岡山県労働組合会議

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5.3輝け!日本国憲法集会岡山県民のつどい

と き:2018年5月3日(水)13時30分~

ところ:岡山市市民文化ホール

5月3日(木・祝)、輝け!日本国憲法!集会岡山県民のつどいが開かれました。42回目になります。始めたのは 1977年です。。憲法施行30周年の記念集会として開かれたのが始まりでした。今回は400人が参加したそうです。例年通り、詩人会議の詩の朗読、合唱団による2曲の合唱、改憲反対の運動に取り組まれている団体の訴えの後、白井聡氏(京都精華大学人文学部)による講演が行われました。先生の著書に「永続敗戦論」「戦後の墓碑銘」「「国体論―菊と星条旗」などがありますが、先生の問題提起は平和主義の空洞化です。護憲派と改憲派に分かれた戦後の闘いの中で私たちは本当に9条を支えてきたのか?と問題提起。それは日米安保に規定された平和ではなかったのか?現実を直視して運動をバージョンアップしようと呼びかけでした。

白井先生は戦後の日本は天皇制時代と同じであり、現実の政治はアメリカという存在が親米保守の世界を形づくり、天皇の如き存在になっているとしました。これはちょっとショッキングな投げかけでした。というよりは気付かされました。外交の文書を見ると我が国の方針は日米同盟がすべてです。同盟の強化が日本の繁栄をもたらすかのような表現に溢れています。したがって、北朝鮮の問題も日米圧力路線の成果だと自画自賛。アメリカとの絆は絶対的な条件であり、常に付き従う政権と国民の意識がある。これは普通に考えればおかしなことだが、おかしいと思わない不思議さがある。トランプと安倍首相のゴルフ外交を見れば「恥知らず」としか言いようがないと話しを進めました。

戦後の人たちは「戦前の人たちは何故戦争に反対の声を上げなかったのか?」と聞くことがあるが、逆に戦後の日本は「アメリカを頂点とした日本であり、天皇制の2度目の崩壊期が来ている」と「憲法と永続敗戦論」を展開しました。さらに、①実は敗戦後という言い方は生ぬるい。日本は敗戦も認めず、未だに終戦と言っている。原発も同じ構図であり、故事が続いていることを認めていない。戦争を清算していない社会システムが温存している。②その結果として対米従属を無制限に続けている。属国化されていることを理解していない。自覚されていたならここまで変な事にはならないだろう。異様な卑屈さがある。敗戦の不認であり、負けたことを認めていない。現実を認めていない。だから終戦と言い続けている。戦争を自然災害のように考え不幸な出来事があったかのように考えている。これは自己変革する必要がある。このシステムの温存が永続敗戦だと話しました。

憲法に関わって、9条は天皇を利用するための条文だった。戦後の占領政策を続けるためには、連合国による天皇の戦争責任が問われる前に、マッカーサーが仕組んだものは天王を無力化したと思わせる条文だった。しかし戦力の放棄とアメリカの占領政策は矛盾する。軍隊を本土ではなく沖縄に駐留させることで誤魔化した。冷戦時代はソ連という敵がいてそれでもよかったが、ソ連が崩壊すると駐留する理由がなくなる。日米同盟は天皇にとって代わり、政府は情緒的な言葉で日米関係を飾り始めた。きずな、思いやり予算などの言葉で親密で、臣民を愛してくれる天皇の如く、従属国である日本はアメリカに愛される国にすり替えられた。押し付け憲法という戦後レジュームからの脱却は実は脱却にあらず。本音ではアメリカの軍事化を支える国でありながら、憲法上は平和国家であり、平和主義の空洞化・崩壊が現実的な見方だと説明しました。安保条約や日米同盟が憲法を上回っているとしました。

白井先生は最近、違憲という言葉が軽くなっている。違憲な法律がまかり通り、日本人は憲法違反に慣れてきて、法治国家としての基盤も壊れてきた。一方で9条が戦後のナショナリズムを形成してきた。それは国連が機能して戦争が無くなる環境が生まれる可能性があったからだ。私たちは歴史を学び、バージョンアップすれば安倍政権に対抗できると強調しました。

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