岡山県労働組合会議

はい、岡山県労会議です。086-221-0133

月別 2011年8月

と き:2011年8月7日~9日

ところ:長崎市民会館体育館・文化ホール

概 要:

8月7日から9日の3日間、原水爆禁止世界大会の本大会が長崎で開催されました。長崎大会には7800人が参加し、会場は盛り上がりを見せました。

7日の開会総会では、うたごえのみなさんによる「原爆を許すまじ」の合唱が行われました。また、開会総会執行議長である全日本民医連の藤末守さんは「東日本大震災による被災地でも核兵器禁止・廃絶、自然エネルギーへの転換を求めて平和行進が行われました。被災者本位の復興。福島原発事故からの1日も早い収束と自然エネルギーへの転換を求めともに連帯しましょう」と参加者に呼びかけました。

 長崎市長は、「東日本大震災に続く原発事故はノーモアヒバクシャを訴え続ける長崎市民に大きなショックを与えました。なぜ被爆国である日本で再び放射能による悲劇が繰り返されたのか私自身疑問でなりません」とし、「原発は絶対に安全であるという安全神話が国民を思考停止に状態にしていたとするなら、核兵器は使われないという神話があり、世界の多くの人々を思考停止にしているのではないでしょうか。福島原発事故のように取り返しのつかない状況になってからでは遅いのです」と会場に訴えました。

その後、被爆者からの訴え、国連・政府代表者の発言が続きました。大会参加者は「社会動かす力の根源は人間一人ひとりです。私たちの運動は小さいかもしれませんが、決して無力ではないのだ」と連帯を強めました。

2日目は各分科会に分かれて集会が行われました。青年企画として「青年のひろば」が開催されました。全国から100人を超える青年が参加し、パネルディスカッションと被爆者訪問に分かれて学習を行いました。パネルディスカッションでは岡山県から竹永さん、東京から新屋さん、ノルウェーからラースさんをゲストして、討論形式で集会が進みました。

竹永さんはユーモアを交えながら、「あるとき祖母から、広島で原爆に合い、被ばくした事実を聞かされ、自分が被ばく三世であると知りました。何かしなければならいと思い、平和行進に県内通し行進者として参加しました。それ以降、平和活動に取り組みようになりました」と話しました。新屋さんは、「世界大会に初めて参加し、被爆者の話を初めて聞きました。そのとき被爆者の方と戦争をなくすこと、あらゆる兵器をなくすことを約束しました」と話し、「昨年NPT再検討会議に参加し、パンギムンさんの話を直接聞くことができ、あなた方の力が必要ですと言われたときに自分が必要とされていると思ったことが平和活動に参加するきっかけになりました」と述べました。ラースさんは、「今回初めて世界大会に参加しましたが、青年が多いことにとても驚かされました。私が所属している核兵器廃絶を目指す団体では、青年を対象としたコンサートを開き、核兵器の廃絶を訴えたりしています」と話しました。

参加者から「どうしたら青年が平和運動に関心を抱いてくれるのか」という質問が出され、竹永さんは、「みんな色々なところで色々なことに取り組んでいます。活動をしているのは自分だけではありません。肩の力を抜いて、目の前のことを一つひとつ積み上げることが運動を広げていくと思います」と話し参加者から共感を得ました。

今回「青年のひろば」に参加し、青年の多さに驚きました。また、青年同士の交流を通して各団体の取り組みを聞くことで、いい刺激を受けることが出来たのではないでしょうか。

 3日目の閉会総会では、被爆者、各被害者が、「私たち被爆者は被爆者として生きていくしかありません。被爆国である日本で、原発事故によって再び悲劇が繰り返されたことは本当にショックです」と訴えました。

東日本大震災による被災地からは、「東日本大震災からの復興にはみなさんの協力が不可欠です」、「原発・核兵器に依存しない世界を作りましょう」との訴えには、盛んな拍手が起こりました。

原発とエネルギーの問題について愛媛大学伊方原発を考える会の中山さんから訴えがありました。中山さんは、「私は長崎で生まれ育ち、原爆を中心とした平和教育を受け、核兵器・戦争は絶対に許せないと思ってきました。しかし、原発に関しては怖いけど仕方がないと思っていました。これは私個人の意見ではなくい若者全体の意見ではないでしょうか。若者は今、原発は怖い。しかし、原発がなければ生きられないのではないかというジレンマの中に生きています。このジレンマを突破するには真実を知ることです」とし、「私たちは原発立地県として伊方原発を考える会を発足しました。学習を重ねていく中で、今の人間の技術では原発は使えないこと。自然エネルギーを最大限に活用していくことが今の現実には則していることを知りました。一部の人の利益を優先するのではなく、精一杯生きている私たち国民を守る社会をつくりましょう」と力強く話し、会場からエールが送られました。

フィナーレでは参加者全員で「We shall overcome」を合唱しました。

今回の世界大会には被災地からも多数の人が参加していました。核兵器廃絶、戦争のない平和な世界を求める思いを共有すると同時に、被災地に連帯した大会になったのではないでしょうか。

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と き:2011年8月5日~6日

ところ:広島県立総合体育館・グリーンアリーナ

概 要: 

 8月5日から6日の2日間、Peace Peace おかやまを通じて47人の青年が水爆禁止世界大会・広島大会に参加しました。

気分は遠足(笑)

被爆者証言を聞く会が開かれ、各県から合わせて100人以上の青年が集結しました。

松尾さん、中西さん、森本さんの3人から当時の惨状を話してもらいました。

中西さんは決して忘れることのできない経験として、「必死の思いで逃げていると瓦礫の下から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。顔は火傷により黒い風船のようになっていました。名前を聞くとなんと私の同級生で友達でした。私にはどうすることもできずその場を離れました」と話しました。

松尾さんは、「爆風で飛ばされ気が付いたら瓦礫の下でした。やっとの思いで這い出た私は、瓦礫の下に残された子供の救助に回りました。しかし、火の手が回ってきたので子供を残して逃げなければならなくなりました。これはとても辛いことでした」と涙ながらに話しました。

森本さんは、「何万人という人が原爆で亡くなりました。日本は被爆国として核兵器廃絶運動の先頭にいます。にもかかわらずどうして原発が日本にあるのか理解ができません」と訴えました。

また、原爆による被ばく患者にたいする差別について松尾さんは、「包帯を巻いて仕事をしていましたが、病気が移ると言われその場を退かなければならなくなりました。親しい友人はこっそりと食事をもってきてくれたりしましたがとても辛かったです」と話しました。

青年からは、「実際に話を聞いたことを忘れずに、運動につなげなければならない」、「原爆が投下された事実を伝えていかなければいけない」などの感想がありました。

 その後、平和委員会の谷口さんを先頭として、原爆碑めぐりを行いました。

案内をする岡山県平和委員会の谷口朋美さん

 翌日、原水爆禁止世界大会・広島デーが開催されました。各国で核兵器廃絶運動に取り組んでいる団体の代表者から発言があり、「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアヒバクシャ」と決意を改めました。

参加した青年は、「貴重な経験になりました。平和に対する意識を高めることができました」、「世界各地での運動を知ることが出来て感動しました」との声がありました。

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とき:2011年8月10日(水)7時45分~

ところ:岡山駅ビックカメラ前

概要:

震災後5カ月が来ようとしています。8月10日の朝7時45分、県労会議は定例の早朝宣伝を行い11名が参加しました。原水爆禁止世界大会や記念式典が行われた直後でもあり、県労会議の核兵器禁止の運動を紹介しながら、昨年5月にNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議で確認された核兵器廃絶のための確かな実行を求めて、署名運動に取り組んできたことを報告しました。広島大会では、福島原発事故による核の被害と同じように、世界では、核実験や原発に伴う放射能汚染に苦しむ人達がいること、核の使用を止めたいと活動する人達との連帯が確認されたことなどを報告しました。

続いて、話は震災地域の復興をテーマに取り上げて、最賃額の引き上げを訴えました。7月27日に中央最賃の答申が出されましたが、平均4円、岡山は1円の答申でした。これは、震災を理由に経営難を主張して最賃の引き上げに反対した使用者側委員に引きずられた結果です。震災地域では賃金が安すぎて生活改善ができる余裕がないと訴えました。岡山は昨年13円引き上げられ、その額を683円としましたが、これではせっかく最賃の底上げで景気浮上と生活改善をはかるとした約束を反故にされたとしか言いようがありません。論戦は地方最賃に移っていますが、県民の生活の実態を考えれば最賃委員の役割は大変重要です。特に労働者側委員に期待したいと思います。

早朝から大変暑い日でした。終戦記念日が近くなってきましたが、震災直後の街は原爆投下の日と同じ風景を想像した、という人が多いかったことを思い出します。二度と戦争はしないこと、そして政治の役割が国民生活を守ることにあると痛感する宣伝日となりました。

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とき:2011年8月3日~5日

ところ:広島県広島市文化交流会館3階銀河

概要:

8月3日から3日間、日本原水協による原水爆禁止2011年世界大会国際会議が開かれました。

紹介される海外代表

初日には海外代表を含め250人が参加して討論がなされ、最終日には、核兵器禁止条約の即時交渉開始を求める宣言が採択されて閉幕しました。

潘基文国連事務総長のメッセージを代読するセルジオ・ドォアルテ国連軍縮上級代表

潘基文国連事務総長のメッセージはココ2011.8.5潘基文国連事務総長のメッセージ

採択された国際会議宣言はココ2011.8.5国際会議宣言

5日の最終日には、セルジオ・ドォアルテ国連軍縮担当上級代表が参加をして。潘基文国連事務総長のメッセージを代読すると同時に、会場からの質問にも応え、「軍縮問題に関する皆さんの運動に敬意を表する」と述べました。国際会議会場では「福島の原発事故を踏まえて、原子力技術の未熟さと危険性が明らかになった」(デイブ・ウェブ・イギリス・核軍縮キャンペーンCND議長)とする発言や、「原子力を地球規模で段階的に廃止すれば、核兵器廃絶の力になる」とする海外代表の(ティム・ライト・核兵器廃絶国際キャンペーンオーストラリア担当理事)の発言に共感の拍手が響きました。度々、日本を訪問しているジョゼフ・ガーソン(アメリカフレンズ奉仕委員会)さんは、「米国政府が日本を苦しめていることに怒りを感じている」としながら、「核廃絶条約の交渉を勝ち取るチャンスは軍事費を減らそうとする社会運動の中にあり、これまでの活動領域を超えて核廃絶の緊急性について教育活動を行っている」と話しました。また、マリオン・キュプカー(ドイツ平和協会・戦争抵抗者同盟国際コーディネーター)さんは、「ドイツのビュヒェル核兵器配備基地にはアメリカの核爆弾が20発配備されている。2010年までに核兵器のないドイツをスローガンに核爆弾の撤去キャンペーンンを繰り広げてきた。ドイツ連邦会議では核爆弾撤去賛成の決議が全会一致で採択された。福島原発事故は原子力論争にも転機をもたらした」と述べました。

中尾元重岡山原水協代表理事と片寄直行松江市議

片寄市議は島根原発の稼働停止・廃止を求めて発言しました。

伊原県労会議事務局長と片寄市議(実は学生時代の先輩になります)

3日の初日に主催者を代表して日本原水協代表理事の沢田昭二さんが、「核兵器全面禁止のアピール国際署名に、潘基文国連事務総長と世界各国首相、ノーベル平和賞受賞者をはじめ、国内1000人以上の自治体首長・議長が賛同している。昨年12月の国連総会では核兵器禁止条約の交渉開始を求めるマレーシア提案に加盟国の3分の2が賛成した。核兵器を持つわずかな国が決断すれば交渉は今すぐ開始できる。福島第一原発事故で大量の放射能汚染が懸念されている。原発から撤退して核エネルギーの誤った使用から人類を解放しなければならない」と挨拶しました。

日本原水協代表理事・沢田昭二さん

被爆者を代表して日本被団協事務局次長の児玉三智子さんは、「広島の被爆者だ。娘を昨年がんで亡くした。原爆の被害は66年を経過した今でも被爆者を苦しめている。被爆者の証言に耳を傾けて周りの人に話してほしい」と訴えました。

日本被団協事務局次長・児玉三智子さん

松井一実広島市長は、「こころから歓迎する。核廃絶のために平和市長会議に加盟する4800を超える市と連携して2020年までの核兵器廃絶に向けて全力をあげる」と歓迎の挨拶を送りました。

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と き:2011年7月30日(土)~31日(日)

ところ:広島県総合体育館(グリーンアリーナ)

概 要:

第57回日本母親大会2日目は分科会にそれぞれ分かれました。私は「草の根に広げよう母親運動―その原点と展望」という分科会に参加し、母親運動の基本について学んできました。

母親大会実行委員の木村康子さんを助言者として討論形式で分科会は進められ、40人が参加しました。また、被災地福島、宮城、岩手からの参加者もいました。冒頭で木村康子さんは、「女性は体のことについて生まれながらにして考えます。今回の福島原発事故で被ばくした小学生の女の子が結婚できない、子供を産めないといっているのを思い起こして下さい」と話し、「女性はいのちを産みます。この点が男性との違いです。辛い立場にありながら、それでもがんばっている女性に寄り添うのが母親運動です」としました。

討論では、「母親大会の原点は原爆です。今回の震災を受け、放射能汚染による悲劇は決して繰り返してはならない。今こそ母親たちが立ち上がるときです」という力強い訴えがありました。また、「母親運動は特別に能力がある人が参加するものではありません。女性であることと母親であることが運動の原動力になると思います」という発言がありました。

被災地から参加した女性は、「東日本大震災を機に、日本全体が変わりつつあります。今回の原発事故を受けても、住民運動の重要性が高くなっています。私たち母親がどれだけ先頭に立てるかが運動の発展につながります」とこれからの運動発展への熱意を表明しました。

 今後の母親運動の展望について熊本県建築労働組合の20代女性から発言があり、「私は女性部の担当をしており、どうしたら女性の要求を実現できるのだろうかと考えています。しかし、自分の要求に気付くことが難しい女性がとても多いです。私は社会全体が要求に気付くことが難しい社会構造になっているのではないかと思います」とし、「生涯、学習をしていくことで仲間を増やし、お互いを高め合うことのできる母親運動としたいです」と希望にあふれる発言でした。

 母親運動の主人公はあくまで女性です。しかし、だからと言って男性には関係ないとは言えません。世界と比較すると日本はジェンダー認識が甘いとの指摘があります。労働組合がジェンダーなどについて学習していくことで、男女の枠を越えた運動の先頭に立てると思います。

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