岡山県労働組合会議

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連想分類語  子育て教育のつどい

とき:2014年4月27日(日)10時~16時

ところ:おかやま西川原プラザ

4月27日(日)、子育て・教育のつどい2014がおかやま西川原プラザで開かれ、約80名が参加しました。

午前中は教科書や子どものこと、教員の働き方、学力テスト、障害児支援など5つの分科会で議論がされた後、午後からは「家族力が子どもを育てる」を演題に、団士郎さん(立命館大学大学院教授)が講演しました。

    教科書問題の分科会

第1分科会「教科書のあり方を考える」では、少人数ながら小出隆司さん(子どもと教科書岡山県ネット21)の問題提起を受けて熱心な討論が行われました。歴史の真実を捻じ曲げる安倍政権お勧めの歴史教科書「育鵬社」と、これに対して歴史に忠実で多くの学校で採用されている「東京教科書」との違い、首長と教育委員会の権限を強めながら、採択委員会に校長の意向に沿った教師が送りこまれ、教科書を決めている実態が報告されました。2007年の教科書をめぐってすでに攻防が始まっている。実際に現場の教員でないと100冊以上もある教科書会社から選ぶことは困難であり、結論ありきの委員会となっていることは明白として、どうやって跳ね返す運動を展開するのかが議論となりました。その一つとして、「教育問題が教員任せになっている」との指摘が注目されました。

     難波実行委員長の挨拶

午後から始まった団士郎さんの講演では、「人が育って、独立していく場としての家族は他人と暮らす能力が求められる」として、団さんは自らの経験をもとに「家族はどうしたらうまくやっていけるのか、子どもをきちんと育てたからといってうまくいくとは限らない」と切り出しました。長く家族心理臨床に携わった経験から、「何かあった時に専門家が必要な生き方はダメ。自分で治癒する能力が求められる。医療のような処方箋はない」と述べ、専門家の意見は役に立たない、と意外とも言える結論から話は始まりました。「家族には不合理なことがいっぱいある。うまくいっているようでも震災に会えば一変する。条件によって幸せは決まらない。合理的で幸せそうに見えても離婚などの話はいっぱいある。家族の幸せに因果関係はない。誰が悪いかを問題にせず、上手くいかないなら変更する勇気を持つことだ。キズを追わずに生きて来た人はいない」と大学の授業で学生からも学んだ経験を紹介し、自ら描いた漫画と事例に沿ったストーリーで分かりやすく説明しました。

   田中事務局長の報告

 講演をする団士郎さん(立命館大学大学院教授)

団さんは、まとめ的な話の中で「長年の家族関係に難題を抱えていると思っている人は主観が多い。小さな行動が伴ってきた変化は言い方の変化で書き換えが必ず起こる。反対に何かにこだわり、マイナス面語ることは何かを縛り、強化することになる」としながら、上手くいく方法もあるとして、主観に陥らず、こだわらず、変更する生き方を勧めました。

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とき:2013年5月19日(日)10時~16時30分

ところ:おかやま西川プラザ

5月19日(日)子育て・教育のつどい実行委員会は、おかやま西川原プラザで2013年のつどいを開催し、130人が参加して熱心な討論を行いました。難波一夫会長が「歴史を逆行させる動きがある。侵略戦争の時代に戻してはならない。子ども達から今の情勢をどう学ぶかが問われている」とあいさつし、田中博事務局長が基調報告を行いました。

難波一夫会長

田中事務局長

午前中は小野田正利さん(大阪大学大学院教授)が「イチャモンを超えて」と題して講演しました。唐草模様の背広姿に軽妙な話しぶり、大きな声。大きなプレート文字で判り易く話のテーマを見せながらの話は、参加者を笑いと納得の世界に引き込みました。

唐草模様の背広が似合う小野田先生

 先生は学校現場では「うつ、飲む、買う」の教師が増え、苦情を言ってくる親御さんをモンスター扱いして向き合わなくなっているとして、先生の「イチャモン研究」から問題解決の方向性を示しました。そして、「うつとは鬱病、飲むとはビタミン剤や薬のこと、買うとは学校をやめるために生活の保障として宝くじを買うことだ」と説明しました。

講演のレジメはないが書いたものを読んで欲しいと話す先生

 近年の研究から「満足基準と期待水準が急上昇している」として、ここにイラつきや不満が募る原因があると強調し、その具体例として、列車の定刻発着やコンビニのレジ対応を例に話しました。例えば、岡山と熊本にはレジスターが4台もあるコンビニがあり、お客さんを待たせないシステムがあるがこれは過剰防衛であり、そこまでやる必要はない。少しくらい並んでもらうことがあってよい」と話しました。「過剰防衛は相手にモノを言わせない手法であり、モンスター扱いをすると、予防線を張ることになり、問題解決ができないだけでない。相手の誤解を解けないだけでなく、悩みや苦しみからも解消されない」と説明しました。予防線を張る具体例として、宣伝広告に小さく書かれている「イメージです。個人の意見です。感想です」などがあるが、こうゆう世界が教育界にも広がっているとしました。

背中には「ちょっと疲れています」と書いてありました。

次に、イチャモン研究の立場から、「このままでは目の前にチラつくものを叩く活力のない社会となり、社会全体が押しつぶされ、ものが自由に言えなくなるのでは?」と疑問を投げかけました。「寛容性や許容範囲が狭くなっている。子どもには生きづらい社会だ」と話し、少子化を例に取り上げました。「少子化は平均値であり、子どもの居ない家庭を含めると家庭の子ども数が極端に少なくなる。それは子どもに接する機会が少ない人がいることを表していて、子どもの行為に対する寛容性が低い。極端な例だが東京では、ここで子供は遊ぶな、と書いてある公園がある。子どもはどこで遊べばいいのか?大学生にも公道に大学生の通行禁止、と書かれている張り紙がある。つまり、子どもの行動や学生のおしゃべりが我慢できない人がいるということであり、経験不足や人との関係が希薄になっていることを示している。子どもが身近になっていない。教育会では子どもへの非難は親への非難と受け止められ、自己中心ではなく、自子中心主義だ」と説明しました。現代の社会では、「お金を払った以上、見返りを求める現象が広がっている」として、子どもの自立や成長を助けることがおろそかになっていると話しました。大学では、卒業式などで親が大挙して押しかける現象が止まらず、学年別に卒業式をするとか大きな体育館を借りるなどの対応が求められている。子どもの自立や自信をどう付けるか、子どもを伸ばすという発想がない。深刻なのは「子どもと席を同じにしてくれ」という要求さえ出ていると話しました。そうした親に対応するため、「大学はIT産業化して、至れり尽くせり(IT)の世界に変貌している」と話しました。

こうした学校や社会の寛容性が問題となる現象を解決するためには、「おせっかいが自然体でできる社会に変える必要がある」としました。また、「子どものすることにはワケがあり、違った結論がある」として、学校に一方的な要求を突きつける親に対しては子どもの情報(学校現場で頑張っている様子)を知らせることで問題解決につながるケースがあると説明しました。「おせっかい」は一見、無関係な中でもどうゆう行為が求められるかであり、バスや電車で子供連れの親子が居れば、赤ちゃんに「いない、いないばぁー」と話しかける「おせっかいさ」がいいのではないかと勧めました。子供にとって程よいアタッチメントや外界からの刺激が必要であり、成長に欠かせないと話しました。子どもが無関係の他人から褒められる関係があるのかどうかがポイントだとしました。

無関係の同席者に声を掛けることも安心感が生まれる関係として必要だと話しました。小野田先生は新幹線の中でも同席した人に「何処に行きますか?みかん食べますか?」などと「おせっかいな」な声かけをしていると話しました。

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