岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

カテゴリ   活動日誌

と き:2018年8月26日(日)9時~

ところ:岡山県倉敷市真備ボランティアセンター

8月26日(日)、5回目のボランティア活動、倉敷真備に金曜イレブンアクションで顔なじみになったTさん(女性)とご一緒でした。もう一人Fさんも来られると連絡がありましたが行きのシャトルバスでご一緒することは叶いませんでした。新倉敷駅のバス停にはすでに7人くらいが待っていました。私とTさんも列に並ぶと次々に増えてきました。前に並んでいる女性に話しかけると「横浜から来た」というので、お礼を言いながら暫し、岡山の方言について盛り上がりました。Tさんはとにかくよくしゃべる人で、岡山弁にも詳しくひとしきり奥深い話に。初めて知ったのですが彼女は美作の出身で、私も知らない岡山弁を紹介してくれました。横浜から来た女性は後にKさんというお名前も分かりました。「昨晩に夜行バスで来た」と話し、明るい笑顔の方で、熊本や東北の支援にも行かれているようすを聞かせていただきました。お話からかなりのベテランと判断しました。

ボランティアセンターでは福岡からきた2人組の女性と同じグループとなり、結局、横浜のKさんと合わせると、女性4人、男性は私のみの5人のグループとなりました。リーダーは私になりました。福岡から来た2人は今朝、新幹線で来たばかりで日帰りとのこと。その内の一人は「まだ被災後、間もない頃に来た」と話し、「随分片付いている」と感想を話してくれました。

今日は下二万のサテライト事務所で説明を受けた後、近くのMさん宅に向かいました。広いお家で、庭には大きな栗の木があり、半分くらいは泥を被っていました。奥さんお話だと、「先日の台風雨でずいぶんきれいになった」と話されましたが、下の枝を剪定して見栄え良くしておきました。Tさんは植木剪定の経験があるらしく、こまめでした。

サテライトの指示では側溝の土をかき出すこと、家周りの泥出し、トイレまわりの清掃、屋根のドラム缶を撤去できるのかの判断などを任せられました。

早速、泥のかき出しをはじめながら、トイレの方も見てみましたが、Tさんが水道修理にも経験があるとのことで、彼女に任せました。途中、Tさんと二人でトイレのタンクと小便器、便座などを外して搬出しましたが、水道の管を切ったために、元栓を開くと水が漏れるようになり、止む無くサテライトにヘルプして水道屋さんに来てもらうようにしました。

やはり工具がないと仕事は完結しません。

昼食休憩をしている時に、家主のMさんから被災した時のお話を聞きました。「水がみる見るうちに上がってきて、コメの入った冷蔵庫を2階に上げたが結局、無駄だった。屋根には流れてきたドラム缶がそのままになっており、消防に頼んだが未だに撤去はできていない。コメは庭に暫く置くと発酵してお酒のように臭ってきた。たまに浸水はするが今回のようなことは初めての経験だ」と予想外の災害に対処できなかったことを悔やむようにお話されました。お住いの一棟は「解体する」とおっしゃっていました。休憩をしながら熊本地震の話や東北の災害に話が及びました。Tさんが常に自分の体験談を話しだし、県外の3人の話が途中で切れるために、十分に話を聞き出すことができず、ちょっと残念でした。しかしTさんは東日本大震災の時からのベテランボランティアで、今回の災害では1ヵ月以上ベテランです。その経験は豊富で話し出すと堰を切るように止まりません。話は尽きません。

話をしているうちにKさんの話から、岡山のWeb登録は初めてのようで、「簡単に受付ができてよかった」と話していました。熊本での活動の紹介していただき、「主に御用聞きが多かった」と。また、「岡山の受付はスムーズだったが、他県では9時に受付をして12時になって初めて活動となり、実際には2時間くらいの稼働だった。4千人の募集で行ってみるとすでに3千人が来ていた」などの経験談も聞くことができました。私は来る度に、他県のボランティアが多く、頭が下がると同時に、ボランティアを志す人が意外に多いことも分かり、ちょっと驚きです。ボランティアがステイタスになるのかな?とも思いました。昼食休憩後の活動時間が短く、どうやら仕事は終わらないと判断。「継続」としてセンターには報告しました。

帰りの列車を待とうと新倉敷駅に向かうと朝に会えなかったFさんが疲れた表情をして座っていました。聞くと「土壁を壊して搬出する作業だった」とのことです。労いの言葉を掛けるしかありませんでした。駅までご一緒したKさんは福山で遊んでから岡山で一泊するとのことで別れました。「福岡の2人はゆっくりと変えられるのかな?」駅まではご一緒できませんでしたが、お疲れを出されないようにと願うばかりです。

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とき:2018年8月22日(木)7時30分~、9時30分~

ところ:岡山駅西口サンステ、岡山県庁

2018年8月22日(水)、岡山高教組は子ども・高校生の学習権と進路保障を求める中国ブロックキャラバンにとりくみ、早朝宣伝を行いました。宣伝には10人が参加し500枚のチラシを配布しました。

岡山高教組・三上委員長は、「日本の教育予算はOECD諸国中で最低のランクだ。せめて、欧州諸国並みに予算を引き上げることで、高校の完全無償化、大学の無償化も実現可能になる。高等学校等就学支援金が始まっているが、所得制限がある。所得制限を撤廃し、すべての高校生の学ぶ権利を保障するよう無償化を実現することが求められる」と訴えました。

岡山県の教員不足は解決しておらず、非正規の教員で何とか運営しているのが実態です。宣伝では、教員の定数拡大と労働実態が改善されない限り、少人数学級の実施は不可能であることを訴え、「様々な施策の見直しを抜きにして根本的な解決はできない。市民のみなさんに協力してほしい」と通行人に呼びかけました。

10時から1時間、岡山県への要請行動がおこなわれました。要請には8人が参加、37項目の要請と懇談が行われました。実際には時間の関係で回答は重点8項目となり、項目が絞られ集中した議論の中で質問や意見が出されました。

特に、就学援助と学習指導要綱に関わって、県は就学援助の制度を多面的に知らせているとしていますが、実際には進級時と入学時しかされておらず、後は校報で知らせているだけです。就学援助を希望する家庭は、制度を個々一般的に徹底されているわけではないことが明らかとなりました。

学習指導要綱についてはカリキュラムマネージメントで自主的な教育制度の充実を促すと回答しました。それは逆に自主性を拘束することにならないのか?と質問すると、県は学校が主体的に充実できるように援助するものであり、他県の経験も取り入れるとしました。学力テストでは、最近の新聞報道を見る限り、岡山県の学力向上は成果を出していません。むしろストレスを生んで学力を低下させていないのか?この点で、県は学力テストが行き過ぎたという事例は聞いていない。津山市では学力テストの結果を指導資料として研修に使う試みが始まっていると事例を紹介しました。

正規教員の雇用では、今年度・小学校で220人、中学校122名を採用したと回答しましたが、割合としてどれくらい増えたのか?との質問には約2%と答えました。県は10年間で教員不足を解消すると言っていますがこれで本当にできるのか疑問でした。

就学支援金は非課税世帯が原則で年収250万円までが対象です。現行は公立高等学校等の在学者は年額12万9,700円、私立高等学校等の在学者は年額13万8,000円となっています。私たちは高校無償化を求めていますが、県は毎年充実が図られているとして県単独の支援制度は研究しているものの現在は考えていないとしました。

国の無償化制度は確かに検討されていますが、今困っている家庭の負担を軽減し、貧困による高校生の学習環境を支援すべきです。県はその立場に立っているのか?分からないというよりは県の消極的な姿勢を感じる懇談でした。

とき:2018年8月20日(月)18時30分~

ところ:勤労者福祉センター4階会議室

8月20日(月)、自治体問題研究所による「豪雨災害 県下の現状と課題」と題する講演会が開かれました。日本共産党岡山県委員会の住寄聡美にお話を聞きました。

住寄さんは今回に豪雨災害で早くから県内を回って、前大平喜信衆議院議員や仁比聡平参議院議員、森脇・須増県議会議員らと県内を回って、被災状況を調べ、被災者の声を聞いて来られました。今回は県内の被災状況から被災者の生活支援や課題、住家や罹災証明、商工業、農業、学校、河川反乱原因の究明と浸水被害の実態について彼女の経験が詳しく述べられました。

まず、県内の被災・災害発生個所は全県に及んでいることが克明に語られました。岡山県全体では61名が死亡、3名の行方不明者、全壊が4,423棟、半壊が3,027棟、床上浸水は2,961棟、床下浸水、6,013棟と岡山県にとって史上最悪の被害です。

全壊の内、半分にあたる4,250棟は倉敷真備町の被害です。半壊は962棟です。岡山市の全壊は7棟、半壊は1,055棟です。特に真備地域は小田川の6か所の決壊によって大きな被害となりました。

岡山市も床上・床下で6,605棟は被害に会い河川決壊の恐ろしさを目の当たりにしたとしました。岡山市東区では共産党竹永市議の後援会事務所が被害に会ったものの、そこを片付けながら地域支援の拠点として復興に尽力された様子も伺いました。

県内では津山市、笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、真庭市、矢掛町、玉野市、赤磐市、浅口市、鏡野町で河川反乱の被害が出ています。全県と言っていいくらい甚大な被害が発生しました。何度も言われていることですが「晴れの国岡山、災害、水害、地震の少ない県」との安全神話が浸透している岡山県で、水害による死者が多く発生したのも避難指示が遅れ、実際に避難の遅れが原因だと報道されています。これは実感によるものですが、避難の遅れは誰もが認める所です。

お話の中で、住寄さんはダム放流時の事前警報や河川整備の問題点についても強調されました。水害の怖さは浸水だけでなく、その破壊力は堤防を決壊させ、道路のアスファルトを剥がすほどの威力を持ち、直撃を受けた家はその衝撃で塀も上も壊れ、地面もえぐり取られる被害になっていることが紹介されました。

その上で、支援の課題として、「医療介護費の窓口無料化、避難所での生活改善支援、クーラー、仕切り、ペット専用、食事の改善、罹災証明の簡素化」が上げられました。すでに解決した問題もあります。避難所の食事が当初、毎日パンばかりだったことなども話されました。安倍首相の指示もあったと思われますが、罹災証明の簡素化と倉敷市の対応が柔軟だったことも分かりました。住家の支援では「公費による土砂・ガレキの災害廃棄物としての除去、公費解体、コミュニティー大切にした木造の仮設住宅、みなし仮設の遡及適用」、課題としては、「納得のいかない被災認定、制度を利用できない人への対応、コミュニティーの維持」です。その他、業種ごとの支援課題も具体的に述べられました。災害の原因と究明については、「小田川雑木の伐採、高梁川と小田川の合流点の付け替え工事」として、想定されていたことが先延ばしとなり犠牲者を出したと指摘しました。課題としては「専門家チームの支援と研究、住民の声を聞く仕組み、ダムの管理、内水の排除、河川敷と堤防の管理」が上げられるとしました。

今回の大災害は安倍政権の政治と無関係ではありません。広く国民と共に考えなければなりません。国民の命と暮らしを守る政治と軍拡の道は明らかに対極にある政治です。

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とき:2018年8月20日(月)17時30分~

ところ:岡山駅西口さんすて

8月20日(月)憲法宣伝に6人が参加、10筆をいただきました。

今回は署名して下さる方との会話はありませんでした。憲法署名が安倍政権への批判の意思表示になること、自民党総裁選挙に向けて安倍首相が憲法9条を変えると言っていることに歯止めをかけるにはどうしたらいいのか?3千万の署名を集めることが改憲発議を止める力になること。安倍首相は自衛隊を憲法に明記させ、事実上集団的自衛権の行使ができる軍隊を憲法に明記させようとしていること、などを訴えました。

今日は自治体問題研究所の講演会のために早めに切り上げました。ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。

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と き:2018年8月19日(日)13時~14時

8.19総がかり行動
8月19日(日)、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動。夕方や朝が肌寒く、虫の音や祭りの太鼓と盆踊りの曲が遠くに聞こえる季節になりましたが、日中はかなり暑く、その温度差に戸惑いがちです。今日も昼の炎天下での行動となりました。35人が参加して今日もアピール行動です。通常国会を振り返り、安倍政権が国民の命や暮らしそっちのけで、カジノ法案、過労死をまねく高プロ法案を強行したことなどを紹介、「豪雨災害での政権の中枢にいる人たちの対応は、酒宴に興じるなど、政権担当の資格がない」と訴えました。


戦争させない千人委員会の梶原代表、高教組の三上委員長、社民党の野崎さん、立憲民主党の高井たかしさんが、共産党の住寄さんがそれぞれ、この間の豪雨災害への対応と被災者へのお見舞いを述べ、安倍政権のあまりにも無責任極まりない政治の実態を告発しました。
社民党の野崎さんは自身のボランティア経験から、「被災の現場は復興に程遠い。政府がキチンと多対応すべきなのに、酒宴で興じていた安倍政権と取り巻きが腹立たしい」と政権への失望感を露わにしました。


原さんは「8月6日の広島平和式典に関わって、安倍首相は禁止条約に背を向けるだけでなく、その挨拶でもアメリカの核兵器開発に協力しながら、平和への橋渡しをするなどとウソブク首相」と不快感を示しました。
三上委員長は「安倍政権の教育改革は子どもの自立を妨げ、人材育成を目的に、国のために尽くす人間を育て上げようとしている。それは言葉巧みで、用心が必要。来年の防衛予算が5兆4千億円とされるように軍事予算を年々増やしている。自衛隊を軍隊にしようとしていることと無縁ではない」と歪められていく教育の実態を話しました。


立憲民主党の高井たかし氏は「安倍政権は西日本豪雨災害に1千億の予備費で対応しようとしている。何故なら国会を開きたくないからだ。秋の臨時国会で9条改憲発議をすると言っているが、自民党でも煮詰まっていない議論だ。総裁選対立候補の石破氏が椅子からずっこけたと言っているが、それほど唐突な公約だ」と安倍首相の暴走を批判しました。


共産党の住寄さんは「豪災害で多くの人が助けを待っている。復興はこれから。沖縄では翁長知事が県民の命を守ろうと闘い半ばで亡くなった。自分も沖縄で辺野古の海を壊す工事業者とこれを後押しする機動隊、さらには人命救助のエキスパートであるはずの海上保安官が基地反対を訴える人たちを弾圧する光景を目の当たりにした。絶対に許せない。自分も翁長知事の遺志を継いで頑張りたい」と決意を述べました。
最初は少ない参加者と思われましたが、意外に後から参加者が増え、現業組合の女性が元気に署名を訴えてくださいました。アメリカ人と思える方が署名に応じて下さり、英語が分からなくて身振り手振りでしたが、翻訳機能を備えるスマホを持つ、若者によってもコミュニケーションがスムーズに。思わぬ出来ごとに活気が生まれました。


高井衆議院議員や高原県議も参加いただき、アピール行動も高揚感が出てきたところでコール。参加者はプラスターを持ち、一斉に声を揃えて「憲法守れ、改憲許さない」「翁長知事の遺志を継ぐ」とアピールしました。皆さん、声をそろえていただき感謝です。これからもこの運動が強いきずなで結ばれ、広がることを願っています。

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と き:2018年8月10日(金)12:15~

ところ:中国電力岡山支社周辺

概 要

原発ゼロをめざすイレブンアクション実行委員会は、292回目となる抗議行動を行いました。今回の抗議行動には15人が参加し、原発ゼロ、再稼働反対を求めました。

中国電力は10日、建設中の島根原発3号機の新規制基準に基づく安全審査を原子力規制委員会に申請しました。建物や設備はほぼ完成しており、現在は安全対策工事を進めています。審査進捗によっては東日本大震災後初めて、新たに稼働する原発になる可能性があります。

行進団は、「原発推進は危険な政策だ。命と向き合え」とコールしました。

と き:2018年8月9日(木)12時15分~

ところ:岡山駅西口さんすて

8月9日最賃宣伝。3人でした。全国一律最賃制度を求めて宣伝しました。チラシは10枚も撒けません。年配の女性と話ました。看護師さんだったようです。「購買力を上げないと地域の経済はよくならない」と話すと「年金が下げられた、あまりに低い」と仰るので、「最賃の格差が広がり、岡山は807円になるが東京は958円となり、その差は249円だ」と地域格差を説明しました。

「このままでは地域・地方はますます疲弊する」と話すと共感されました。「どうしたらいいのか」と尋ねられるので、「安倍首相を辞めさせないと」と言うと「他にふさわしい人がいないでしょう」と返事。「安倍首相以外の野党はどうですか?」と話すと、今度は「力がない、民進党はダメだった」とどこかで聞いたような話になりました。「野党に力がないのはその通り。権限がないですから」「誰でも、今より悪くならないです。皆がそう言っていつまでも安倍氏を支持すると彼らはどんどん悪くなります。このままでは戦争になります。いま止めないと」と話しました。すると「そうね。災害の時も宴会をしていたとか、いい話を聞かないね」と同意。なんとなく意気投合しましたが、「多くの人はなんとなく安倍氏を支持しているんだろうな」と感じました。

高教組の仲間は教え子と話していました。赤ちゃんを抱えたその女の子は、「先生だと思ったが気がついてくれるか、心配だった」と笑いながら話しました。。「ある、ある」と私も共感しました。彼は「覚えていますよ。特に優秀な子は印象深い」と持ち上げました。それは本当でしょう。先生は意外と生徒さんのことをよく覚えています。いろんな出会いがあります。話すきっけは様々ですが「最賃制度にも関心をもっていただかないと」と思い、最賃のリーフレットを渡しました。

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とき:2018年8月2日(木)18時~

ところ:勤労者福祉センター4階

8月2日、種子法の学習会です。全国食県連から事務局長の舘野豊さんが講師として来てくれました。お話では広島の原水爆禁止世界大会の途中に寄っていただいたとのことです。

毎日が平和運動、災害対策、TPP問題と目まぐるしく変わりますが、これも労働組合ならではの多様性です。舘野さんはとてもやさしく、ゆっくりとお話する方でとても聞きやすく、胸に落ちる内容でした。

舘野さんは昨年5月に食健連の事務局長に就任されたそうで、それでも東京は5年目になるそうです。全国農協労連・岩手の出身であり、「東日本大震災でお世話になった。今度は西日本豪雨災害ではお返しをしたい」と岡山の被災に対して心を寄せました。

グローバル企業は食料ビジネスで「どう儲けようか」と考えている。食料を支配して農業の産業化をすすめている。そうすれば人を支配できると考えているようだ。国内でもホンダ、ワタミ、日産化学、住友化学、キリンビールが代表例だ。世界的にはモンサントが遺伝子組み換え種子で、気候や風土に適した種子の多様性を破壊している。

安倍首相は戦後レジームからの脱却を掲げているが、農業の家族経営を多国籍業のために壊そうとしている。家族経営は企業が参入しにくい仕組みであり、規制改革推進会議を利用しながら企業的農業への転換をはかろうとしている。

政府は食料政策からどんどん手を引き、コメの直接支払い交付金と生産調整制度を廃止してしまった。一方で市民には安全な食料が必要ならお金を出せと言わんばかりに、食の安心と安全、安定供給を放棄して自己責任とした。企業に対して主要農作物種子法、卸売市場法、水道法などで国民の命と、安定した食料供給の仕組みを廃止してしまった。農業協同組合に対しても「農家所得が上がらないのは農協組織があるからだ」と言わんばかりの異常な「値段を下げろ、株式会社にしろ」などのバッシングをしている。普通、生産物の値段を、車も同じだが政府が「値を下げろ」などとは言わない。

私たちは種子法の廃止について注意深く考える必要がある。種子法は「コメ・大豆・麦の優良な種子を安定的に生産し、普及するために国の果たすべき役割」を定めている法律であり、都道府県が良質な品種の選定や、原々種および原種、一般種子の生産と安定供給に責任を持たせるための法律だった。これを国は「国の管理をする仕組みが民間の品質開発意欲を阻害している」として法律を廃止した。つまり企業が儲からないと露骨に言っている。それは単に民間企業と言うよりはTPP11をはじめとした自由貿易を主張するグローバル企業のためだった。簡単に言えば外国企業の参入促進のためだ。

それでは私たちの食料や食卓はどうなるのか?安定供給のコストはすべて生産者と消費者に上乗せされる。資本力の大きな企業に種子を握られ、種子の価格が自由に値上がりするという異常な社会を迎えることになる。

卸売市場法の改悪も同じで、本来、市場に持ち込まれる生鮮食料品は「卸業者」を経て「仲卸業者」に販売される仕組みだ。さらに目利きとするブランド力で、食料全体の価格の安定を下支えてきた。ところが「卸業者」が直接スーパーなど商社に販売できるようにした。大量仕入れで、優位な価格で取引される結果、価格も自由となり安定供給という仕組みは崩壊する。そうなれば漁業者も不当な買いたたきで収入源となる。メジャーが市場を独占して食料支配が強まる。商店街は食料品が回らなくなって廃業に追い込まれる。

こうして種子法の廃止や卸売市場法の改悪は、その地域に生き・暮らすことを困難にする仕組みだ。さらにTPP11は国民の未来を奪う重大で危険な協定であり、何故、日本政府は国内農業を大切にしないのか?と疑問に思うだろうが、元は国連が大規模農業をすすめ、日本はアメリカに逆らえない仕組みから脱却できていない。食料を守ろうとする運動は全国に広がり、野党も復活のための共同提案をしている。そうした運動が政府と国民の矛盾をいっそう深めているとしました。

世界は家族農業に戻ろうとしている。国連は2014年を国際家族農業年とした。改めて家族農業が見直されている。

 

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とき:2018年8月1日(水)18時~

ところ:岡山市勤労者福祉センター4階

 

8月1日、県災対連は、広島県災対連から川后和幸さんを招き学習会を開きました。この学習会は岡山県災対連の結成が7月14日でしたが、その後は平和行進などもあって十分な活動ができていませんでした。参加団体の中にはすでにボランティア活動を始めている人もいます。今日も10回以上ボランティア活動をされている人も今日参加されました。

災対連の活動を長期の運動としてとらえ、ボランティア活動だけでなく、被災者とともに災害救助法の支援拡充や市民・県民の命を守る対策を広くとらえて活動しようとするものであり、広島に教訓に学ぼうとするものです。学習会には23人が参加、講演後も8人が発言。質問と熱心な討論が行われました。

冒頭、災害対策で岡山入りしていた大平喜信前衆議院議員が挨拶をされました。大平さんは「心配された台風が去り、豪雨災害から1カ月を迎えた。再び岡山で活動している。被災者の方々は夜も眠れない避難生活をされている。マンパワー総動員で家屋に溜まった泥や被災した家財を出す活動が続いている。河川に設置された土嚢から決壊した河川の傷跡が分かる。連日地方議員と走りながら行政に対策を求めているが、倉敷市の伊藤市長も最初は消極的だった木造仮設住宅に前向きになっていることに要請の成果も見える。暮らし、農業、生業をどう立て直すのか?支援活動は1カ月では終わらず、継続した活動が求められる」と自らの経験を振り返りながら災対連の結成を激励しました。

講演に立った川后さんは、2014年に広島県で土砂災害があった時に災対連を立ち上げボランティア活動をはじめたとして、「見通しをもって始めたわけではないが、災対連があることで住民の要求運動ができる。住民の納得と実態に見合った支援こそ求められる。支援金、仮設の入居条件、全壊半壊で大きく違う支援金、被災者を主人公としてどう運動を広げるかが課題」としました。「広島の災害は土砂災害であり、残酷な被害を残した。川を、道を一本隔てて災害地域とそうでない地域が分かれた。生活の再建はどうやればできるのか?災害救助法で受けられる支援は何か?を知っておく必要がある」として、そのためにも災対連の活動は、「被災者の支援活動と被災者を真ん中に据えた生活再建、復旧・復興に向けた政策・制度要求運動がある」と活動の基本を説明しました。「社会福祉協議会と災対連の活動で決定的に違うのは、社協の場合は支援要請が直接被災者から要請されるが、災対連は自分で仕事を見つけなければいけない。しかし、社協にできるのは個人宅の支援であり、神社・仏閣・お墓・倉庫は対象になっていない。墓の掘り起こしでは大きな役割を発揮した」と災対連ボランティアの特徴を話しました。

「支援の聞き取りで難しいのは被災宅には人がいないことであり、何でも相談室などを開設、医療生協の組合員が被災地域にいたことがボランティア活動につながった。この運動を通じて、多くの組合員や仲間を守ろうと2カ月で3000人が結集した」として活動の難しさや工夫、運動の成果について説明しました。災対連の活動を記録し、広げることも重要であり、科学者会とも連携して作成された記録集や手引きをいただきました。感謝です。

参加者からは「どうやって住民運動にするのか?救助法の支援の格差をどう埋めるのか?センターの運営はどうやったのか?」などの質問が出ました。また、「生業や融資制度の拡充が必要。救助法を実態に応じて変えさせることが大事」などの意見も出ましたが、運動として被災者を前面に押し出した要請ができるのかがポイントだと分かりました。

小田川の氾濫について山陽新聞の記事が紹介され、記事は河川の雑木林が災害の原因になっていることを意図的に隠していないか?」などの意見も出ました。

ボランティア活動をしている方は「災害地域でボランティアの格差がある。どうすればいいのか」などの悩みも出されました。

今後、事務局で具体的な活動を工夫したいと考えます。お盆を過ぎれば倉敷真備町に支援センターを置くことができそうです。

それまではボランティアの組織や支援課題の把握、住民との繋がり、政治や人権、雇用、経済、河川の在り方、ダムの問題などの観点からこの問題を掘り下げる準備をしたいと締めくくりました。

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とき:2018年7月26日(木)9時~

ところ:笠岡役所~城見小学校~大津野石樋公園

7月26日国民平和大行進もいよいよ広島へ引き継ぎです。笠岡市役所前で行われた出発集会では70人が集まり、最終日を盛り上げました。

横断幕、コープに虹の旗、風船、そして団体旗で市役所前はとても賑やか。テレビカメラも来ています。

笠岡市の小林嘉文市長は「73年前の広島原爆で多くの方が亡くなった。核兵器は絶対に無くさなければと思う。米朝会談で核戦争の危機を脱してホッとしたが、世界には未だ多くの核兵器が存在している。内紛で戦争が続いている。平和でこそ国民の暮らしも守られる。この度の災害では笠岡市も被害に会った。対策本部長と今日も対応していく。暑さも厳しい中、身体に気を付けてほしい」と激励しました。栗尾順三市議会議長も同席され、行進団に紹介されました。

地元実行委員会を代表して井木守市議会議員があいさつ。「1958年前に平和行進が始まったが、私はその年に生まれた。今日は広島へ引き継ぐ行進。1945年ニューメキシコアラモード原爆は生まれ、アメリカ・トリニティーで最初の原爆実験が行われた。今日は原子爆弾投下命令が下った日でもある。朝鮮の非核化など歴史的な歩みが始まっている中での平和行進の意義は大きい。笠岡市は6月の議会で請願が不採択となった。運動でこうした核兵器容認の動きを跳ね返し包囲していきたい」と決意を述べました。

 

コープで平和運動をしている小林恵子さんは「昨年は広島を訪問、今年は焼津にも行った。8月7日は長崎を訪問する予定だ。学び原子爆弾をなくす運動を広げたい。笠岡市でも福山工業の学生さんを招いて原爆展をやる。ご一緒に頑張りましょう」と平和運動の大切さを体験から語りました。

行進の出発では市長・議長の2人が横断幕を持ち、一緒に歩いてくれました。最終日は細い道が続き、自動車の往来も激しいため、常に行進団の後ろから「車が来ます」と声を掛け続けるのは笠岡市職労の赤沢さん。途中、菅原神社で休憩。このコースでお会いするJMIUの長谷川さんが亡くなられたと聞きました。毎年、お元気な姿を拝見していましたがとても残念です。コープの皆さんの湯茶の接待に感謝。酷暑の中にあって、スポーツドリンクやチューブのアイスは行進団の身体の渇きを癒し、参加者は「美味しい、冷たい」と笑顔いっぱいに声を上げていました。

沿道からは城見保育園園児の熱烈な歓迎を受け、行進団は元気いっぱい。カメラにはボンボンを振りながら「頑張って」と歓声を上げる園児の姿が何枚も収まりました。「ありがとう子ども達」「園の先生方、毎年、感謝」と何度も声を掛けました。

城見小学校では地元実行委員会の皆さんが、冷たいおしぼりとそうめん、冷たいお茶やスポーツドリンク、そして飴などで大歓迎。テントも張ってあり、至れり尽くせりです。

本当においしいそうめん。何杯も遠慮なくいただきました。腹いっぱいです。

大津野石樋公園では広島に皆さんが出迎えてくれました。お互いにエールを交換、府中町議の二見慎吾さんともがっちり握手。前広島県労連議長だった川后和幸さんとは再開を喜び合いました。広島の皆さん、大会でまたお会いしましょう。

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