岡山県労働組合会議

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連想分類語  朝日訴訟

とき:2014年10月16日(水)18時30分~

ところ:勤労者福祉センター4階大会議室

10月16日、生活保護基準の引き下げ反対裁判を支える会準備会が開かれました。

大西会長

朝日訴訟のリターンマッチとも言うべき裁判で第2ラウンドを始めることになりました。これ以上の福祉の後退は許されません。生活保護者の受給額の切り下げを許さない生存権裁判を闘う原告団は30人になった。大西生健会会長のあいさつや則武弁護士のミニ講演。原告の訴え、支える会の代表委員が選ばれました。県労会議も代表委員となりました。

則武弁護士

戦後69年、朝日訴訟開始から57年。日本の国民は憲法25条と朝日茂さんの闘いを忘れたかのように生活保護者のバッシングを始めた。それは大量の非正規労働者を生み出し、法人税の減税によって国の財源を乏しくした自公政権は膨大な借金を背負う政府となり、社会保障費を削り始めたことに起因します。政府は国民の欲求不満のはけ口を生活保護者に向け始めました。第2次安倍政権は露骨な生活保護制度批判を行いました。テレビの普及とマスコミの無批判な政権の言い分丸のみ報道が国民の不満に火を付けました。国民は生活保護者がさも不正をしているかのような錯覚に陥って、いまだにその悪夢は覚めていません。一部の生活保護者の生活ぶりを見て、政府の意図的な悪罵を信用したからです。国の失政によって仕事を奪われ、生活保護を余儀なくされた無念さなどを報道するマスコミはいません。国民が等しく同じモチベーションで働けるわけではない。仕事を失うと同時に貧困化する国民は多い。病気で働けなくなった労働者の無念さは辛く悲しい。そのために制度があります。雇用保険だって同じだ。日本人には生活保護受給者になることを嫌がる習慣があります。それには仕事ができればという前提があります。生活保護は憲法が保障した国民の権利だ。これが分からない国民は多いと思います。苦労せずに税金で暮らして遊んでいる。そう感じる人は多いのではないでしょうか?憲法が保障する最低限度の生活は税金で暮らす者に遊ぶことを許していないのか?そうではないでしょう。

歴史的言うなら、社会保障制度は貧困で食えなくなった国民が反逆しないように考え出された権力者の知恵でもあります。則武先生は生存権裁判の意義を3点に分けて離されました。政治が生んだ格差社会、ウソといかがわしい統計操作による強引な切り下げ、極貧生活しか許さない傲慢な制度変質、国民の権利を認めない政権の姿勢など社会保障制度を考える上でこの裁判は闘う側を鍛えずにはいないでしょう。「裁判をささえる会」が社会保障推進協議会の実践的闘いに発展することを願うものです。

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とき:2013年2月10日(日)13時30分~

ところ:県立図書館多目的ホール

概要

NPO朝日訴訟の会は2月10日(日)、第8回総会を開き約70名が参加しました。総会では記念講演が行われ、「朝日訴訟の遺品整理を終えて」と題して、会長の岩間一雄さんが遺品の特徴や訴訟の教訓を報告しました。

会を代表して挨拶をされる松岡副会長

また、第7回総会以降の活動として、①50回忌記念事業として、「墓誌建立」に取り組み、昨年12月14日に除幕式を終えたこと、②12年に朝日健二さんによる年間15回の講演が行われ、講演料の全額がNPO法人に寄付されたこと、③朝日訴訟の会が取り扱う手記「人間裁判」、DVD「人間裁判」の普及活動につとめ、手記18冊、DVDは36枚購入されたこと、④遺品の収集、整理がほぼ終えられ、保管してある資料は県のセンターに寄付することになっている、などを川谷事務局長が説明しました。岩間会長は講演の中で、1957年の提訴から1967年の最高裁「終了」判決までの10年に及ぶ裁判の中で、朝日さんは生存権裁判が個人の要求ではなく国民の様々な要求を実現するための運動だと信念をもっていたことや、栄養の補給が唯一の治療法だったが特効薬としてのストレプトマイシンが朝日さんにも使われていたことが明らかにしました。また、今日と同じように訴訟を中傷するはがきなども送られて来たが、朝日さんは弱いもの同士が足を引っ張らず、国民の要求を訴訟に結びつけようと訴えていたことなどを教訓として報告しました。

朝日茂さんの養子として講演などで活躍されている朝日健二さん

(総会で発言を求められて、生活保護の改悪に怒りをもめてお話しをされました)

討論の中で、当時、朝日さんの死体解剖に立ち会った水落理先生(岡山協立病院医師)が「朝日さんは腸結核で死亡したとされているが、腸に空いた穴はストレスによるものではなかったかとも考えられる。解剖所見を調べてみる必要がある」と発言されました。長い闘いの中で精神的にも疲れていた朝日さんの心情に寄り添う意見として参加者の注目を集めました。

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と き:2012年2月13日(月)18:00~

ところ:津山市・津山文化センター

概 要:

 

 1957年、朝日茂さんは日本国憲法25条の生存権を掲げ、「人間らしく生きる権利」を求めて国を提訴しました。この裁判は「人間裁判」と呼ばれ、社会保障運動の原点でもあります。朝日茂50回忌記念シンポジウムが朝日茂さんの命日の前日に開催され、100人を超える人たちが集まりました。

 シンポジストには大村英司さん(本行寺住職)、玉木陽一さん(津山市人権尊重の教育推進協議会事務局長・「つやま先人のあゆみ」編集責任者)、染山朝子さん(国立岡山療養所元看護師・現美咲町日本共産党町議会議員)、岩間一雄さん(NPO法人朝日訴訟の会会長・岡山大学名誉教授)の4人を迎えました。

大村英司さんは、「人間らしく生きる権利を真正面から問いかける裁判を、病床にありながらも闘い抜いた姿に多くの人が感動しました」と話し、墓誌建立について紹介しました。

玉木陽一さんは、「津山市役所では職員を対象にして人権教育を行っています。私は3年前に教育係を担当し、朝日茂さんについて紹介しました。人権教育が広まることを願っています」と話しました。

染山朝子さんは、「当時、国立岡山療養所に勤めていた私は入院していた朝日茂さんを看護しました。朝日茂さんは、日中は本を読んでいるか手紙を書いているかで、優しくて誠実な人でした」と朝日茂さんの人柄について話しました。

岩間一雄さんは、「朝日茂さんによる人間裁判は、当時の日本政府を動かした大運動です。その運動ができたのは、各人それぞれが尊重され、立場の違いを越えて連帯できたからこそだと思います」と話しました。

会場からは朝日茂さんの闘いを引き継ぎ、いま政府が行おうとしている社会保障の一体改革を許さないとの発言が相次ぎました。

 シンポジウム終了後、朝日訴訟の会第7回総会が開催されました。総会では、大増税と社会保障の全面的な切り捨てが計画され、福岡高裁で勝利した生存権裁判も最高裁での口頭弁論が決定されるなど予断を許さない状況にあります。あらためて憲法25条を暮らしに生かすという朝日茂さんの遺志を受け継ぎ、その精神の普及に努めることが目標として掲げられました。

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とき:2010年2月13日(土)10時~12時30分

ところ:ゆるびの舘

講演:石口俊一弁護士(広島生存権裁判弁護団長)

演題:「歴史的勝利判決から半世紀ー憲法25条は今ー」

  講演する石口弁護士

朝日訴訟が社会保障における裁判の基礎になっていることや、社会保障制度の前進のためには一つひとつの裁判で、裁判官が憲法に則して、政府の後ろ向きの見解を覆すことが大切だ。例え、裁判に負けても社会保障制度を発展させることができるとさまざまな裁判例でお話しされました。また、障害者の方や生活保護の裁判が如何に原告の困難を伴うものであるかを説明されました。憲法9条の会の運動などもされ、学生時代の先輩が裁判官をされているなど、現場でのポーカーフェイスにもかかわらず絆があり、社会保障制度の前進に手応えを感じているなどのお話はユニークでした。

いつも総会に出席され、自身の講演料なども法人にカンパされている朝日健二さん。

東京から総会に駆けつけてくださった小川政亮先生(日本社会事業大学名誉教授)

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