連想分類語 96条
とき:2013年4月30日(火)18時30分~
ところ:勤労者福祉センター4階大会議室
4月30日、2回目の憲法講座が開かれました。講師の小畑隆資さんは前回と同じ講義としながらも、情勢に対応して新しい資料を追加して、安倍首相が狙っている憲法改悪の真の狙いを根こそぎ掘り起こしました。参加者は前回を含めると40名となりました。
小畑さんは自民党の憲法改訂草案の前文には、「日本の国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と始まる。それでは主語はなにか?それは日本の国であり、私たち人民ではない。しかも、国の固有の文化は天皇をいただく国家だったとういうものだがそうではない。例えば江戸時代に権力者は天皇だったのか?戦国時代には国はいくつもあり、領主は全国にたくさんいた」と具体的に歴史をもう一度ひもときながら、ごまかしを暴くように話を始めました。その上で、「日本の伝統とする文化は、人民が不当な支配と闘い、ある時はじっと耐え、ある時は一揆で立ち上がり、ある時は宗教であったりして自由と民主主義をつくってきた。それが伝統であり文化だ」と説明しました。また、天皇を象徴とする意味は何か?と問いかけ、「私たちが人権を守る国家構造を日本のシンボルとして天皇が認めるならば、象徴として認める」という意味であって、飾りではないとしました。
そこで、現天皇が1989年1月8日の即位後に行った朝見の義における「お言葉」の解釈をめぐって問題になったことを、現憲法の99条(憲法遵守義務)をめぐる話題として提供しました。それは、総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁裁判所長官など三権の長を中心とする政権トップを前にして、天皇が、「ここに皇位を継承するに当たり、・・・皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」云々と述べたことを紹介して、問題はここでの「皆さん」とは誰をしているか?ということであり、当時のマスコミは、「皆さん」を「国民」と受け止めていたことを、高橋和之(東京大学教授法学部教授・当時)が問題提起をしていると話しました。当時の竹下内閣も憲法三条に沿って「助言と承認」をしているが、高橋和之氏は1990年出版の岩波新書「昭和の終焉」の中で、「もし内閣が、国民も同様に憲法遵守義務を負うのだという、立憲主義の論理を形骸化しかねない考えを、天皇の「お言葉」を借りて国民の意識の中に滑り込ませようとしたとすれば、これはなかなかの曲者で、用心が必要である」と警鐘を鳴らしていると説明しました。
私達は意図していなくても、無意識の内に「憲法を守ろう」と言っている訳で、国民の義務であるかのように訴えている宣伝を考え直す必要がありそうです。小畑さんは「憲法は人民が生命・財産・自由などの基本的人権を守るならば、という前提で権力者に与えたルールだ」と何度も強調し、権力者には死刑や監禁、武器の使用などの権力が与えられており、一般国民には許されないのが権力の本質だと話しました。
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