連想分類語 ミッテルバウ=ドーラ強制収容記念館
第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム岡山県倉敷大会
とき:2013年8月17日(土)13時~8月19日12時
ところ:水島愛サロン
8月17日~19日の3日間、水島愛サロンで第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム倉敷大会が開かれ、初日の全体会には300人が参加しました。開会のあいさつや続いて、立石憲利(岡山民俗学会名誉理事長)が岡山県内の戦争にまつわる民話を紹介した後、記念講演が行われました。
全国から300人が参加した集会1日目
主催者挨拶をされた十菱駿武(じゅびししゅんぶ・戦争遺跡保存全国シンポ会長)さん
岡山の戦争にまつわる民話を話す立石憲利(亀島山地下工場を語り継ぐ会代表)さん
「ドイツの戦争遺跡―犠牲者に思いを馳せて」と題して、イェンス・クリスティアン・ヴァーグナー館長(ドイツ・チューリンゲン州・V2ロケット地下工場のあるミッテルバウ=ドーラ強制収容所記念館)が、「当時、負けが決まっていた戦争に転換点をもたらそうとしたナチスドイツはV2ロケットの開発を始めた。1943年の中頃のイギリスの空襲に伴って軍需産業を守るために、その一部を地下坑内に移転することを試みた。この地下工場は国内に多くある。1943年から1945年の間に、政治犯や捕虜など50万人の強制収容所の収容者が地下工場の拡張工事に従事させられた。そのモデルとなったのがドイツ・チューリンゲン州・ミッテルバウ=ドーラ強制収容所であり、6万人の囚人が地下工場の建設とロケット兵器の製造を強いられた。その労働は過酷なもので、木製の4段ベッドが地下工場に建てられ、労働者は昼夜2交代で作業にあたり、食事は粗末でトイレはドラム缶だった。その為に囚人たちは糞便が染みついた宿舎で休息を取ったが、工場ができるまでに2万人以上が死亡した。これをドーラの地獄として保存して、戦争犯罪を告発するために記念館が建てられた。問題なのは、こうした地下工場が戦後何十年も忘れ去られて、なかった事にされていた事実であり、ドイツは戦後の反省の中で今日の文化を築き、戦争の遺跡を歴史博物館や追悼の場、或いは歴史的な犯罪の証拠の場として地下工場を再建しているが、戦争犯罪を証拠立てる手段として、強制収容所や建築遺跡は特別の保護を必要としている」と話しました。
イェンス・クリスティアン・ヴァーグナー館長
戦争遺跡保存全国ネットの菊池実さんは、「何を残したいかは政治的な目的と重なる」として、保存の現状と課題を基調報告としてまとめました。
地元岡山県のからは、亀島山地下工場を語り継ぐ会の村田秀石さんが「亀島山地下工場の保存と活用をめざして」と題して地域報告を行いました。亀島山地下工場は1941年に、三菱重工業名古屋航空政策所岡山工場という巨大な軍需産業が建設され、従業員3万人で海軍一式陸上攻撃機513機と紫雷改9機を製作しました。そこでは朝鮮人による掘削工事と若い未熟練労働者による部品製造が行われていたことが分かっています。この工場跡も戦後40年が経過する中で保存と公開を求める運動がはじまり、50年を経過してはじめて碑が建てられました。現在は安全対策と市民公開を求める運動が進んでいます。
全国シンポは2日目に保存や調査、博物館としての継承課題などが報告され、3日目となる19日には現地見学会などが行われました。
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