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と き:2018年7月25日(水)

ところ:金光支所~里庄町

7月25日(水)金光支所から里庄町のコース。猛暑の中、無理をすると危険と判断され24日から26日は午前中のみの行進となりました。

金光支所には約30人が出発式に集まりました。原田支所長さんが「核兵器廃絶を長い間訴えてきたが今尚、核兵器が多く存在している」と世界情勢に触れて、平和運動の大切さを強調されました。

地域原水協を代表して、総指揮を担当する桑野浅口市議が「猛暑の中、網の目行進が中止となった。豪雨災害で浅口市も被害に会ったが、平和行進は伝統を引き継いでいる。平和行進の生命力は浅口市にも受け継がれ、市内3中学では毎年、広島の原爆ドーム、資料館を訪、平和学習をしている。浅口市は平和市長会にも参加している。これからも平和行政推進のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。

高橋浅口市職労委員長も、「私事だが食中毒で昨日まで苦しんだ。酷暑の中にあって身体には気を付けてほしい」と行進者に注意喚起しました。

通し行進の南さん、五十嵐さんのお話が続き、行進団は一路、浅口市に向けて出発。谷口さんと中島君のリードで歌やコールに合わせて声を出しながら、車に乗る人もなく元気に行進しました。浅口市役所で休憩後、出発集会。松田副市長は「現在も核兵器は廃絶に至っていない。一歩一歩が8月の大会に向けて運動は大きく進んでいる」と行進団を励ましました。議会議長の井上さんは「政府の核兵器に対する姿勢はおかしい。それでも自民党は選挙になると勝っている。これもおかしなことだ」と心情を明かすと、参加者は大笑い。当然ですが、本音で話さない議長さんが多い中、政治への風刺にも聞こえるお話に、拍手ではなく笑い声が広がりました。

ここから総指揮のタスキを繋いだ沖原有美さんは「西日本豪雨災害にお見舞い申し上げます。6月議会で核兵器禁止条約の批准を求める請願が不採択になった。浅口市は2009年に非核都市宣言、平和市長会へも参加しているが残念だ。これからも非核の政府をめざして頑張りたい」と決意を語りました。

行進団は浅口市を離れ里庄町に向かいましたが、途中、一部の河川でノリ面が崩れているのを発見。豪雨災害の爪痕にため息が洩れました。

里庄町では加藤町長。平野議長さんをはじめ職員の皆さんが出迎えてくれました。加藤町長は「世界の平和への思いを広島に進める皆さんに感謝と敬意を表します。被爆73年、平和行進60年周年と聞きますが世界は未だに核兵器廃絶に至っていません。遠い核兵器廃絶への道のりになるかもわからないが、一歩の歩みが世界平和へ近づくと確信している。日本の憲法を守り人権を守る行政を進めたい。平和を町民とともに考える町政へ意識の啓発をはかりたい。国民の願いを広島に届ける皆さんにお礼と激励を申し上げたい」と話されました。平野議長さんは「平和行進は素晴らしい。世界の大国は今も核兵器を持っている。廃絶は言うがいっこうに無くならない。猛暑だが身体に気を付けてほしい」と話し、両氏からはペナントと激励金が贈られました。

地域実行委員会の佐藤町議は「昨年9月に請願が採択され政府に送られた。里庄町にも平和宣言の塔を建てるように申し入れている。受けていただけると思っている。運動は続けることで光輝くと確信している」と展望と決意を語りました。

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とき:2018年7月20日(木)9時~

ところ:岡山市大供公園~早島町役場

7月20日(木)の平和行進は岡山市役所前の大供公園から早島町役場までです。

出発集会の会場となった大供公園には行進参加者51名が出発集会に臨みました。

豪雨災害で岡山市の対応がなく、大森市長のペナントが届けられました。

県原水協を代表して県労会議の三上議長が挨拶をしました。

三上議長は、「蝉は元気に鳴いている。16日は午後寒河から備前市役所のコースを歩いた。5回目の平和行進だったが年齢もあり、大変きつかった。皆さんも体調には気を付けてほしい。原水協の総会があり、富田先生(関西学院大)のお話を聞いた。小国が独自の平和運動で核兵器禁止条約にも貢献したという話を聞いて感動した。どこかのセクハラ問題を放置して、女性の活躍を言い続ける国の政権とは全く違う世界があり感動した。日頃の平和の活動、草の根の活動をささやかでも一歩一歩すすめたい」と決意を語りました。

岡山市被爆者会・平末氏は「行進団の皆様とは今日でお別れとなる。18日には東山の慰霊碑にお参りをしていただいた。被爆者会として、核兵器廃絶のために運動されている皆様に敬意を表したい。87歳の生涯まっとうできればとの思いでいるが、今日は山本幸三副会長とご挨拶に来た。読売新聞から電話があり、当時、爆心地から2kmの被爆の実態調査行われており、7月末にはデータが公開される。核兵器廃絶の運動から63年、今回は517万筆の署名を集めたが1000万の目標に向かって運動をはじめている。願いを染み込ませた運動としてさらに前進させたい」と行進団に期待を寄せました。

通し行進者の南友香佳子さんは「被爆者にどれだけ寄り添えるか?悩んだが願いは被爆者に届くと思う。豪雨災害で悲しい思いになった。自分は多様性の社会に生きることを望んでいる。青い空に核兵器を落とさせないためには一人一人の努力が大切。政府をもっと動かす運動をご一緒に進めよう。被爆者も高齢化で思いが届かないように見えるが、めげないで頑張りたい。前に進む勇気があれば道は開ける」と元気に運動への期待を述べました。

2人目の通し行進者・五十嵐成臣さんは「神戸からこのコースに参加している。四国から平和行進60年の歩く行動に参加できた。核不拡散条約から、昨年は禁止条約へと大きく世界は変わった。核保有国の妨害があり、日本が反対していることは許せない思いだ。今は扉に手がかかった状態。訴えが届くように頑張りたい」と行進への思いを語りました。

総指揮を担当した共産党の東市議は「核兵器をなくそうとの願いを安倍政権は分かっていません。願いを行進に込めて、声を姿にしましょう」と呼びかけました。

途中の休憩所で行進者の声を聞きました。

林精研労組から参加をされた4人の女性のグループには3人の子どもさんを連れたお母さんも参加されています。

岩本さんは「先輩に誘われた。平和行進や世界大会のことがあったが初めて歩いた。友達や知人に核兵器の実態や世界の動きを知ってもらうことが核兵器廃絶につながると思う」と初めての平和行進に期待を込めました。

馬井さんは「広島の資料館に行ったことがある。特に被ばくした人は皮膚を垂らして歩いている人形はショックだった。行進は3回目だ」と体験を話しました。

内田さんは「子どもたちに原水爆禁止にについて知ってほしいと思って参加した。お母さんがやっていることを子ども足しに伝えたいと思った。家族の中でもよく話し合う」とにこやかに話してくれました。

1人でスマホと向き合っている青年は笠岡から参加の増成さんです。「青年の間では学習会をやっている。今年は豪雨災害で思うようにできていない。政府は外国ばかりに行かないで国内のことをしっかりとやってほしい。今回の災害で3人が亡くなった。家族の中でも平和について話し合っている」と身近なお話をされました。

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とき:2018年7月16日(月・祝)12時30分~

ところ:備前市寒河駅

7月16日(月・祝)平和行進初日、兵庫県からの引継ぎを寒河の駅で行いました。例年使っていたバス停が使えなくなり、兵庫の行進団には負担を掛けましたが無事引き継ぐことができました。兵庫県では途中から豪雨となり、岡山も大きな被害を受けたことを知った兵庫県行進団は、津川原水協代表理事が岡山県行進団に激励と連帯の言葉を贈りました。津川代表は「今年は2つの特徴がある。1つは平和行進60周年記念であり、2つは国連で禁止条約が採択されて1年が経過したことだ。行進中にもう一つ特徴が生まれた。西日本の豪雨災害だが、岡山・広島の被害は大きく心中は複雑。大会のスローガンにあるが核兵器と公正な社会は相容れない。1500億円、300億円とも言われるイージスアシュアを入れることは国土建設という立場からは問題があり、大会のスローガンは核兵器廃絶と同時に公正な社会となっている。軍拡のために国土づくりに手を抜いてきた政権は核兵器に頼り核の傘に入ることしか考えていない。これでは国土を守れるはずがない。兵庫では今年の平和行進を成功させようと2割増しの参加で成功させた。県内の首長が核兵器禁止条約の批准を求めて意見書を上げている。それを今年はポスターにした。20名以上の首長が顔写真に協力してくれた」と紹介しながら、岡山の行進団にポスターを贈呈しました。

岡山県を代表して挨拶した三上県労会議議長は、大雨と酷暑の中での行進に労いの言葉をかけながら、「豪雨によって岡山も大変な被害に会った。災対連を立ち上げ犠牲者の救援、行政へ対策強化を求めて運動を始めた。原水協の総会では、国力もない国が平和の取り組みで大国にない魅力的な国づくりをすすめている講演を聞いて感動した。女性の活躍と言いながらセクハラを放置している国とは大きな違いだ。今日から11日間、災害のために一部変更を余儀なくされたが、核兵器のない世界に向けて広島に引き継ぎたい」と話しました。

ここで通し行進者が紹介され、南友香佳子さん(京都平和委員会)が「72日目の行進となった。兵庫県に支えられてここまで来た。地震と豪雨で大きな被害と犠牲になられた方々にお見舞いを申し上げたい。自分は平和と多様性、人類が共存できる社会をめざして活動している。核兵器や原発は相容れない。平和運動をされている皆さんに敬意を表したい。行進の様子はリアルタイムで発信をしている」と行進への思いを語りました。

もう一人は五十嵐成臣さん(JMITU、東大和原水協)です。前回お会いしたのは5年前だったと思います。五十嵐さんは「四国のコースから合流した。平和行進60年の思いは被爆者援護だ。その思いを広島につなげたい」と3度目の行進の決意を語りました。

初日となる寒河から備前市までのコースは80人が参加。酷暑の為、途中、予定外の休憩を余儀なくされ、歩けなくなる人などで用意した3台のワゴン車は満杯になりました。それでも平和への思いも強く、谷口さんや中島君のリードで歌やコールで元気に行進。小さなお子さんを2人連れたお父さんも救護車に乗ることなく歩き続けました。県外から参加した青年3人も先頭を歩き通しました。途中、給水に尽力された備前9条の会や日生支所、備前市役所の職員の皆さんに救われました。

日生町の住吉神社では梅サイダーや胡瓜、飴、お茶が用意され、酷暑に曝され熱くなった身体を癒すことができました。平和行進が平和と核兵器廃絶への思いを持って迎えてくれる方々に支えられていることを実感する瞬間でした。

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とき:7月26日(水)9時~12時30分

ところ:笠岡市~広島(大津野石樋公園)

7月26日(水)平和行進。笠岡市から広島へ引き継ぐコースに参加しました。県境を過ぎた大津野石樋公園で引継ぎです。95名が参加しました。

笠岡市役所前で開かれた出発集会では、小林嘉文市長があいさつに立ち「県境の笠岡市として行進団を送り出す大切な日です。平和を共有する輪を広げましょう。被爆国として全世界に訴えたいことは多い。私も署名をした。世界に核兵器廃絶の願いを届けよう」と力強く訴えました。栗尾順三議会議長も紹介されました。

岡山最終日の総指揮を担当する井笠地域実行委員会の井木守さん(笠岡市議)は「自分は1958年生まれ。平和行進が始まった時だ。今年は被爆者の願いが叶い、核兵器禁止条約が採択された。笠岡市では役所と市民が一体となって被爆者署名に取り組み、8000筆くらいの署名を集めた。自分としては国際的な運動に参加できたと思う」とこの間の運動を振り返りました。

岡山コープ井笠エリアの松岡玲子さんは「毎年平和の取り組みをしている。昨日、福山工業高等学校の先生と生徒さんに来ていただいて、被ばく前の広島の街並みを再現したコンピュータグラフィックス映像を見せていただいた。小学生から戦争体験のある80歳までが熱心に聞いた。戦争を知らない生徒さんたちが製作されたことに感銘を受けた。平和を後世に引き継ぐ取り組みを続けたい」と語りました。

通し行進の西田さんは「東京夢の島を5月6日に出発した。笠岡市では職員と市民が一体となって平和を守る運動に取り組まれている。こんな自治体はどこにもない。笠岡市は素晴らしい。日本一の市長さんだ」と感激し、称賛の言葉を贈りました。

アメリカから来たサム君は「被爆者の国と国民を理解したいと講義室ではなく、実際に自分の目と耳で確認したいと思い行進に参加している。大学では社会学を学んでいる。自分は特別な人間ではない。普通の学生だ。アメリカは原爆を正当化している。しかし、広島・長崎を繰り返してはならない。私たちの世界は多様に生き共存している。恒久的な繁栄と他国を理解するためには学ぶことで痛みも理解できると思う」と話しました。

平和行進も県内最後の行進日です。「様々な平和への思いや取り組みが市民を励まし、考え、運動を広げることが明日の日本を明るくする」という思いを強く意識する出発式でした。岡山の行進のためにつくった核兵器廃絶の替え歌が元気に歌われました。行進の途中では城見保育園の園児たちの熱烈な歓迎。地元婦人会の皆様のそうめんと冷たいおしぼりやトマト、お茶の接待に感激です。そうめんを3杯も食べた人も。

平和行進は多くの人たちに支えられながら元気を増し、その熱い思いを引継ぎ広島・長崎に届けていきます。

引き継ぎ集会では広島の福岡代表理事が嘱託教員としての経験を紹介され、「核兵器禁止条約が採択され被爆者の願いが実現した。残念なことに日本はこの席にいなかった、という趣旨の学級通信を出そうとするとクレームが付いた。しかし、多くの職員から評価され、3日後に発行された」と話しました。被爆地でも闘いが常にあることが実感されました。

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とき:2017年7月23日(日)

ところ:山手支所~ COOP総社東~総社支所~清音公民館~真備歯科診療所~真備支所

7月23日(日)平和行進、総社山手支所を出発してCOOP総社東を経て、総社市役所、真備歯科診療所で休憩、倉敷市真備支所までの工程です。山手支所では平支所長さんが歓迎の挨拶、通し行進の西田さんは、笠木徹の「平和の暦」を歌いあげました。アメリカの大学1年生サム君は「アメリカで平和について研究中。インターネット募金で日本に来た。平和の種をまき、平和の思いと和が広げたい」と訴えました。山手支所からは60人が元気よく出発。総指揮は実森さんでした。行進団は休憩地点COOP総社東店に到着。COOPで組合員活動をされている岩さんが歓迎の挨拶。「総社東エリアでは8月に戦争を語る会を開いている。語る継ぐことが大切」と話し行進団を労いました。ここでも西田さんは、「西へ西へと広島に向かっている」と笑いを誘う挨拶。サム君は「皆さんの歓迎と、接待に感謝している」と述べました。サム君はここでも募金集めです。皆さん、お札を次々に入れてくれました。私はサム君を引っ張って、お願いに回りました。ここで行進団は75名と膨れ上がりました。障害者の方も途中まで車イスで参加されました。

総社市役所では市長をはじめ、役員の皆さんが出迎えました。片岡聡一市長は「一緒に歩いている難波市議は議会の時より元気そうだ」と冗談を飛ばしながら、「平和市長会議の最初の市長になったのは私。地方の市長も平和について考えを持つべき。市民を守るのは市長の役割。道のりは長いが一歩一歩の歩みが国を変える」と話し、「皆さんは日曜日に職員がいないと思っているでしょうが、ちゃんといるのですよ」と胸を張りました。荒木議会議長は「例年よりも暑いと聞く。身体に気を付けると同時に、行進団の訴えの通り、核兵器を良いと言う人はいない。核で脅して自分の主張を通そうとする輩に平和を求める世論で反撃しよう」と訴えました。行進団を代表して挨拶に立った西田さんは、「平和行進が始まって60年。日本が私たちの運動で批准するように頑張りたい。全国15の知事、715の市町村長が署名している核兵器廃絶署名。被爆国の日本がしなくて誰がする。出来ないのであれば政府を変えるしかない」と力強く呼びかけました。ここでもサム君は平和募金を訴えました。市長をはじめ役員の皆さんも協力してくださいました。ここでは市民劇場から西田さんに折り鶴の束が託されました。

清音村では池上館長が歓迎。「最近は戦争を知らない議員が多い。南スーダンへの自衛隊派遣もおかしい。平和への思いを訴えてほしい」と話されました。ここで行進団が少し隊列を縮小して、替え歌にコール、訴えを続け元気に行進。休憩地点の真備歯科へ。おいしいトマトにスイカ、トマトや胡瓜の辛子付け、そしてシフォンケーキが行進団の喉とお腹の渇きを癒しました。

行進団は一路、真備支所へ。三谷支所長は「お疲れ様、被爆から72年。惨劇を二度と繰り返してはならない。後世に語り継ぐことも大切。倉敷市は32年前に平和都市宣言をした。小学校5・6年生は毎年、平和バスを出し広島・長崎に行くなど、啓発活動をしている。行進が大きな成果を収められるように祈念する」と歓迎の挨拶。医療生協の多田さんは、「核兵器禁止条約は7月7日に採択された。核を持つ国は9カ国、核の傘にあるのは28カ国だ、今年は核兵器廃絶にとって大切な年」と決意を語りました。

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7月20日(木)平和行進。

岡山市から早島町へのコースですが今日は県労会議の担当日です。弓田事務局次長を先頭に70人が行進しました。

出発集会の会場となった岡山市大供公園では岡山市の森安保健福祉局さんが、市長のメッセージを代読されました。毎年、同じ内容なので簡単に紹介しますが、岡山空襲の日が岡山市平和の日となっていること、S60年に平和都市宣言をしていることなどが盛り込まれています。残念なのは核兵器廃絶に対する市長さんの意向がなかなか表明されないことです。このあたりが他の自治体との違いです。局長さんからはペナントと募金が手渡されました。

県労会議の三上議長は県原水協を代表して、「平和行進も5日目。核兵器禁止条約が国連で採択された。大国が参加していない面もあるが転換点になっている。一方で安倍首相は世界の何処でも戦争のできる国にしようとしている。しかし、国民の支持は得られず、支持率は極端に下がっている。一緒に戦争反対、核兵器廃絶の声をあげましょう」と挨拶しました。

岡山市被爆者会の平末さんは、「今年も暑い夏がやってきた。一昨日は慰霊碑にお参りいただいた。物故者は764名となった。生存する被爆者も平均年齢が82歳となった。自分は24歳の時に岡山に来た。2年後に第5福竜丸の久保山愛吉さん(1954年月23日没)が亡くなった。あれから63年経って、日本国民の願いが世界を動かした。核兵器廃絶の願い実現が真直に迫っている。多くの国民が批准を願っている。しかし、核保有国はいまだに放棄する様子はない。使えない核兵器の製造、保有していることを危惧している。このままでは目を瞑るわけにはいかない」と話しました。

通し行進者の西田さんは、「滋賀県から来た。広島に向けて西へ西へと歩んでいる。サッカー選手の本田圭佑さんがメキシコの強豪クラブ、パチューカへ入団したが、背番号は2番で指2本のピース(Peace)だ。核兵器禁止条約は時期尚早だという評論があるが、被爆国日本が今批准しなくて何時するのだと思う。出来ないのなら政府を変えるしかない。批准は日本政府の務めだ」と強調し、西田さんが好きな笠木透の歌「平和のこよみ」を歌いました。「名もない人々よ、歌え、歌え。憲法が生まれて70年戦争せずに70年」と歌声を響かせました。

昼休み休憩はコープ大福です。職員さんが出迎えてくださり、コープの平和への思いを強く感じました。休憩時間に明治機械(会社)に努める2人の青年と話しました。お名前は備中君22歳、岡田君33歳です。平和行進2回目の備中君は労働組合の要請に二つ返事で参加したそうです。原水禁大会へは参加したことがないと言うので、強く参加をお勧めしました。被爆者のことや国連での草案採択は知らなかったと言います。それでも核兵器廃絶や平和行進には関心があったと話しました。誘えば気軽に参加する青年はいるのですね。西田さんは岡山の平和行進は青年が多いと感想を述べています。

行進は無事に早島町に到着。今日は中島君が行進団を立派にリードしました。感謝。

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と き:2017年7月18日(火)9時~

ところ:西大寺町~岡山県庁

7月18日(火)、平和行進3日目(西大寺~岡山県庁)のコースです。朝から空模様。時折激しく雨が降りましたが、午後はすっかり晴れました。参加者は65名でした。

出発式では、総指揮を担当する竹永市議が「自分は晴れ女。雨も上がってくる。122カ国の賛成で採決された禁止条約を広げたい。1歩でも2歩でも平和をつなぐことは、宝物を引き継ぐこと」と挨拶しました。

東区役所の区長さんは、「体調に気を付けて。核兵器廃絶運動は求められながらもどこにでもあるわけではない。ここに来れば平和がある運動として頑張ってほしい」と話されました。

通し行進の西田さんは、「滋賀県から来た。5月6日に夢の島を出発して西へ西へと歩いている西田です」と自己紹介。通し行進の中で一番感動したことを話すとして、「愛知県の豊橋市に桜丘という高校がある。そこでは福岡県の星野村から原爆の火をもらい受け、今も絶やさず灯し続けている。その生徒たちは戦争をする国は許さない、憲法9条を守れと書いた横断幕を掲げて出迎えてくれた。感動的だった」と振り返りました。

横断幕を持ち、青年のリレータスキを掛けた小田島さんは「岡山の平和の願いを青年の一人として届けたい」と決意を述べました。

12時の休憩は東山で慰霊行動が行われました。被爆者の皆さんが出迎えてくれました。

県原水協代表の一人でもある花田さんは、「今年の行進は例年になくうれしい集会から始まった。核兵器禁止条約が採択され、いよいよ実行の段階に入った。戦後72年、平和と核兵器廃絶を願う市民と被爆者の運動が実を結んできた、日本政府にこの条約を批准させるためにも廃絶署名を広げることが重要になっている。被爆者の体験が願いに応えること事は一緒に力を合わせることだ」と力強く挨拶しました。

岡山市被爆者会の平末会長は「戦後72年間、世界を動かす努力が実った。9月の国連総会に提案できるところまで来た。核兵器廃絶を訴えてきたが核保有国が反対している。核を持っていても使えないことは核保有国が一番良く分かっている。私たちは世界に向けて発信し続けたい。最近は手紙を出すとよかったと返事が返ってくる。年は取ったが、国連総会で採決されるまで目を閉じられない。51年に被爆者慰霊碑を建立した。今年は24名を8月6日に奉る。274名となった。核兵器廃絶に向けて頑張ってほしい」と挨拶です。

通し行進者の西田さんは、「憲法成功70年、平和行進開始60年の節目に歩けることに感謝している。本当は被爆国の日本が一日も早く批准すべきと思うが残念だ。政府と同時に県知事や市町にも署名に賛同してほしい」と率直な気持ちを述べました。

県庁までの道のりで行進団は途中、岡山医療生協に立ち寄りました。そこでは職員や協立保育園の園児が行進団を出迎え、先頭を歩く行進団に折り鶴のレイが送られました。

協立病院の院長も「命は何よりも大切なもの。平和運動のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。

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とき:2017年7月17日(月)12時~17時

ところ:備前市 ― 西大寺町

7月17日、平和行進2日目、備前市から西大寺までのコースです。52名が参加しました。備前市長の田原隆雄さんが激励の挨拶に駆けつけてくれました。前の市長さんは平和行進に顔を出されることなどなかったですが、田原市長さんは中西元市議と市議時代に非核都市宣言をされた方です。立派な市長さんです。H20年12月だったとはっきり仰っていました。誇らしげな市長さんのお顔を拝見できてよかったです。市長さんの言葉は少ないですが「皆さんの活動が大きな力になる。備前市の夏は朝曇りと言って暑くなる時がある。身体に気を付けて」と行進団をねぎらいました。

市議会副議長の橋本逸夫さんは「行進団に敬意を表したい。昨年も挨拶したがくれぐれも体に気を付けて」と感慨深げにお話しされました。

備前市9条の会で中西さんの同士だと言われる宇治橋さんは「市長、議長の言葉に励まされた。平和を目指して頑張っている皆さんに敬意を。高齢者を救うアクティビティーの実現と世界から核兵器を無くすために頑張ろう」と行進団を激励しました。

備前市9条の会の中西さんは例年通り、備前焼で造られた手榴弾を示し、「実戦では使われなかった手榴弾だが、美しい焼き物が戦争のために使われようとしたことに怒りを覚える。今年は被爆2世が作成した備前焼マグネットを販売している。7月の国連核兵器禁止条約のその場に居た。ワーキンググループが集まっていたので、お土産に備前焼マグネットを渡した」と話しました。

通し行進の西田さんは「今年は日本の憲法が危ぶまれている。日本は核兵器禁止条約を批准していないが、被爆者の声を届け、9条を守りたい。私たちは平和を届ける使者になる」と行進の意義や目的を語りました。

備前市の出発集会では篠原さんのアコーディオンで「青い空」を合唱しました。

行進の途中、瀬戸内市では武久市長が出迎え、「平和の火を消さずに広島まで歩いてほしい」と歓迎と激励を込めた挨拶をされました。原野議会議長は「皆さんの地道な努力あってこその平和であり、核兵器廃絶の一歩だ」と感慨をもって話されました。

瀬戸内の行進は市長さんをはじめとした自治体の激励と、時折、強く吹き抜ける吉井川の風に癒されながら行進団は無事に西大寺までたどり着くことができました。

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