カテゴリ 平和行進
とき:7月26日(水)9時~12時30分
ところ:笠岡市~広島(大津野石樋公園)
7月26日(水)平和行進。笠岡市から広島へ引き継ぐコースに参加しました。県境を過ぎた大津野石樋公園で引継ぎです。95名が参加しました。
笠岡市役所前で開かれた出発集会では、小林嘉文市長があいさつに立ち「県境の笠岡市として行進団を送り出す大切な日です。平和を共有する輪を広げましょう。被爆国として全世界に訴えたいことは多い。私も署名をした。世界に核兵器廃絶の願いを届けよう」と力強く訴えました。栗尾順三議会議長も紹介されました。
岡山最終日の総指揮を担当する井笠地域実行委員会の井木守さん(笠岡市議)は「自分は1958年生まれ。平和行進が始まった時だ。今年は被爆者の願いが叶い、核兵器禁止条約が採択された。笠岡市では役所と市民が一体となって被爆者署名に取り組み、8000筆くらいの署名を集めた。自分としては国際的な運動に参加できたと思う」とこの間の運動を振り返りました。
岡山コープ井笠エリアの松岡玲子さんは「毎年平和の取り組みをしている。昨日、福山工業高等学校の先生と生徒さんに来ていただいて、被ばく前の広島の街並みを再現したコンピュータグラフィックス映像を見せていただいた。小学生から戦争体験のある80歳までが熱心に聞いた。戦争を知らない生徒さんたちが製作されたことに感銘を受けた。平和を後世に引き継ぐ取り組みを続けたい」と語りました。
通し行進の西田さんは「東京夢の島を5月6日に出発した。笠岡市では職員と市民が一体となって平和を守る運動に取り組まれている。こんな自治体はどこにもない。笠岡市は素晴らしい。日本一の市長さんだ」と感激し、称賛の言葉を贈りました。
アメリカから来たサム君は「被爆者の国と国民を理解したいと講義室ではなく、実際に自分の目と耳で確認したいと思い行進に参加している。大学では社会学を学んでいる。自分は特別な人間ではない。普通の学生だ。アメリカは原爆を正当化している。しかし、広島・長崎を繰り返してはならない。私たちの世界は多様に生き共存している。恒久的な繁栄と他国を理解するためには学ぶことで痛みも理解できると思う」と話しました。
平和行進も県内最後の行進日です。「様々な平和への思いや取り組みが市民を励まし、考え、運動を広げることが明日の日本を明るくする」という思いを強く意識する出発式でした。岡山の行進のためにつくった核兵器廃絶の替え歌が元気に歌われました。行進の途中では城見保育園の園児たちの熱烈な歓迎。地元婦人会の皆様のそうめんと冷たいおしぼりやトマト、お茶の接待に感激です。そうめんを3杯も食べた人も。
平和行進は多くの人たちに支えられながら元気を増し、その熱い思いを引継ぎ広島・長崎に届けていきます。
引き継ぎ集会では広島の福岡代表理事が嘱託教員としての経験を紹介され、「核兵器禁止条約が採択され被爆者の願いが実現した。残念なことに日本はこの席にいなかった、という趣旨の学級通信を出そうとするとクレームが付いた。しかし、多くの職員から評価され、3日後に発行された」と話しました。被爆地でも闘いが常にあることが実感されました。
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とき:2017年7月23日(日)
ところ:山手支所~ COOP総社東~総社支所~清音公民館~真備歯科診療所~真備支所
7月23日(日)平和行進、総社山手支所を出発してCOOP総社東を経て、総社市役所、真備歯科診療所で休憩、倉敷市真備支所までの工程です。山手支所では平支所長さんが歓迎の挨拶、通し行進の西田さんは、笠木徹の「平和の暦」を歌いあげました。アメリカの大学1年生サム君は「アメリカで平和について研究中。インターネット募金で日本に来た。平和の種をまき、平和の思いと和が広げたい」と訴えました。山手支所からは60人が元気よく出発。総指揮は実森さんでした。行進団は休憩地点COOP総社東店に到着。COOPで組合員活動をされている岩さんが歓迎の挨拶。「総社東エリアでは8月に戦争を語る会を開いている。語る継ぐことが大切」と話し行進団を労いました。ここでも西田さんは、「西へ西へと広島に向かっている」と笑いを誘う挨拶。サム君は「皆さんの歓迎と、接待に感謝している」と述べました。サム君はここでも募金集めです。皆さん、お札を次々に入れてくれました。私はサム君を引っ張って、お願いに回りました。ここで行進団は75名と膨れ上がりました。障害者の方も途中まで車イスで参加されました。
総社市役所では市長をはじめ、役員の皆さんが出迎えました。片岡聡一市長は「一緒に歩いている難波市議は議会の時より元気そうだ」と冗談を飛ばしながら、「平和市長会議の最初の市長になったのは私。地方の市長も平和について考えを持つべき。市民を守るのは市長の役割。道のりは長いが一歩一歩の歩みが国を変える」と話し、「皆さんは日曜日に職員がいないと思っているでしょうが、ちゃんといるのですよ」と胸を張りました。荒木議会議長は「例年よりも暑いと聞く。身体に気を付けると同時に、行進団の訴えの通り、核兵器を良いと言う人はいない。核で脅して自分の主張を通そうとする輩に平和を求める世論で反撃しよう」と訴えました。行進団を代表して挨拶に立った西田さんは、「平和行進が始まって60年。日本が私たちの運動で批准するように頑張りたい。全国15の知事、715の市町村長が署名している核兵器廃絶署名。被爆国の日本がしなくて誰がする。出来ないのであれば政府を変えるしかない」と力強く呼びかけました。ここでもサム君は平和募金を訴えました。市長をはじめ役員の皆さんも協力してくださいました。ここでは市民劇場から西田さんに折り鶴の束が託されました。
清音村では池上館長が歓迎。「最近は戦争を知らない議員が多い。南スーダンへの自衛隊派遣もおかしい。平和への思いを訴えてほしい」と話されました。ここで行進団が少し隊列を縮小して、替え歌にコール、訴えを続け元気に行進。休憩地点の真備歯科へ。おいしいトマトにスイカ、トマトや胡瓜の辛子付け、そしてシフォンケーキが行進団の喉とお腹の渇きを癒しました。
行進団は一路、真備支所へ。三谷支所長は「お疲れ様、被爆から72年。惨劇を二度と繰り返してはならない。後世に語り継ぐことも大切。倉敷市は32年前に平和都市宣言をした。小学校5・6年生は毎年、平和バスを出し広島・長崎に行くなど、啓発活動をしている。行進が大きな成果を収められるように祈念する」と歓迎の挨拶。医療生協の多田さんは、「核兵器禁止条約は7月7日に採択された。核を持つ国は9カ国、核の傘にあるのは28カ国だ、今年は核兵器廃絶にとって大切な年」と決意を語りました。
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7月20日(木)平和行進。
岡山市から早島町へのコースですが今日は県労会議の担当日です。弓田事務局次長を先頭に70人が行進しました。
出発集会の会場となった岡山市大供公園では岡山市の森安保健福祉局さんが、市長のメッセージを代読されました。毎年、同じ内容なので簡単に紹介しますが、岡山空襲の日が岡山市平和の日となっていること、S60年に平和都市宣言をしていることなどが盛り込まれています。残念なのは核兵器廃絶に対する市長さんの意向がなかなか表明されないことです。このあたりが他の自治体との違いです。局長さんからはペナントと募金が手渡されました。
県労会議の三上議長は県原水協を代表して、「平和行進も5日目。核兵器禁止条約が国連で採択された。大国が参加していない面もあるが転換点になっている。一方で安倍首相は世界の何処でも戦争のできる国にしようとしている。しかし、国民の支持は得られず、支持率は極端に下がっている。一緒に戦争反対、核兵器廃絶の声をあげましょう」と挨拶しました。
岡山市被爆者会の平末さんは、「今年も暑い夏がやってきた。一昨日は慰霊碑にお参りいただいた。物故者は764名となった。生存する被爆者も平均年齢が82歳となった。自分は24歳の時に岡山に来た。2年後に第5福竜丸の久保山愛吉さん(1954年月23日没)が亡くなった。あれから63年経って、日本国民の願いが世界を動かした。核兵器廃絶の願い実現が真直に迫っている。多くの国民が批准を願っている。しかし、核保有国はいまだに放棄する様子はない。使えない核兵器の製造、保有していることを危惧している。このままでは目を瞑るわけにはいかない」と話しました。
通し行進者の西田さんは、「滋賀県から来た。広島に向けて西へ西へと歩んでいる。サッカー選手の本田圭佑さんがメキシコの強豪クラブ、パチューカへ入団したが、背番号は2番で指2本のピース(Peace)だ。核兵器禁止条約は時期尚早だという評論があるが、被爆国日本が今批准しなくて何時するのだと思う。出来ないのなら政府を変えるしかない。批准は日本政府の務めだ」と強調し、西田さんが好きな笠木透の歌「平和のこよみ」を歌いました。「名もない人々よ、歌え、歌え。憲法が生まれて70年戦争せずに70年」と歌声を響かせました。
昼休み休憩はコープ大福です。職員さんが出迎えてくださり、コープの平和への思いを強く感じました。休憩時間に明治機械(会社)に努める2人の青年と話しました。お名前は備中君22歳、岡田君33歳です。平和行進2回目の備中君は労働組合の要請に二つ返事で参加したそうです。原水禁大会へは参加したことがないと言うので、強く参加をお勧めしました。被爆者のことや国連での草案採択は知らなかったと言います。それでも核兵器廃絶や平和行進には関心があったと話しました。誘えば気軽に参加する青年はいるのですね。西田さんは岡山の平和行進は青年が多いと感想を述べています。
行進は無事に早島町に到着。今日は中島君が行進団を立派にリードしました。感謝。
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と き:2017年7月18日(火)9時~
ところ:西大寺町~岡山県庁
7月18日(火)、平和行進3日目(西大寺~岡山県庁)のコースです。朝から空模様。時折激しく雨が降りましたが、午後はすっかり晴れました。参加者は65名でした。
出発式では、総指揮を担当する竹永市議が「自分は晴れ女。雨も上がってくる。122カ国の賛成で採決された禁止条約を広げたい。1歩でも2歩でも平和をつなぐことは、宝物を引き継ぐこと」と挨拶しました。
東区役所の区長さんは、「体調に気を付けて。核兵器廃絶運動は求められながらもどこにでもあるわけではない。ここに来れば平和がある運動として頑張ってほしい」と話されました。
通し行進の西田さんは、「滋賀県から来た。5月6日に夢の島を出発して西へ西へと歩いている西田です」と自己紹介。通し行進の中で一番感動したことを話すとして、「愛知県の豊橋市に桜丘という高校がある。そこでは福岡県の星野村から原爆の火をもらい受け、今も絶やさず灯し続けている。その生徒たちは戦争をする国は許さない、憲法9条を守れと書いた横断幕を掲げて出迎えてくれた。感動的だった」と振り返りました。
横断幕を持ち、青年のリレータスキを掛けた小田島さんは「岡山の平和の願いを青年の一人として届けたい」と決意を述べました。
12時の休憩は東山で慰霊行動が行われました。被爆者の皆さんが出迎えてくれました。
県原水協代表の一人でもある花田さんは、「今年の行進は例年になくうれしい集会から始まった。核兵器禁止条約が採択され、いよいよ実行の段階に入った。戦後72年、平和と核兵器廃絶を願う市民と被爆者の運動が実を結んできた、日本政府にこの条約を批准させるためにも廃絶署名を広げることが重要になっている。被爆者の体験が願いに応えること事は一緒に力を合わせることだ」と力強く挨拶しました。
岡山市被爆者会の平末会長は「戦後72年間、世界を動かす努力が実った。9月の国連総会に提案できるところまで来た。核兵器廃絶を訴えてきたが核保有国が反対している。核を持っていても使えないことは核保有国が一番良く分かっている。私たちは世界に向けて発信し続けたい。最近は手紙を出すとよかったと返事が返ってくる。年は取ったが、国連総会で採決されるまで目を閉じられない。51年に被爆者慰霊碑を建立した。今年は24名を8月6日に奉る。274名となった。核兵器廃絶に向けて頑張ってほしい」と挨拶です。
通し行進者の西田さんは、「憲法成功70年、平和行進開始60年の節目に歩けることに感謝している。本当は被爆国の日本が一日も早く批准すべきと思うが残念だ。政府と同時に県知事や市町にも署名に賛同してほしい」と率直な気持ちを述べました。
県庁までの道のりで行進団は途中、岡山医療生協に立ち寄りました。そこでは職員や協立保育園の園児が行進団を出迎え、先頭を歩く行進団に折り鶴のレイが送られました。
協立病院の院長も「命は何よりも大切なもの。平和運動のために力を尽くしたい」と行進団を激励しました。
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とき:2017年7月17日(月)12時~17時
ところ:備前市 ― 西大寺町
7月17日、平和行進2日目、備前市から西大寺までのコースです。52名が参加しました。備前市長の田原隆雄さんが激励の挨拶に駆けつけてくれました。前の市長さんは平和行進に顔を出されることなどなかったですが、田原市長さんは中西元市議と市議時代に非核都市宣言をされた方です。立派な市長さんです。H20年12月だったとはっきり仰っていました。誇らしげな市長さんのお顔を拝見できてよかったです。市長さんの言葉は少ないですが「皆さんの活動が大きな力になる。備前市の夏は朝曇りと言って暑くなる時がある。身体に気を付けて」と行進団をねぎらいました。
市議会副議長の橋本逸夫さんは「行進団に敬意を表したい。昨年も挨拶したがくれぐれも体に気を付けて」と感慨深げにお話しされました。
備前市9条の会で中西さんの同士だと言われる宇治橋さんは「市長、議長の言葉に励まされた。平和を目指して頑張っている皆さんに敬意を。高齢者を救うアクティビティーの実現と世界から核兵器を無くすために頑張ろう」と行進団を激励しました。
備前市9条の会の中西さんは例年通り、備前焼で造られた手榴弾を示し、「実戦では使われなかった手榴弾だが、美しい焼き物が戦争のために使われようとしたことに怒りを覚える。今年は被爆2世が作成した備前焼マグネットを販売している。7月の国連核兵器禁止条約のその場に居た。ワーキンググループが集まっていたので、お土産に備前焼マグネットを渡した」と話しました。
通し行進の西田さんは「今年は日本の憲法が危ぶまれている。日本は核兵器禁止条約を批准していないが、被爆者の声を届け、9条を守りたい。私たちは平和を届ける使者になる」と行進の意義や目的を語りました。
備前市の出発集会では篠原さんのアコーディオンで「青い空」を合唱しました。
行進の途中、瀬戸内市では武久市長が出迎え、「平和の火を消さずに広島まで歩いてほしい」と歓迎と激励を込めた挨拶をされました。原野議会議長は「皆さんの地道な努力あってこその平和であり、核兵器廃絶の一歩だ」と感慨をもって話されました。
瀬戸内の行進は市長さんをはじめとした自治体の激励と、時折、強く吹き抜ける吉井川の風に癒されながら行進団は無事に西大寺までたどり着くことができました。
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7月16日(日)平和行進です。備前市寒河で兵庫県の行進団を迎えました。今日は岡山県内行進の初日ですが備前市役所までのコースです。行進には132名が参加しました。
行進団を迎えてあいさつに立った河重さんは、「5月6日、東京夢の島を出発した平和行進は広島・長崎の被爆から72年目の夏を迎える。今年はうれしいニュースが届いた。核兵器禁止条約は世界の国々から感動的に受け止められた。国連加盟国の内122か国が賛成した。草の根の運動と被爆者の願いが届いた瞬間ですが日本政府は欠席しています。失望と怒りが渦巻いている。国民の世論と運動は都議会議員選挙で自民党を許さなかった。政治の私物化も同じだ。戦争に巻き込まれないように、公正で公平な世界をつくろう」と挨拶しました。
兵庫県の代表を務めた津川さんは「平和行進が兵庫県に入った時からその意味は変わった。それは核兵器禁止条約の初日だった。一つはその意義を広げること、もう一つは、条約は最終点ではなく入口に立ったばかり。頂点を目指し完全になくすことだ。日本政府をその立場に立たせることも運動の目標だ。さらに県政を変えていく役割もある。県知事選挙に立候補して敗北したが今後のばねにして頑張りたい」と引き継ぎの挨拶をしました。
通し行進の西田重好さんは、「昨日はたつの市揖保小学校を超え、西へと歩み広島に近づいてきたと感じるようになった。岡山の皆さんお世話になります。平和の声、憲法9条の国を広げるために、大切な憲法を発展させましょう」といよいよ真直に迫った広島へ意気込みを語りました。
もう一人、大阪からフィリピンのブッチさんがあいさつ。「お会いできてうれしい。平和のために一緒に頑張りましょう」と話し、今日で祖国に帰ると報告しました。
非常に暑い日でしたが、海からの風も気持ちよく、途中の日生町では区長さんの激励の挨拶もいただきながら、予定よりも早い時間に目的地の備前市に到着しました。
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7月26日、笠岡から広島に引き継ぐコース。11日目となりました。
笠岡市役所前には小林市長さんをはじめ、栗尾議長さんも出発集会に参加をいただき、職員の皆さんも総出で見送ってくださいました。県内行進では珍しく笠岡ではCOOP生協の皆さんも子ども連れで毎年参加されています。
司会は笠岡市職員労働組合の赤澤さんです。笠岡市を代表して市長がご挨拶をされました。「今年も暑い夏がやって来ました。71年前の夏に原爆が落とされた。今なお苦しんでいる被爆者の方がいる。オバマ大統領が広島を訪問されたが、新しい時代が来たと思った。今日は皆さんと行進する。頑張ろう」と行進団を励まされました。
地元実行委員会を代表し総指揮もされる樋之津市議会議員は「今年も7月26日がやってきた。全国10万人の平和行進のタスキをつないで元気よく歩こう。平和は大切、核兵器はなくそうと話にはなるが、どうするのかということになるとなかなか一歩が踏み出せない。今日は広島に向かって、核兵器廃絶を訴えて行こう」と決意を述べました。
岡山COOP井笠エリアを代表して島本洋子さんは「毎年夏になると母方の祖父のことを思い出す。祖父は20代で戦地に行き帰ってこなかった。孫の私の存在を知らない。戦争さえなければ、平和な世の中なら祖父は娘の結婚や孫を抱くなど、幸せな人生を送ったに違いない。これから先、子どもたちの未来が幸せであってほしい」と平和への願いを子どもたちの未来へ重ねました。
全国通し行進の山内さんは「東京から広島の1000㌔を歩いている。どの自治体でも支援をいただき元気に行進している。平和を願う仲間との行進は幸せ。今日で82日目になる。今年で59回目になる平和行進が世界を変えようとしている。オバマさんの話もあるが、具体的には私たちの運動にかかっている。被爆国日本の世論と運動がカギを握っている。いよいよ午後は広島。今年の大会は迫力のある大会になると思う。核廃絶に向けて大きな一歩を踏み出したい」
国際青年通し行進者のマテットさんは「広島県に向けて歩きます。サポートして下さった皆さんありがとう。様々な思いを広島に持っていく。暴力をなくすために頑張ろう、人々のために、平和のために、頑張ろう!平和行進」と力強いメッセージで呼びかけました。
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とき:2016年7月23日(土)8時45分~
ところ:山手支所~
54人が行進に参加しました。
山手支所の難波さんから所長のメッセージを代読
平和行進の皆様に心から敬意を表します。行進される皆さんのメッセージが世界に届き
核兵器のない平和な世界が訪れることを願っている。暑い中での平和行進です。身体に気を付けてください。
通し行進者・山内さんのお話し
今日もいい天気。3年目の平和行進は79日目になります。どこれも激励をいただきありがたいです。今日も元気よく歩きましょう。
マテットさんのお話し
力を合わせれば声は大きくなり行動は力強くなります。極端な暴力や、数世代にわたり多くの人命が失われるような経験は繰り返してはなりません。ノウモア広島、ノウモア長崎、ノウモア戦争、平和行進です。凛とした声で話されました。
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とき:2015年7月19日(日)9時40分~
集合:岡山県庁玄関前
19日は岡山市内行進。岡山県庁玄関前で出発集会が行われました。今日の司会は岡山市職員組合の大平さんです。出発に当たって、各界からご挨拶をいただきました。
岡山県総務部総務学事課の福本さんは「猛暑の中、核兵器廃絶と戦争のない社会に向かって歩かれている皆さんに敬意を表します。広島・長崎の被爆から70周年。NPT再検討会議で最終文書は合意できなかったが、核兵器の非人道性などの認識や議論が深まった。イランの核問題も解決に向かって合意が進んでいる。健康に留意して頑張ってください」とあいさつ。
岡山市被ばく者会の平末さんは、「昨日は東山の原爆慰霊塔にお参りいただきありがとうございました。被ばく70周年とされるが最後の年ではない。岡山の被爆者は平均年齢が81歳になった。戦争法案も廃止に。徴兵制度の復活は絶対に許せない。核兵器廃絶に向けてご協力を」と訴えました。
国民平和大行進岡山県実行委員会を代表してあいさつした森脇県議は、「核兵器のない、平和で公正な社会をめざして運動を成功させましょう。今年は廃絶に向けて法的な枠組みをつくる大きな一歩が踏み出す年になっ。戦争法案をストップさせる大きな運動をつくろう。戦争法で安倍首相は国民の理解が進んでいないと言ったが、国民は…戦争法の認識を深めて大きな反対の運動を空前の規模で進めている。理解できていないのは政権与党と政府だ。平和と民主主義を守る運動に取り組もう」と強調しました。
総指揮者の河田市議会議員は「核兵器と戦争法を失くせの声を大きく届けよう」と話しました。
83歳になる通し行進の山口さん「3年前にお邪魔した。映画をつくろうとカメラマンと歩いている。怪しい映画じゃない」と会場を沸かしました。アメリカから来たメアリーさんは「自分歩くこと平和へのメッセージ届けたい。若い人は話しかけてほしい」と笑顔を見せました。もう一人の通し行進者・松永さんは「兵庫から岡山に引き継いだ時点で2百万歩を突破した。昨日までに203万6779歩となった」と報告すると大きな拍手に包まれました。市民劇場の講演で岡山に来ていた東京芸術座の神谷さん、たかのさんもお見えになって、短い距離でしたが一緒に歩かれました。今日は午後から陽射しのきつい日となりました。
170人の行進団は元気よく岡山市内を行進。シュプレヒコールや平和ソングなど終始声を出しあいながら、平和ミュージアムで休憩しながら、お昼は生協のオルガホールで昼食休憩。午後からは奉還町やイオンモールなどを回るように行進して、終着点の岡山市役所に到着しました。
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