岡山県労働組合会議

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カテゴリ   地域人権研究集会

とき:2017年11月17日~18日

ところ:名古屋市・ウィルあいち、ウィンクあいち

第13回地域人権問題全国研究集会が11月17日から2日間、名古屋市内で開かれました。全体集会は850人で会場がいっぱいとなり、岡山からは73人が参加をして分科会でも熱心な討論を行いました。

集会では全国人権連・丹波正史議長が水平社創立から96年の歴史を振り返り、部落解放の運動が分裂と発展の中でも部落問題全国研究集会が果たしてきた歴史的成果を整理して、①研究集会として当事者が人権と民主主義の大切さを広げたこと、②差別を生む新しい要因を克服する重要な役割を果たしたこと、③部落問題を解決する理論と政策の発展に尽力し解決への主体を形成したとまとめました。さらに、全国研究集会は2004年から名称を変えて開催してきたが、第13回目のこの集会は憲法の平和と人権、民主主義の理念と制度を国民共同の営みの中で擁護・発展させること、部落問題解決の逆流となる「部落差別の解消の推進に関する法律」を発動させない運動と地域人権憲章の実現が求められていると挨拶しました。

新井直樹事務局長は「憲法が生きる地域社会に」と基調報告を行いました。報告では情勢に触れて、「自民党は国が人権を管理するものへと憲法改悪を狙っている」として、それと軌を一にして「部落差別解消法」が成立した。深刻な国民各層の人権問題から目をそらさせるために、部落問題が存在するかのような虚構に立ってその解消を国や自治体に強要している。解消法の乱用を防ぐ運動と世論を広げようと訴えました。

講演は2本行われ、一つは奥山峰夫先生(元大阪経済法科大学教授)の「部落差別解消推進法の差別認識について」のお話です。奥山先生は「推進法は部落差別とは何かの定義もないままに成立した。それだけでなく、何ら具体的なデータを示すことなく部落差別が今も存在するがごとく、解決に至っていないと断定している」と推進法の誤りを指摘しました。その上で、最近刊行され新聞でも取り上げられた斎藤直子氏の「結婚差別の社会学」に触れ、「部落を超えた結婚が増加している中で、出会うチャンスの増大が、結婚差別の増加を生み出しているとしているが、データは差別体験のない人が多数であるにも関わらず、分析の視野に入っていない。これでは木を見て森を見ない議論だ」と論評しました。先生は戦前・戦後の婚姻をめぐる事例を紹介しながら、「部落を超えた結婚が増大し、こだわらなくなっている流れが見て取れる」と話しました。婚姻は社会的な問題だが、今後何年立っても「結婚差別」が発生するだろう。「結婚後に勘当され、仲を引き裂かれる悲劇はほとんどなくない。差別などとことさら問題を拡張するのではなく、市民社会の成熟に待つべき問題だ」と差別認識の誤りを指摘しました。

2本目の講演は小森陽一先生(東京大学教授・9条の会事務局長)の「憲法施行70年と夏目漱石誕生150年」をテーマとするお話です。

小森先生は「憲法施行70年になるが皆さんは公布分を読んだことがありますか?」と問いかけ、「1946年11月3日、日本の憲法は朕(天皇の一人称)によって公布された。大日本帝国議会に於いて、新しい憲法が昭和天皇によって公布された日だ」と説明しました。それは東京裁判にかけられずに済んだ天皇がその戦争責任を逃れるための公布であり、憲法が施行された5月3日は「そうしないと決めた」東京裁判が開かれた日だと強調しました。「戦犯として東条英機が処刑された12月23日は天皇・昭仁の誕生日だったことを忘れてはいけない。天皇は誕生日を見返る度に戦争責任を自覚することになり、マッカーサーの戦後処理の仕組みが見て取れる」と戦後、無血革命とされた歴史を振り返りました。

小森先生はその上で「夏目漱石がエッセイや小説の中で軍国主義と戦争がどういうものであったかを書いている。検閲の厳しい社会の中で漱石が巧妙な仕掛け・作風の中に作家としての才能を見ることができる」としました。さらに、漱石が反戦家として、「書かずに読者に読ませる技法」を持ちながら、「軍国主義を私たちはなくすことができるのか?」と問いかけた作家としての言葉に私たちは答を出しているのか?と投げかけました。

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とき:2017年2月4日(土)10時から

ところ:岡山市勤労者福祉センター

集会は2017年地域人権研究集会

冒頭、小畑氏は「アベ政治とは何が問題なのか?人権というテーマがいつまで続くのか?憲法を暮らしと政治に生かすというテーマを掲げてきた研究集会の目的にどうゆう意味があるのか?そこには人権の立場から改憲に反対するという共通の目標があり、政治を動かすことを中心的なテーマとしてやってきた研究集会が意味を持つ」と語り始めました。

安倍政権は20014年7月12日に第2次政権として発足した。その政権は2015年9月19日に戦争法を強行採決した。それを契機に、戦後の日本における新しい政治参加のスタイルが起こり始めた。さらに立憲主義いう言葉が運動とともに広がり展開されてきた。

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憲法を政治に生かすとは立憲主義を確立することだ。憲法は誰が制定し誰が守るのか?何が憲法に書いてあるのか?それは国会、内閣、裁判所という3権分立の原則と国家統治の社会の仕組みだ。国民が権力者に3つの権力を託し、権限を運用するように書いてあるのが憲法。共通のスローガンは、国民が基本的人権を守るために権力者にその仕事をさせることだ。そのために定めたルールが憲法だ。立憲主義の発展とその主体とは何か?国民主権とは何か?国家の中では国家権力を持っていない人が大部分だ。憲法を守らせるよう、戦争法以来、絶えず働きかけ権力者に求める運動が発展してきた。国民はその認識を広げてきた。立憲主義を求める運動は、アベ政治を許さない運動や認識、運動を大きく前進させてきた。

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アベ政治を許さない運動は野党共闘を求めた。政治家に政治をさせるために。

2017年米国トランプ政権が誕生した。イスラム諸国とアフリカの7ヵ国からの入国禁止の大統領令が出されたことでワシントン州の司法長官が憲法違反だと言い出した。それはトランプ氏が立憲主義を踏みにじる大統領だからだ。国内に分断と憎しみを持ち込んでいる。個人の尊厳を踏みにじり、世界にも分断と格差を持ち込んだ。一方で日本のアベ政権は強力なアメリカの暴走政治を支持。世界に拡大しようとしている。個人的に親近感を持とうとしているが大変なことになる。自衛隊の演習問題も米軍岩国基地から日本原に拡大しようとしている。軍事問題になったらどうなるのか?

アベ政治を許さないという市民と野党の共闘の上で沖縄は大きなテーマになる。連帯の課題としてオール岡山をつくることだ。政党も野党も沖縄はオール沖縄をつくり早くから運動を展開してきた。市議会も県議会でも大きな運動となっている。それでも基地問題は政府の強硬姿勢の下で厳しい状況になっていることに変わりはない。

2013年12月27日、仲井真元知事は埋め立てを許可した。その後埋め立て申請を取り消す運動が始まり翁長知事は2015年12月23日、許可の取り下げを決定した。裁判が行われ12月20日に最高裁判決で棄却され、取り消しは取り消された。翁長知事はその後、県知事の権限を使って闘うと表明した。

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アベ政治を許さないという視点で沖縄から見ることが重要だ。翁長知事はどう言っているのか?彼は2015年12月に「闘う民意」を出版している。アベ政権の「美しい国」と読み比べてみると、どちらが総理にふさわしいかがよくわかる。翁長さんは沖縄の先頭に立っている。それは革新派というレベルの運動ではない。しっかりとした政治理念を持っている。 アメリカ追随で良いのかが問われている。翁長知事は保守派の政治家であり、自民党沖縄県連の事務局長や那覇市長を4年間勤め、仲井真元知事の選挙参謀までやった人。革新市政32年間の中で保守が奪い返して市長になったのが翁長氏だ。相当な保守だ。大田知事を引きずり降ろしたのも翁長氏だった。それが保守も含めた政治改革が起こっている。革新政権時代は異民族支配の中での人権の闘いだった。それに対して保守は生活の闘いをした。つまり暮らせるようにすることだった。

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かつての保守の政治家は会話ができたと翁長氏は言っている。2000年以前の自民党政治は沖縄の話をよく聞いてくれた。ところが1995年に少女暴行事件が起きた。普天間基地の移転に日米が合意して移転は15年間の使用期限が付いた。ところがこれをひっくり返したのが小泉内閣だ。1999年に閣議決定で廃止にした。期限のない移設となった。永久的で独占的、強化された基地として移設されることになった。しかも地元の自民党に説明もなく、相談もなしに。アベ首相、菅官房長官が無条件の基地移設を決めた。翁長知事はこれまでの自民党にはない冷たさや官僚的で一方的な政治に反発した。アベ政権の特徴だが、美しい国という本の中に沖縄という文字は一回だけ出てくる。それは特攻の遺書に出てくる一言だけだ。沖縄が犠牲になることであり、沖縄県民のことなどまったく考えていないことが分かる。これが反アベへと転身させた。翁長氏には今までの基地問題と違う認識がある。翁長氏は辺野古基地の特異性を次のように言っている。今までの基地は占領下で強制的に住民を隔離して、拳銃を押し付け、ブルドーザーでつくられた。今は日本政府の意思で基地をつくり米軍に提供しようと知っている。沖縄がかわいそうでは済まされない問題だ。国家の意思は国有地であり、あくまで共同利用だ。本土に対して沖縄には米軍基地の74%が集中している。今度は一緒に闘ってくれというのが翁長氏の気持ちだろう。

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オールジャパンとオール沖縄。オールジャパンは一緒に闘ってくれるのか?という翁長氏の見方がある。オール沖縄は沖縄をないがしろにすることへの対抗策としてつくられた。オール沖縄をオールジャパンにする要は何か?沖縄だけじゃなく本土も同じようになるという意識であり、沖縄だけの特殊の話ではないという認識だ。

アベ政治とは何か?それは堕落した政治だ。これまで沖縄は自ら基地を提供したことはないという翁長知事の言葉に象徴されるように、強権的、脅迫的、問答無用、粛々と、丁寧に説明と言いながらその実していない。双方が会っても中身はなく歩み寄ることもない。質問には答えないアリバイ政治、空手形の政治、札束でホッペを叩く政治、究極の無責任政治であり、民意無視だ。政府は沖縄県民の民意を代表していると言えるのか?

オール沖縄の闘いをオールジャパンの闘いに発展させる必然性がここにある。私たちの経験と闘いいに希望を見出すと。

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最後に中野晃一(上智大学)の言葉を紹介しています。個人の尊厳に対するリスペクトとして、ぜいたく品としての権利ではなく平等性のある国にしていかないと、今後の世界で競争力を持ち、新しいアイデアが生まれてくるような経済社会はつくれない。「人権では飯が食えない」ではなく、「人権を大切にしないと飯が食えませんよ」と教えてあげないといけないのです。

 

*以上の文章は私が講演を聞き、自分なりにまとめたもので必ずしも小畑氏の講演内容と一致するものではありません。

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