岡山県労働組合会議

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連想分類語  麻生多聞

とき:2014年11月3日

ところ:山陽新聞さん太ホール

11月3日、「徹底批判、戦争しない国を守るために」をテーマに憲法公布記念のつどいがさん太ホールで開かれました。今年は憲法公布68周年にあたりますが、集団的自衛権行使容認や原発再稼働の動きなど、平和や基本的人権が脅かされる政治の暴走が続いています。主催者あいさつの中で、実行委員長の中富公一さんは、「新憲法の下で国民は、国民を戦争の道具にする国家に対して勝利した。主権は国民にあり、我々の思いを汲んだ憲法は立憲主義によって権力者を縛ってきた。しかし、憲法はある意味棚ぼたであり、自分たちがこうして集まり、その憲法の意味を再確認する必要がある」と話しました。

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講演は2演題行われ、最初は原発と生存権をテーマに中里美博さん(徳島大学総合科学部准教授)が自らを福島原発からの避難者だと紹介しながら、原発そのものが人権侵害だと話しました。中里美さんは「中富公一先生は怖い先輩だった。今は徳島に住んでいるが最初は岡山を考えていた。岡山には親しみを覚えている」と心情を語りながら、「現在、原発は止まっている。それで誰も困らない。脱原発が日本の経済成長に危機を招いている、という主張があるが、電力がGDP500兆円に占める割合は0.75%であり、誤差の範囲にすぎない」とした上で、「原発事故によって5年間立ち入りできない地域の面積は琵琶湖の半分。国は自主避難者に対して支援をしない。現在も放射線管理区域に人が生活している。国は勝手に暫定20㍉Svという数値を持ち出し、人がそこで暮らす異常さを放置してきた。子どもの甲状腺がんが増えているが、20年後の健康被害が問題になるだろう。これは生存を基礎とする人格権の侵害だ」と強調しました。

2演題目の麻生多多聞さん(鳴門教育大学学校教育学部准教授)は「日本の隣には軍隊を持たない国がミクロネシア諸島に27カ国ある。なぜ軍隊を放棄しているのかが問題だ。それは自衛のための軍隊の力は相手の軍事力により左右され、その規模は際限がない。自衛のための戦争は侵略戦争の口実にされた歴史がある」と集団的自衛権の本質を切り出し、機関銃のように様々な課題に即して話をはじめました。

「アメリカが9.11以降、イラクと戦争をはじめたが、結果的に65万人のイラク人が死んだ。戦争をはじめた時の口実はすべてウソだった。実際は石油の利権に絡んだ戦争であり、北朝鮮へアメリカが攻めないのは石油がないからだ」と侵略戦争の本質を身近な事件から紹介しました。続けて、「戦争は国家の機能が逆に作用し、国家防衛が目的となり国民は(兵隊という)手段に変わる。その証拠に自衛隊は国の安全を守ると書いてある」と説明しました。

さらに、「憲法は誰を縛るのか?それは国家であり、国家権力は信用できないからだ。防衛のためなら核兵器を持っていいという議論があるが、これは被爆者記念碑の過ちは2度と繰り返さないという誓いに反し、無差別攻撃を容認するものであり、自衛と言って始める戦争は際限のない権力の無差別殺人へと発展する。今日の集団的自衛権は個別的自衛権の範囲を超えないという議論があるが、これは反対運動を鎮静化させる効果があることを認識する必要がある。現在でも自衛隊は世界17位の規模だ。国民世論でも自衛隊は大半が容認している。しかし、それはよく考えた熟慮の結果だろうか?憲法への深い認識に支えられた闘争が国家の勝手な解釈を許さない社会をつくることになる。熟慮できない人が増え、国民のアトム化(バラバラになること)が進むと人間は資本主義社会の道具になり下がる」など、運動の側面からも憲法への認識を深める必要性を指摘しました。最後に、「これまでの憲法論争と平和を求める運動は戦争体験に支えられてきた。9条に対する新しい位置付けや正当化が求められている。かつて自衛隊を合憲とした司法の判断はない。司法が訴えるだけでは十分ではなく、市民の能動的で主体的な運動が必要になっている」と、麻生さんは汗を拭きつつ、運動の顧みながら新たな視点で展望を語るなど、見事に集団的自衛権を切り捨て、運動の発展のために熱い思いを語りました。

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