連想分類語 自治労
とき:2013年6月22日(土)18時~
ところ:まきび会館
高梁市の職員で文化財保護の職務に従事していた森宏之さんが2004年に過労で亡くなった件で、地方公務員災害補償基金(以下、地公災基金)がまともな調査もせずに死亡原因を公務外として、公務災害認定をしなかった事を踏まえて、4年半の裁判に原告の森貴美さんが勝利しました。
訴訟を支援する会は6月22日、報告集会と懇親会を開きました。約20人が参加して、勝利判決を祝い、原告の貴美さんを励まし、これからの基金の動きを見守ろうと確認し合いました。
報告集会の中で原告を支えて奮闘された奥津亘弁護士は、「当初は審査会の資料もなく、周囲の人も口が重たかった。高梁市の市長が変わったことを契機に、教育委員会の態度も変わり資料が手に入った。貴美さんが森さんの仕事を詳細に調べて緻密な資料をつくった。それによって一日の残業量が割り出され、裁判長もこれを認めたことだ。また、自治労連と自治労が小異を捨てて大同に就いた支援が勝利につながった」と裁判勝利の要因を語りました。
奥津亘弁護士
原告の貴美さんは、森さんが亡くなった当時の事を振り返りながら、「倒れた時、夫の心臓が止まり、脳出血も危険な状況だとドクターヘリから連絡があった。手術後の一週間、子どもと毎日見守り続けたが主人はなくなった。それから2年もして公務外通知が来て、困っている時に奥津先生に出会った。子どもの年齢を聞かれ、一歳だと答えると、だったら諦められないな、と言われた言葉は今でも忘れない。子ども3人を抱えて、生きている事が苦しい日々が続いた。支えてくれた人達には感謝でいっぱい。9年前から心の針が止まっていたが、やっと腕時計を付けられるようになった。心の針を戻したい」と長く苦しかった胸の内を明かしました。
故・森宏之さんの妻であり原告の貴美さん
その後の懇親会では、考古学の仲間や労働組合の役員から支援の契機となった思いが語られました。その言葉の中には、森宏之さんが学者としても労働運動の役員としても人を引き付ける人格者だった事や、地公災基金のあまりにもずさんな調査結果に、公務に関わる関係者が義憤に駆られた事が溢れていました。労働組合の違いを超えて、支援の輪が広がったことにも新鮮な動きが生まれました。互いの役員が名刺交換をして、交流する事の大切さを語る状況はまさしく、森さんがやり残した大切な遺跡を共同して発掘しているようでした。
0 Comments | Posted by kiyoshi in 活動日誌, 県民運動