カテゴリ 市民のつどい
と き:2017年9月17日(日)10時~
ところ:岡山市勤労者福祉センター
私たちのまち・岡山を考える市民のつどいの2日目です。9月17日(日)は記念講演でした。講師は姜尚中(カンサンジュン)さんです。会場には300人以上が参加していっぱいです。姜氏は福島第1原発の爆発を契機に、全国各地を回って、エネルギーと貧困医について考えてきたと話しました。「福島第1原発、熊本の地震被災の現場、各政党、長崎県端島(軍艦島)、栃木県上都賀郡の足尾銅山の跡地、同じ港区でありながらホームレスの多い浜松町、阪神縄地大震災後の神戸、熊本県の水俣市、殺傷事件のあった相模原市緑区の障害者施設(津久井やまゆり園)、そしてご自身が生まれた日本一貧しい村である人吉市を紹介して、貧困とエネルギーの関係と日本人の思想形成の原点をインタビューした内容を通して考えてきた」とその経験を具体的に話しました。
「明治150年は来年だが、安倍首相は150年を祝いたいと考えている。お爺さんの佐藤栄作さんが100年だった。これからの日本を考えるとき、明治以降の歴史がどうだったのかを考えることは、何が起こるのかわからない現代を考えるうえでとても重要だ」とその意図を明かしました。
姜尚中さんの写真撮影は禁止でした。
明治150年では何がスローガンになるのか?「それは和魂洋才(わこんようさい)であり、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた 学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味で、今は暗く厳しいが日本には明かりがさしているという意味で、これは幕末の尊王攘夷、水戸学(常陸国水戸藩で形成された政治思想の学問であり、儒学思想を中心に、国学・史学・神道を結合させたもの)からきている。これがグローバル化のトレンドとして出てくるものであり、日本の精神は一つ」とするものだと説明しました。
写真はネットから拝借しました。
その上で、福島第1原発の爆発が投げかけたものは何であったのか、「国策としての人災とも言える原発事故に誰も責任をとろうとしていない。それだけでなく、NPTにも加盟していないインドに原発を輸出しようとしている問題を深刻に受け止めたい」と問題を投げかけました。足尾銅山や水俣を例に、日本は汚染や公害をコンクリートで覆ってなかったことにしている。貧困者がどこから来るのか?国策から来る貧困でありながら最後は立ち退くまで放置して、出ていくとビル建設が始まる。当時の問題は継承されないのが現実だ。阪神淡路大震災でも跡地にはビルが建ち、マンションが建つ。誰も震災の怖さを知らない。その人たちには避難訓練の大切さも理解されない」と日本政権が過去を継承する姿勢がないことに違和感を表しました。さらに貧困に対する偏見はどこから来るのか?との解明もされ、自業自得論の原型についても話は及びました。話は現代に戻り、北朝鮮のミサイル問題では何故飛ぶのか?「冷戦後、北朝鮮はアメリカから悪魔の枢軸と呼ばれてきました。孤立している北朝鮮は朝鮮戦争も終わらない中で核とミサイルにしがみつき、権威を誇示しようとしている。これまでアメリカと同盟を組んで来た日本にはミサイルは飛んでこなかった。そこまでの技術がなかったからだ。戦争はずーとあった。今もある。日本の米軍基地を攻撃しない保障はない。北朝鮮はその能力を持っている。防ぐには話し合いしかない。日本は対アメリカ戦争の主戦場になるだろう。日本は間を取り持つ必要がある」と政府のやり方を批判しました。
長くなりましたが、優しい口調で語った姜尚中の言葉からは、日本の政府の歴史を紐解きながらの体質とも言えるその歴史の流れに「思想的にも貧しい日本の姿」が見えました。日本人には、政府がつくりだした貧困と公害に対する差別と偏見、侮蔑の思想が植え付けられていることを自覚する必要があります。
0 Comments | Posted by kiyoshi in 姜尚中, 市民のつどい