カテゴリ 立憲デモクラシー
とき:2016年1月22日(金)18時30分~
ところ:岡山県総合福祉会館
1月22日、総がかり行動主催の立憲デモクラシーの会シンポジウムin岡山が総合福祉会館で開かれました。会場はいっぱいで、豪華講師2人の話を聞こうと市民が参加しました。デモクラシーの会代表の山口二郎代表も最後にあいさつされました。基調講演の1人目は「一億総活躍」思想の深層を探る・補論をテーマに石川健治さん(東京大学教授・憲法学)のお話です。イケメンの先生でカッコいい。個人とはどのような社会的存在なのか?全体の部分としての個人か?独立した主体としての個人かが問われています。憲法13条は個としての存在権を認めている。国家と個人のように主人との関係で生きる個人ではない自由権があること。自民党の憲法草案・一億総括社会は個としての考えがないと話しました。憲法は戦前の家制度を否定していることを条文毎に見て取れる。9条も基本的人権も憲法全体の骨格をなし、それだけ単独で存在しているわけじゃないと強調しました。知らない憲法学者や思想家の名前が次々に出てきて難しい話でしたが、言われていることは概ね理解したつもりです。
次に杉田敦さん(法政大学教授・政治学)は「憲法9条の削除、改定は必要か」として、憲法を変えた方がいいという議論と一字一句変えてはいけないという議論がある。変えた方がいいという主張する人の中には、安倍首相のような改憲勢力もあるが、9条について現実に合わせた方がいいとする意見、集団的自衛権を認めさせないように書き換えた方が良いとする考えがある。9条はすでに死んだ。自衛隊の存在は条文とかけ離れていることへの懸念が背景にある。しかし、自衛隊と軍隊は明確に違う。軍隊と警察も違う。警察は武器の使用に制限があるが軍隊は武器使用に制限がない。民間人は殺してはいけないなどの限定はあるが、原則に大きな違いがある。憲法は字面だけで判断できない。現状に合わせて変えようとするのは暴論であり、大阪の橋下氏のように、とりあえず変えて、だめならまた変えるというのも同じだ。憲法は歴史の文脈から考える必要があるというものだ。現実の問題から言えば、9条を変えるという議論は安倍政権の下で国民・市民の側から提起できても、政権の狙いからして彼らを利するだけだと話されました。
お二人の話はとても勉強になりました。改めて、今の運動でいいと確信しました。
基調講演の後はシンポジウムがあり、ママの会や岡山大学の学生も参加して憲法をどう考えていくのか?どうゆう存在としてその価値を知らせていくのかなどが議論となりました。緊急事態法に対する闘い方、政治を身近なものにする運動、騙されないこと、直観的におかしいと思ったら声を上げること、論拠を明らかにして訴えることの大切さなど語られました。
0 Comments | Posted by kiyoshi in 立憲デモクラシー